第29話 1か月

 さすがにIMを直接タマちゃんに見せるわけにはいかないので、どんな資料を準備したらいいかとか、どんな点に気を付けて分析したらいいかとかを教えてもらいながら、実際の作業はミナミが進めていく。


 その間も朝練と夕練は続けている。


(弱音は吐かない。両立させるって決めたもん)


 正直体力的にもしんどかったが、資料準備が整ってくるとやる気は上がる。


 6月末。

 1か月かけて、ミナミはQoRの会社の状況のまとめ、買収する場合のメリットやデメリット、注意点やスキーム提案などの資料をまとめた。


 ポイントは買収価額。

 M&A仲介は5千万円という価額を示唆していた。株主の要望額だ。


(これを、回収するシナリオもやっと完成。あとはこのメリットを妥当と判断してもらえるかどうか……)


 そして、ミナミが仕事を終わらせ夕練に向かうと、1か月ほど前にヒールへの転向を余儀なくされた後輩のワカバが更衣室のベンチにひとりで座っていた。


「ワカバちゃん?」


 ワカバはハッとミナミに気付くと、顔をそむけた。


(泣いてる?)


「どうしたの?何かあった?」

「ミナミさん……私、もう耐えられそうにないです」

「え?」


 ミナミは慌ててワカバの向かいのベンチに座る。


「やっぱり、私にヒールは合わないです。お客さんからもブーイングばかりだし。そもそも体格も小さいからヒールの迫力を出せないし……」


 ミナミはワカバの手を握る。


「私……もう引退しちゃおうかなって……」

「ワカバちゃんは頑張ってるよ。選手もお客さんもみんな知ってる。だから、そんなこと言わないで……ワカバちゃん、ごめんね」


 ミナミは思わず謝っていた。


「え?何でミナミさんが謝るんですか?」


 ワカバが顔をあげる。

 ミナミにも、なぜかは分からなかった。


 先輩として助けることができない負い目か?

 そもそも自分がプロになっていたら引き受けられたかもしれないという後悔か?

 わからない。

 でも、こんなところでワカバを失いたくはない。


「ごめんね。もう少しだけ。1か月だけ、我慢して。私も、私にできることを頑張ってみるから」

「もう、ミナミさんが謝らないでくださいよ。私、どうしたらいいか……」

「とにかく。1か月時間を頂戴。約束よ」


 ミナミは真剣な表情でワカバに迫る。

 ワカバも、その表情に押されて、思わず頷くのだった。

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