最終章 望み


 九月二十八日。

 ここに来てから、二度目の朝だ。

 留置所という場所は、寝心地が悪くてしょうがなかった。

 文句を言える立場では無いことは重々承知だったが、無意識のうちに溜息が出る。

 二日前のあの日。

 スミエがミナを殺害したことを白状した日のこと。

 カヨが理科室を出て行ってから少し経ち、スミエの息の根を止めようとタクヤと二人、部屋を出たところで、それは起きた。

「ス、スミエさん!」

 廊下の暗がりから、彼女は突然飛び出してきた。しかも、それだけではない。彼女は持っていたナイフで、タクヤの脇腹を刺したのである。

「う」

 野太い声を上げ、その場にごろりと倒れこむタクヤ。スミエは震えながら、僕を見た。怒りと焦りの混じった、ぐにょぐにょとした眼。その眼を見て、僕は鳥肌が立った。

「スミエさん。あんた、何てことを!」

 意気込もうにも、声が震える。しかし足を踏ん張り、それを見せないよう力の限り叫ぶ。スミエはそんな僕に、負けじと睨む。

「分かっているから、こうして刺したんじゃないの!」

 ヒステリー。スミエは金切声を上げた。そんな彼女を前に、僕は恐怖からか、何も言えなかった。

 タクヤは縄で彼女をしっかり縛ったと言った。しかし、そんな彼女がどうしてここにこうしているのか。それにナイフを持って、どうして俺達を襲ってくるのか。様々な疑問が頭に浮かびつつも、今はこの危機を脱するのが先決だった。

「やられる前にやってやるのよ。私は」

 ふぅー、ふぅーと、荒い息のまま、何かに取り憑かれたようにスミエはそう宣う。

 そんな彼女の持つナイフの刃先からは、タクヤの血が滴り落ちている。深く突き刺したのだろう。刺された当人は廊下の床に這い蹲り、呻き声を微かに上げる程度。身をよじることもできないようだ。

「やられる、なんて。私達が、あんたを殺すつもりだったって?」

「そうよ!そう聞いたわ」

「そんなこと、誰から…」そこまで言いかけたところで、思い当たる節があった。「カヨ、さんか」

「そう、そうよ」

 しまった。彼女がまさか、スミエを解放するなんて思ってもみなかった。スミエの今の様子から察するに、恐らくタクヤが彼女を殺そうとしていると、少々誇張して伝えたに違いない。

「油断していたわね。あんたも殺せばそれでおしまいよ」

「くっ」

 じりじりと間合いを詰めてくる。少しずつ後ずさりをしていると、耳に聞き覚えのある音が聞こえてきた。

 ―サイレンの音。

 警察が、ここに?

「どうして…」

 その音に、目の前のスミエも焦り出した。それは、彼女にとっても想定外の事態のようだ。その一瞬の隙を、僕は見逃さなかった。

 彼女のもとに素早く近寄ると、前に突き出していたナイフを持つ腕を両手で強く掴んだ。ナイフを床に落としたところを見計らって、彼女の足を思い切り蹴り上げる。バランスを崩させ、そのまま彼女を床に思い切り転ばせた。

 よし、これで…

「大人しくしろ!」

 その時、不意に怒声が辺りに響く。眩しい白い光に目がくらみつつも、僕はその声がした方向を見た。

 そこには僕とスミエ、瀕死のタクヤへ順々に視線を移す、警官数人の姿があった。

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