第38話 ワクチン

 なんでしょうか、それを見ていると、頭のてっぺんがずきずきと痛みました。

 サルは、苦い顔をしてバナナを飲み込みました。

「青子の子どもは、きっと、おれの子どもじゃないんだ。そんな気がする……」

 サルは、ブツブツと独りごとを言いました。

 呂律が怪しくなり始め、目が座り、妙なにおいを口から放ち始めます。

「そのバナナは、なんですか?」

「校長室から盗んで来たのさ。あの野郎、これでいつもお楽しみなんだ。食ってるとこう、頭の芯がこう、熱くてふわっとして……。全部がどうだっていいって、思えるんだ」

 彼が説明している間中、あたしはバナナの斑点を見つめていました。

 一つ一つが、「どうだっていいじゃん」と悟りを開いているような気がしました。

「おれだってこき使われてんだ、これくらいのおこぼれもらってもいいよな。……お前もいるか?」

 怖い。それを食べたら、あたしの中で何かが変わる。

 あたしは、あたしでなくなるのが怖い。

 いえ、違います。

 あたしでなくなることがどうでもいいと気付くのが、怖いのです。

〈あたし〉を内部でたくさん作り、殺し、そして作ることを繰りかえしていればそのうち、痛みなど消えてしまうに違いありませんから。

 それは、人々が〈作り話――物語〉をいやしく求めることと、深く繋がっているようにも思えます。

 鈍感になることを求めいている。

 いわば、悲劇や苦悩を疑似的に体験することは、ワクチンの投与のようなものなのかもしれないのです。

 あたしも、たくさんのあたしを殺し、鈍感にならなくてはいけないのでしょうか?

 怖くなって、すがるように黄色いものを握りました。

 色は薄くなっており、それは、ただの石にしか見えませんでした。

 黄色い世界は、あたしそのものです。

 青いものを受け入れると、世界の色が変わってしまうのです。

 ですが、その青いバナナの誘惑は、すさまじいものでした。

 徹底的に、軽く、鈍い頭を手に入れることができるものではないか、とあたしは思いました。

 あたしを、救済するものだ、と。

 自然と青いバナナに手が伸びました。

 いえ、あたしだけの意志ではないのです。頭のてっぺんが疼き、けしかけるのです。

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