第34話 覚悟

 ミナミが本社に戻ると、すでに19時を回っていた。

 おそるおそる、社長室をノックする。


「はい」


 大沢は、まだ会社にいた。


「失礼します」


 ミナミが来ることを予測していたのだろう。

 驚きもせずに迎え入れた。


 ミナミはすぐに頭を下げた。


「まだプロテスト受かっていないのに、ワカバちゃんのマスクを外しました」


 厳密にいえばM&Aは契約締結したが、実行まで1か月以上ある。

 ヒールになる約束も、そもそもまずは2か月先のプロテストに受かってからの話だ。

 それにも関わらず、勝手にワカバのマスクを外してヒール撤回をしてきた。


 明らかに、フライング、もしくは約束反故、しかも確信犯である。


「……」


 沈黙する大沢。

 こういうときは、怒号でもいいから何か言ってほしい。


 ミナミは頭を下げた姿勢のまま、怒鳴られるのを待った。

 でも、大沢は小さな声で何かを呟いた。


(え?いま……何って言った?)


 ミナミはびっくりして顔を上げる。


 大沢は怒っていなかった。


「配信は見ていた。ミナミとして、覚悟を決めた、と受け取っていいんだな?」

「は、はい。覚悟は決めました。大沢社長のご指示の通り、覆面ヒールでデビューします」

「……わかった。であれば、ワカバは次回からアキラのチームに戻らせる。これで決着だ。だから、ミナミはM&A完了とプロテストに集中しろ」


 それを聞いて、ミナミは明るい表情を取り戻した。


「はい!」

「笑ってる場合じゃないぞ。もうプロテストに落ちることは許されない。次が最後だ」

「はい、任せてください」


 一礼するとミナミは明るい表情で出ていった。


 大沢は一人社長室に残り、席にどさっと座ると拳をこめかみにあてた。

 誰にも聞こえないほど小さな声で、もう一度何かを呟く。

 その口元は、わずかに微笑んでいるようだった。

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