13話 親友?元カレ?今カレ?

「ひっでぇニオイだな」


フジは窓を開け放った。薄いカーテンが風を孕み膨れ、それから、急速にしぼんだ。


「おまえが急に学校に来なくなるからさ、心配して見に来たら……はっ、案の定だ」


フジの右手には裁断機に使われるような、長い刃物が握られている。


「こんな増やしたら駄目だろ。こりゃ、後片付けも一苦労……、チッ、まだ残ってたか」


ぼくのシャツを後ろに隠れたグレーミミとジャージミミが掴む。


「……フジが殺したのか。……いや、知ってたのか?」

「……ん、なにを?」

「……ミミが増えることを」


フジは「ははっ」と乾いた笑い声を上げてから、そのまま溜息をついた。


「知ってるも何も、まあ、なんだ……」


フジは刃先を見つめながら、ポツリと言った。


「……元カレってヤツだよ」


ぼくのシャツを握りしめる、二人の手から少しだけ力が抜けた。


「こんなことを知る前に、俺としては手を引いてほしかったんだけど……、まあ、今さらだよな」


フジが散々、くどいくらいに忠告してきた意味が少しだけわかった気がした。


「思い出すなぁ……、なんか。おまえが仔猫を助けようとしたときのこと。道路の真ん中で轢かれてて、絶対助からないような状態のさ……」


ぼくも思い出す。結局、仔猫を助けたのはフジだった。


「おまえの尻拭いは、いっつも俺の役目だな。別にイヤってわけじゃない、こんくらいのこと……」


刃先から血が2滴、床に落ちる。


「……別れろとは言わない。おまえの助け癖は大したもんだよ、実際」


フジはぼくの目を真っ直ぐに見つめた。


「ただ、“増やしすぎるな”とは元カレとして言わせてもらう。あえて悪役っぽい言い回しをするなら」


フジは刃物を杖のようにして立ち上がった。


「この女を人間扱いするな」


ぼくは何も言えなかった。何か言おうと頭の中を探し回ったけれど「あ」とか「う」とか、言葉以前の音しか転がっていない。


「今日中に……、どっちか一人だけに減らしておけよ」


フジは刃物を持っていない方の手で二人のミミを交互に指さした。


「増やすことは優しさでもなけりゃ、助けることでもないからな」


そう言うとフジはぼくらを部屋から追い出した。フジ曰く、「片づけは慣れてるから任せとけ」と。ぼくの家だぞ、とは思わなかった。


重力をしっかりと味わいながら、ぼくとミミ二人はあてもなく歩いた。ミミはぼくの言葉を待っているのか、あるいは、何かを考えているのか、失望しているのか、口を開かない。


ぼくはフジに殴りかかったり、胸ぐらを掴んだり、あるいは、怒鳴り散らしたりするべきだったのだろうか?

でも、ぼくはしなかった。言われるがまま、外に出た。

たぶん……、いや、たぶんではなく、本心からぼくは「助かった」と思ってしまった。フジが増殖したミミを減らし、処理まで買って出てくれたことに対して、ホッとしてしまったのだ。


「元カレだったんだね」


気まずさや不甲斐なさを埋めるように、ぼくはミミに確認した。電柱がひどく斜めに傾いている。


「元カレじゃないわ」

「うん、元カレじゃない」


ぼくは混乱した。手の届かない、頭の奥が傷んだ。


「……だって、さっき」

「「今も付き合ってるの」」

「……はぁ?」


ぼくはミミがはじめて増えたときよりも、ずっと混乱し、困惑した。ぼくの手は吸い寄せられるように電柱へ伸び、なんとか姿勢を保った。


「今も……?」

「「そう」」


二人のミミはまったく同じ表情をしていた。電線には鴉が鳴きもせずに留まっている。


「「私の分身は何年も前からずっと、フジと付き合ってるの」」


鴉が一羽、また一羽と電線に留まる。一気に飛び立ってくれたら、どれだけ良かっただろう。


「わたし……、ううん、わたしたち、まだ君に助けてもらってない」

「君に助けてほしいのは“わたしたち側”じゃないの」


数え切れないほどの鴉が、電線を埋め尽くす。


「「わたしの分身を助けて?」」


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