ハウツーラブ

ラム

Front love

「ねえ、今日何の日か覚えてる?」

 

 妻の琥珀がにこやかに尋ねる。

 唐突な質問だったが夫の暦は即答する。

 

「君と初めて出会った日だ。 忘れるはずもない」

 

 それを聞き琥珀は一層顔を綻ばせる。

 

「流石ね、あなた! 夕飯は何がいい? 今日は奮発するわよ!」

「君が作る料理なら何でもいいよ」

「もう、何でもいいっていうのが1番困るのよ」

「はは、すまないな。 それじゃ行ってくる」

「えぇ。 ……ねぇ、あなた」

「どうした?」

「いえ、なんでもない。 行ってらっしゃい!」


 そして暦は職場へ向かった。

 しかしその職場でのことだった。

 琥珀が飲酒運転により暴走した車に轢かれたとの報せが入ったのは。


〇病院の診察室

「琥珀は……妻は無事ですか!?」

「……誠に申し上げにくいのですが前頭葉に大きな損傷が見られました。 このままではおそらく……」

 

 医者が続けなくても暦にはその内容は想像がついた。

 

「そんな…… 俺はどうしたらいいんだ……」

「……1つだけ奥様を救えるかもしれない方法があります」

「本当ですか!?」

「はい、前頭葉……つまり脳の一部をAIに置き換えるのです。 そうすれば最悪の事態は免れられます」

「脳をAIに……?」

「ただし脳とAIの結合、いや、脳をAIに置き換えるなど史上初のことです。 どんな問題が生じるか分かりません」

「そんな……! それじゃまるで実験台じゃないか!」

「この方法は確立されて間もないのです。そしてこの方法が唯一奥様を助けられる方法です。行うかよくお考えください」


 しかし暦に選択肢はあってないようなものであった。

 妻の笑顔が見たい、明るい声が聞きたい。暦は悩んだ末に頷くことにした。


「……妻が救えるかもしれないのなら……!」

「……分かりました」

 

 そして琥珀の前頭葉はAIに置き換えられた。


〇病室

「琥珀、俺だ。分かるか?」

「……あなた?」

「ああ、俺だ。 君の声がまた聞けて嬉しい」

「? どうして嬉しいの?」

「え──」

「眠いから寝ていい?」

「ま、待ってくれ! 琥珀、君なんだよな?」

「えぇ、私は琥珀よ」

「君は事故から生還できたんだ。 何故喜ばないんだ!?」

「どうして喜ぶの?」

 

 会話が、思考が噛み合わない。

 蘇った琥珀はまるで別人だった。

 琥珀は数日して退院することになった。

 そして暦の苦悩が始まる。


〇朝、リビング

「琥珀、俺は会社に行ってくる。 俺が帰ってくるまではくれぐれも外出しないでくれ」

「いいけど、どうして?」

「君が心配だからに決まっているだろう」

「どうして心配なの?」

「……俺と君は一心同体なんだ。だから君を失うことは俺の中でも大きなものを失うことを意味するんだ」

「わかったわ」

 

 暦は多少は琥珀との会話のコツを覚えた。

 しかしこの通り琥珀は感情というものが欠落しているようだった。


「ところで琥珀、君はいつもパジャマを着ている。日中は着替えたらどうだ?」

「わかったわ」


 すると琥珀は暦の目の前で着替えようとする。


「琥珀、着替えるときは人に見られないようにするんだ」

「どうして?」

「人に裸を見られるのは恥ずかしい、いや、道徳上よくないことだからだ」

「わかったわ」


 そして琥珀は部屋へ行き、着替え終わる。



 

「それじゃ、行ってくる」

「えぇ、行ってらっしゃい」


○夜、リビング

「ただいま── あれ、なんで電気がついてないんだ?」

「どうして電気をつける必要があるの?」

「だって何をするにも暗かったら始まらないだろう!? たとえば本を読むにしろ……」

「何でそんなことする必要があるの?」

「それは心を満たすためだ。 君は今日1日何をしていた?」

「何もしていない」

「……そうか」

 

 人間性を失い、変わり果てた妻。

 暦はなんとかして受け入れようとするも限界があった。

 そしてある時暦は気付いてしまった。

 妻を愛せないことに。

 暦はすっかり精神がすり減り、ある決断をした。


〇朝、リビング

「……それじゃいってくる」

「行ってらっしゃい」


〇駅のホーム

(この駅に飛び込んで終わりにしよう。琥珀を愛せない俺に生きる資格はない)

 

 そしてアナウンスが流れた頃だった。

 

「……あなた」


 あれほど外出を禁じ、それを遵守した琥珀が何故か追ってきたのだ。

  

「琥珀!? 馬鹿な、どうしてここに?」

「今日のあなたはいつもと様子が違った。 それで様子を見にきたの」

「もしかしてこれが〝心配〟ってこと?」

「あぁ、琥珀……俺はなんて馬鹿なことを考えたんだ……」

 

 暦は人目も憚らず涙を流し、琥珀を抱き寄せた。

 妻を理解し、愛することから逃げ、自ら命を断とうとした暦。

 しかしこの出来事がきっかけで、琥珀にも感情らしい物が生まれた。


〇夜、リビング

「ただいま、琥珀」

「おかえりなさい」

「今日は君好みの服を買ってきたんだ。 良かったら着てみてくれ」

「わかったわ」


 そして琥珀は暦が買ったカジュアルなクリーム色のスカートと白いブラウス、淡い黄緑色のカーディガンに着替える。

 

「着替えたわ」

「うん、やっぱり君によく似合うな」

「……嬉しい」

 

 琥珀はぎこちないながら笑みを浮かべ、さらに「嬉しい」と口にした。

 確実に感情を理解しつつある。

 

「そういえば君はあの日── 君と出会った記念日、なんて言おうとしたんだ?」

「これまでも、これからも、ずっと愛してる」

「え?」

「でも愛してるってどういう意味?」

「……それも近いうちに分かるさ、きっと……」


 自分と琥珀は愛しあえる。暦はそう確信していた。

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