6話 眠るとき、服を脱ぐのは普通ですか?
「ただいまー」
おじゃまします、ではなくミミが「ただいま」を選んだことに少しだけ驚いた。ここはぼくの家だし、より正確に言うならば、ぼくの両親の家だ。
「へぇ、広いわね。二階もあるんだ。100人くらいなら入りそうじゃない?」
「たとえ入るのだとしても、そんなに招きたくはないね」
「100人全員、わたしみたいなカワイイ女の子でも?」
ぼくは少しだけ考えてから、これは間を開けずに答えないといけない問だったことに気づいた。ミミの顔がコンマ1秒ごとに曇っていく。
「仮に100人全員がミミだったなら、まあ、考えるよ。それ以外はいくら可愛くてもなし」
ミミは満足そうに微笑むとそれ以上は何も言わなかった。
「君の部屋はどこ?」
「二階だよ」
自身のテリトリーを調べる猫みたいにミミはウロウロと歩き回った。
「本当に両親はいないの?」
「単身赴任と長期出張ゆえ……、共働き家庭の妙だね」
「君ってやっぱり話し方が独特ね。こういうときは『いない』とだけ言ってくれればいいのよ?」
ミミはそう言うと階段を指差した。ぼくはミミの半歩前を歩いて、自分の部屋に案内した。
「驚くほど無臭ね。何ていうか、人間味がない。……ホテルみたい」
「コンセプト通りの印象を受けてくれて何より」
実際ぼくは、自分の部屋をホテルの一室をイメージして整えた。親からも「可愛げのない部屋だ」と苦言を呈されたものの、ベッド一つに机一つ、それ以外に必要なものなどないだろう。
「ふぅん」
もう、ぼくの部屋というものに飽きたのか、ミミはベッドに腰掛けた。
「固いベッドね」
ミミがベッドを手のひらで押すと、ギシギシと気まずい音が響いた。
「固いほうが寝返りを打ちやすいからね」
「二人で寝たら寝返りなんて打てないわよ?」
ミミはからかうように微笑んだ。微笑んだ、なんて、生易しい表情ではなかったけれど。
「泊まってくつもり?」
「お邪魔であっても」
そこは「お邪魔でなければ」と言うところだろうと一瞬思ったけれど、恋人関係というのは、たとえ邪魔であろうとも一緒に居ていい権利のことなのかもしれない。
そこからのミミの行動は早かった。必要以上に慣れた手付きで、ミミは制服を脱ぎ捨て、下着を放った。
「わたしね、眠る前は必ず服を全部脱ぐの」
ぼくはミミに背を向けたまま「お風呂は?」と間抜けにも聞いた。
「一緒に入る?」
さっきまでベッドにいたはずのミミの声がすぐ後ろに迫る。柔らかい胸が背中に押し当てられ、肩にあごが置かれた。
「ねえ……、わたしのこと軽い女だって思う?」
「……持ったことないからわからない」
「はぐらかさないで」
「軽くはないとは思う。急ぎすぎたなとは思う、けど」
ぼくの肩にミミのまぶたが押し付けられた。暖かく、濡れている。
「誰にでもこういうことするわけじゃないの」
ということは、誰かにはしたことがあるのだろうな、と少しだけ考えた。
「一緒に眠ってほしいの。それが私からのお願い……、助けてほしいこと」
後ろから、ミミはぼくを抱きしめた。抱きしめた、というには弱弱しく、ただ手を回しているだけのような、子どもが親の出勤を足止めしているときのような、頼りなさだ。
「……それだけ?」
「わたしにとっては大事なことなの」
眠るにはまだまだ早い時間だったけれど、ぼくは、明かりを消し、ミミの方をあまり見ずに、ベッドに潜った。
「向き合って寝るのはイヤ?」
「……、いやじゃない。けど、刺激が強すぎる」
「ふふっ」
ミミはぼくの背中に指先で文字を書き始めた。
「ふ?」
「うん」
「ん?」
「ちがーう」
「え?」
「そう!」
「……ち」
「うん」
「えーと、や?」
「まあ、正解」
くすぐったいけれど、そのむずがゆさが少しだけ気持ちよかった。
「う?」
「うん。これでおわり」
ぼくは頭の中で順番に文字を読み上げた。「ふ・え・ち・や・う」。
「ふえちゃう?」
ミミは答えなかった。増えちゃう、ということだろうか。
「ミミ?」
ミミは嘘くさい寝息を立て始めた。けれども、振り返れないぼくにとって、それが本物かどうかはわからない。ぼくは「増えちゃう」を頭の中で反芻しながら、首の関節を鳴らした。
誰かと眠らないと不安で、自傷行為に走ってしまい「傷が増えちゃう」ということだろうか。もしくは、家に帰ると親に暴力を振るわれて傷が……。
ぼくは、それ以上は考えないことにした。意識的に、考えることを自分に対して禁じた。ミミが自ら話したくなったときに、きちんと聞く。変な邪推は、何だかとても失礼に思えた。
「おやすみ、ミミ」
当分眠れそうになかったけれど、ぼくは暗くなった部屋の壁に向かって、おやすみのあいさつを告げた。
そして――、その夜、もしくは、朝。
ミミは増殖した。
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