第62話 理念

 その夜のうちに大沢は東京へ戻り、ミナミたち選手は一泊の後バスで東京へと戻った。


 SNSでは、サクラが渋谷に勝ったことを受け、SJWが注目を浴び始めている。

 けがをしてしまったのは自身のせいだと渋谷が表明したためにSJWへの非難は今のところ大きくは無い。


 午後に事務所に入ると、営業部はあまり浮かれていない。

 協働興行だったとはいえ、記録的な売り上げだった。

 本来であれば、大喜びしているはずだ。


 やはり昨日のことを社長から先に伝えられていたのだろう。

 特に、精神的にダメージを受けているサクラへの配慮が必要な状況だ。


 席に着くや否や、早速大沢に呼び出される。


「長距離移動、お疲れ様。で、昨日のことだけど」

「は、はいっ……」

「早速、理念の定義をしっかりと整えたい」

「理、理念ですよね。はい」


 大沢の様子を見てホッとした。

 すでに、いつも通りの前向きに突き進む大沢に戻っている。


「『純粋な技と技の凌ぎ合いによって人を感動させる』これがおれの理念だ」

「はい」

「この理念はおれがまだ駆け出しだった10年ほど前に教えてもらった言葉だ。それ以来、いつかこれを実現したいと考えてきた」


 ミナミはほっとした。


(私も、大学1年の時から、大沢さんに理念、知ってますよ)


 大沢は表情を引き締める。


「本当はもう少し経営基盤が整ってからにしたかったけど、イズミさんたちも合流してくれたし、最低限の準備は整った。昨日のこともある。ミナミが手伝ってくれるなら、今からチャレンジしたい。時間はかかると思う。手伝ってくれるか?」


 大沢の誘いを断る理由などない。

 むしろ、声をかけてくれただけでうれしくて仕方がなかった。


「もちろんです。喜んで!」


 元気に答えて、ハッと急に思い出した。

 以前、大沢が言っていたこと。


『技術で魅せたいという気持ちは大事にとっておけ。いつか、その理想を実現できるときが来る』


(大沢さんは、ずっと、このときを待っていたんだ。そして、私のことも、最初から誘ってくれるつもりだったのかもしれない)


 あのときは、まだ大沢との距離が縮まっていないとブルーにもなった。

 でも、あのときから、実は……

 実は……


(距離は、縮まっているのかも……)

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