私は、人を殺した。

 昨日。あのカフェで、カヨから私は糾弾きゅうだんされた。

「カオル、あなたが素直に白状するなら、私は何も言わない。血を分けた姉妹の、最後の情けよ。

 でも。認めないというなら、警察に言うから」

 私は反論できなかった。彼女の言うことは、完璧に的を射ていたから。事実、私はあの人を…実の母親を殺害していたのだから。

 しかし弁明にも聞こえるが、私の中に彼女を殺してやろうという悪意はなかった。あれは本当に、事故だったのだ。


「久しぶりだね」

 久方ぶりに会う実母は、昔よりも格段に老けていた。白髪は増え、皺も増えただろうか。それもそうだ。最後に会ったのは小学生の時。その頃はまだ、離婚等で家庭が揉めていた頃の話である。

「突然現れたかと思ったら。カヨが?」

「うん」

 カヨの転職が芳しくないことについて、私は実母に報告した。カヨの言い振りから、恐らく母親に何も助力を乞う等はしていないのだろう。そう思って、老婆心ながらも私は伝えたのだ。

「まさか、そんなことだったなんて」

 私の連絡を、実母は受け入れてくれた。意外だった。幼き頃、両親だけの問題から姉妹仲を引き裂いたことに、罪悪感が残っていたのだろうか。

 しかしそんな彼女は、私の言葉を聞いていくたびに、表情が曇っていった。

「東京都内のめぼしい企業は、彼女に伝えたの。でも全滅しちゃって。でもこの辺りなら、まだカヨを雇ってくれる会社があるかもしれない。ただ、私はずっと都内にいて、どんな充てがあるか分からなくて。カヨも、母さんのもとを離れて数年経つんだよね。だから私と同じように知らないと思うの。だから、どうか」

 必死にお願いするも、表情から察するに、あまり関わりたくないような雰囲気を醸し出していた。

「あの子はもう大人なんだし。あたしが何かしたって、迷惑にしかならないわよ」

 若干吐き捨てるようにそう言いつつ、実母はスーパーの袋を肩にかける。買い物帰りのようで、袋の中には沢山の食品が入っていた。

「で、でも」

「そういうのも自分でやってこそ、というものじゃない?カオルちゃんもそう思うでしょ」

「いや、その…」

「高校を卒業してから連絡も稀、一昨年のお婆ちゃんが亡くなった時に少し顔を見せただけ。離婚後、私がどれだけあの子を育てるのに苦労したと思う?何にもありがたみなんて感じていないでしょうね、あの子は。それなのに、助けて欲しい時だけ、あなたを使ってまで助けてくれなんて。都合が良すぎるわ」

 どうやら彼女は、カヨが私に頼んで自分の代わりに助けを求めに来たと思っているらしい。私はかぶりを振った。

「そうじゃなくて。私はただ、カヨが心配で。そもそも一番に助けるべきは私じゃなくて、母さんのはずよ。それが、肉親の務めじゃないの」

「…肉親の務めねえ」

 彼女は「はああ」と大きく溜息をついた。「そんなもの、大人になった今でも通用すると思ったら大間違いよ」

「そんな…」

 愕然がくぜんとする私を見て、実母は何故だか少し、嬉しそうに微笑んだ。

「でもね、私も鬼じゃないわ。カオルちゃんの言うとおり、あの子を助けてやっても良いんだけど」

「え」

 先程と言っていることがまるで異なる。私は少々不審に思いつつも、助けてもらえるのであればそれで構わないと、彼女に頭を下げた。

「ありがとう!それなら早速…」

「条件があるの」

「条件?」

 嫌な予感がする。私が聞き返すと、彼女は下卑た笑みを浮かべた。

「母さんね、今生活が苦しくて、少しお金が欲しいの。だから、ね。カオルちゃんが母さんのことを助けてくれるっていうなら良いわ」

「お金…」

「ね?」

 そうか。十数年ぶりの生き別れの娘からの連絡に素直に応じたのも、これが狙いだったという訳か。しかしまさか、実の娘に金の無心をするなんて。失望と同時に、私は目の前のこの中年女が、哀れに思えてならなかった。

「…約束だよ」

 しかし、私は渡してしまった。

「約束だよ。必ず、カヨの力になってくれるって。そのための、お金だからね」

 その日は彼女に手持ちの金を渡し、半月後彼女から伝手や情報を提供されることを条件として、退散した。


 カヨのためになるのであれば、少しの金ぐらい失っても良かった。それが私の、彼女に対する罪滅ぼしだったのだから。


 カヨは昔から、損な役回りだった。父に連れられた私は、何不自由なく今の今まで暮らすことができた。対して彼女は、あの実母と一緒だった。金も余裕が無い中、彼女自身勉学に励み、奨学金しょうがくきんで何とか大学に通うことができた。一難去ったかと思えば、就職した会社では人間関係で悩まされることになり…それでも、懸命に努力をして、ここまでやってきていたのだ。

 その姿を、私は知っている。私はあの子を、カヨをずっと見てきていたのだから。

 ただ、彼女からしてみれば、私は幸せな存在と思われているに違いないのだ。私は彼女程苦労もしていないし、家庭環境も良い。見た目は瓜二つだというのに、引き取られ先がちがうだけでここまで境遇が異なるなんて。

「カオルはなんでも上手くいって、良いよね」

 いつだっただろうか。彼女から儚げに言われたその言葉は、私の心を抉った。それと同時に、私では彼女を本当の意味で助けてやることはできないことを、強く実感したのだった。

 彼女には血だけではなく、名目上においても家族の助けが必要なのだ。それこそまさに、母親の助けが。

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