第12話(3)松島の月

「おお、ここが音に聞く……!」


 目の前に広がる雄大かつ壮麗な風景に楽土は思わず感嘆の声を上げる。


「絶景でしょう」


「ええ、海岸にこれほど多くの島が並んでいるのはちょっと見たことがありませんね……」


「日ノ本でも三本の指に入るというほどの景観ですよ」


「三本の指? それは誰が言ってんだ?」


 藤花の言葉に技師が首を傾げる。


「……さあねえ?」


 藤花も首を傾げる。


「さあねえって……」


 技師が呆れた視線を向ける。


「とにかく世間ではもっぱらの評判だからね」


「まあ、そういう評判は確かによく聞くけどね……」


「島の数はどれくらいなのでしょうか?」


「八百八島ですよ」


 楽土の問いに藤花が答える。


「い、いや、沢山あるというのは見れば分かりますが……さすがにそこまでは……」


 藤花の適当な答えに楽土が戸惑う。藤花が腕を組んで首を捻る。


「島々の実数については誰も把握してないようですからね……」


「ああ、そうなのですか……」


「百とも二百とも……言う方によってそれぞれ違います」


「ふむ……」


「ああ、この島に接岸してください……」


「えっ⁉ ここでですかい?」


 舟頭が藤花の言葉に大層驚く。


「ええ、そうです」


 藤花が首を縦に振る。


「し、しかし、この島にはあまり人は訪れませんよ?」


「だからこそ良いのですよ」


「は、はあ……」


 舟頭は戸惑いながら舟を寄せる。


「さて、降りましょうか……」


「は、はい……」


 藤花に促されて、楽土たちも舟を降りる。


「ここは……それなりに大きい島のようだけど?」


 技師が周囲を見回しながら尋ねる。


「そうだね。雄島と呼ばれている島だ」


「雄島か……」


「なんだか只ならぬ雰囲気を感じますね……」


 楽土も周囲を見回しながら呟く。


「それはそうでしょうね。なんといってもここは霊場のようなものですから」


「れ、霊場⁉」


 藤花の言葉に技師が驚く。


「……もしかしてこの無数にある岩窟は……」


「楽土さん、さすがに鋭いですね。死者の方を供養する為の石塔やら石仏が沢山置かれていますよ。修行僧の方などが彫られたのでしょうねえ……」


「な、なんだってこんなところに降りたんだ……?」


 技師が怪訝な表情になる。藤花が笑みを浮かべる。


「まあ、色々と都合が良いからね……」


「都合が良い?」


 技師が首を捻る。


「こっちだ……」


 藤花がやや奥まった方にある岩窟に入っていく。楽土たちがそれに続く。


「おいおい、本当に来たか……」


 そこには厳めしい顔をした坊主が座っていた。藤花が手を挙げて声をかける。


「やあやあ、ご苦労なことです」


「本当だよ……まさか松島まで呼ばれるとはな」


「いや、きっと仏様のお力が必要になるだろうなと思ってね……」


「ふん、信心なんて無い癖によ……」


「場所をお借りするよ」


 藤花がそのあたりに腰をかける。坊主が呟く。


「この辺にくると聞いて、一応準備はしていたが……」


「いやいや助かるよ」


「仏様は彫るが、人形作りはまったくの畑違いだ。それでも陸の知り合いに片っ端から声をかけてかき集めたよ。文句は受け付けねえ……」


 坊主が指し示した先には多くの部品や材料などがたくさん並べてあった。技師が驚く。


「こ、これは……!」


「技師さん、修理……いや、修善の方をよろしく頼むよ」


「あ、ああ……」


 藤花に声をかけられて、技師は戸惑いながらも作業に入ろうとする。


「そ、それがしも外に出ています……」


 さっさと外に出ていた坊主の後に続いて楽土も岩窟の外に出る。


「……はっ、霊場を隠れ場所にしている罰当たりは天下でもあいつくらいのものだろうな」


 坊主が苦笑交じりに呟く。


「隠れ場所ですか……」


 楽土がその呟きに反応する。


「ああ、噂じゃあ、日ノ本のそこかしこにこういう隠れ場所を持っているらしいぜ?」


 坊主が振り返って楽土に視線を向ける。


「日ノ本のそこかしこに……」


「俺みたいな協力者も山ほどいるようだ」


「松島まで呼ばれたとおっしゃっていましたが……」


「ああ、仙台の方で一仕事あるから、この辺で待機しておいてくれって言伝があってよ……」


「それで待っていたのですか?」


「まあな……」


「来るかどうかも分からないというのに?」


「そういう時は大体来るんだよ、あいつは……」


 坊主が笑みを浮かべる。


「そこまで先を読んでいたのか……恐ろしい……」


 楽土が顎に手を添えて呟く。


「いやあ、どうかな?」


 坊主が腕を組んで首を傾げる。


「え?」


「結構行き当たりばったりなところもあると思うぜ?」


「そ、そうなのですか?」


「ああ、それなりに付き合いは長いからな……」


「長い付き合い……一体どれくらいですか?」


「おっと、そればかりはとても言えねえな……それこそ恐ろしいからよ……」


 坊主が腕組みを解いて、それぞれの手で両肘を抑え、身震いする。


「もはや言ったようなものじゃないか……」


「ひっ⁉」


 藤花の言葉に坊主が驚いて振り返る。


「坊主がこれくらいで怖がったりしなさんな……楽土さん、私の方は終わりましたから、楽土さんも一応見てもらった方が良いですよ」


「あ、は、はい……」


 楽土が代わりに岩窟に戻る。その後姿を見つめながら坊主が尋ねる。


「……連れなんて珍しいじゃねえか、どういう風の吹き回しだ?」


「人にも色々あるだろう? からくり人形にも色々あるのさ……」


 藤花が笑みを浮かべながら答える。


「……また移動するのか?」


 舟の上で技師が尋ねる。


「ああ」


「あの岩窟にしばらく身を潜めていた方が良いんじゃないか?」


「逃げるのだったらそれもありだけど……迎え撃つと決めたのでね……」


 藤花が周囲を見回しながら呟く。


「迎え撃つって……向こうは大勢で来るんじゃないか?」


「恐らくはそうだろうね」


「だ、大丈夫なのか?」


「だからこうして策を練っている……」


 藤花が腕を組む。


「本当か?」


「ん?」


 藤花が技師に視線を向ける。


「い、いや、結構行き当たりばったりなところがあるような気がするからさ……」


「ぶっ!」


 楽土が思わず噴き出す。技師が不思議そうに首を捻る。


「ど、どうかしたのか、楽土さん?」


「い、いえ、な、なんでもありません……」


 楽土が片手で口元を抑えながらもう片方の手を挙げる。


「……なにか面白いことでもありました?」


 藤花が尋ねる。


「い、いいえ、本当になんでもありませんから……!」


 楽土が手を左右に激しく振る。


「……まあ、良いでしょう……やはりここにしますか……」


 藤花がある島に目をつける。


「ここは……?」


「福浦島。ここなら見晴らしが比較的良い……船が海岸に入ってきてもすぐ分かる」


 技師の問いに藤花が答える。


「島々の互いの距離も近いですし、もしも大船団でやって来た場合は混雑しますね……」


「そういうことです」


 楽土の呟きに対し、藤花が満足気に頷く。


「えっと……」


「恐らく決戦は明朝すぐ……朝日が昇りきったらまた来てください」


「わ、分かりました……ご武運を……」


 舟頭は舟から藤花たちを下ろすと、福浦島からさっと離れる。


「食料もあのお坊さんに分けてもらったから助かるね……」


 海を見渡せる丘に腰を下ろした技師が食事を始める。


「ありがとう」


「助かります」


「い、いや、アンタたちは食べなくても平気でしょう⁉」


 技師が食料に手を伸ばす藤花と楽土に対して声を上げる。


「腹が減ってはなんとやらだよ……」


「だから腹減らないでしょうが!」


「いやあ~この景色を見ながらの食事は格別だね」


「話を聞きなさいよ!」


「楽土さん、こういうとき、句心が刺激されるんじゃないですか?」


「え、ええ……?」


「はい! ここで一句お願いします」


「な、なんでですか?」


「詠めそうだから」


「よ、詠めそうだから⁉」


「この際、人の句でも構いませんよ」


「そ、そんないきなり無茶を言われても……!」


「意外と風情というものがないねえ……」


「そ、そういう技師さんはどうなのですか⁉」


「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」


「お、おおう……」


「雄島で思い出しましたよ」


「百人一首の九十番か……」


 藤花が頬をさすりながら頷く。技師が藤花に向かって尋ねる。


「言い出しっぺはどうなんだよ?」


「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」


「む……知らないねえ?」


「さっきの句は、今の句を本歌取りしたものだよ」


「へえへえ、大層教養がおありで……いや、年の功の為せる業かな……?」


「は?」


「な、なんでもないよ! ほ、ほら、楽土さん、一句なにかないかい⁉」


「いづる間も ながめこそやれ 陸奥の 月まつ島の 秋のゆふべは」


「ふむ、松島といえば月ですからね……技師さん、さっきお酒も分けてもらったよね? よし、今宵は月見酒と洒落こもうか」


 戦いを控えているとは思えないほど呑気な語らいが夜遅くまで続いた。

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