ふらふらと、私は覚束ない足取りのままに廊下を進む。スマートフォンのライトを片手に、軋む床板の音を不快に感じながらも、一歩ずつ。

 未だ治まる気配のない胸の高鳴りを抑える。

 まさか、ミナを殺害するようスミエに仕向けたのがあの二人だったとは。それには流石に驚いた。一連の騒動は、三年前の事故を発端として、ミナがスミエに、スミエがサトシとタクヤに。恨み、恨まれの関係だったが故に、起き得たことだった。

 怨恨による殺人連鎖、ドラマや映画ではよくある話ではあるが、現実で見ることになるとは思わなかった。ある意味新鮮な体験をすることができたのかもしれないが、私は彼らの事情に巻き込まれた身である。そう考えるとたまったものではないのだが。

 溜息。自然と出てしまう。

 それにしても…

 終えた。無事に、何事もなく。

 突貫工事の演技にしては、上手くできたのではないだろうか。もしかすると、私にはその道の才能があったのかもしれない。

 とにかく、思うことはあるにせよ、これ以上あの理科室で彼らのためにできることは無かった。だからこそ、こうして素直に部屋を後にしたのだった。

 私には私の役割がある。彼らには彼らの役割がある。無闇やたらに関わりを持つものではない。先程のは、私の悪い癖だ。無理やりにでもそう自分に言い聞かせた後で、校舎の昇降口から外に出た。

 誰もいない。昨夜は雨が降ったこともあって、地面は黒ずんでいる。足を踏み入れると、靴と地面の泥が擦れ、じゃりじゃりと音を立てる。

 そういえば、何となくではあるが寒気がする。九月も末日、夏も終わりか。二十代に入り、大学を卒業し就職してからというものの、時間の進むスピードが、本当に早く感じて困る。

 そんなどうでも良いことを考えていたその時、ふとそれに目が留まった。

「車…」

 今日、ここに来る時に乗せてもらった、サトシの車だ。年季の入った白いミニバン。校庭の隅に、ちょこんと居座っている。

 …もしかして。

 私は駆け足で車に近寄った。

 中を覗き込む。誰もいない。ということは。

 車の後方に回り込むと、トランクに手をかけた。ガコッと音がする。どうやら簡単に開きそうである。そのまま、力を込めてトランクの蓋を押し上げた。

「スミエさん!」

 やはり。そこには猿轡を噛まされ、両手両足を縛られたスミエが横たわっていた。

 私の姿を見た途端、弱々しかったスミエは大きく目を見開いた。その場でじたばたと暴れる。そんな彼女の姿がいたたまれず、すぐに猿轡を外した。

「か、カヨちゃん。ありがとう」

「タク…ジュンさんがやったんですか」

「はあ、ええ。そうよ」

 手足の拘束も解いてやると、はあ、はあと荒い息遣いのまま、スミエは上体を起こした。

「どうしてこんなことに…」

「こっちが聞きたいわ。一体、なんなのよ。突然彼に後ろから口を塞がれたと思ったら、急に意識が飛んで。次の瞬間、真っ暗闇の中。体は動けない。何が起きたの、本当に」

 苦悶の表情を浮かべる彼女。そんな彼女を見て、私の心に、なんとも形容しがたい、黒々とした感情が生まれた。

「スミエさん」私は彼女の目線に合わせる形で、彼女の眼前に自分の顔を持ってきた。「ジュンさんがどうして、こんなことをしたんだと思いますか」

「え?」

 きょとんとした顔で、私を見つめる。

 これから私は、私の役割を果たすために、罪を重ねることになる。でも、仕方ないことなのだ。懸命に、心内で自らを正当化させる。

 この状況を、私は利用するだけ。それだけなのである。

「マサキさんとジュンさんは、ミナさんを殺した罪を暴いた後、あなたを自殺に見せかけて殺すつもりだったんです」

「なんですって?」

 あの二人が、スミエの夫が引き起こした事故で亡くなったサクライアカネの遺族であること。これは、あえて言わなかった。その方が、スミエの心に罪悪感を産むことはない。

 その代わりに…

「さっき、スミエさんが出ていかれた後にマサキさんが言っていました。彼、管理人からミナさんの死の責任を取るよう強く言われたんだそうです」

「は?」

「責任の程度は分かりませんが、どうやらかなりのもののようで。あなたがミナさんを殺した、それが確信できた段階で、あなたがミナを殺して自分も命を絶った。そういう形にしたかったらしくて」

「そうすれば、自殺サイトの件も警察にバレることがない…」

「そうです」

 私が首を縦に振ると、彼女は反対に首を横に振った。

「ふ、ふざけてる」

「ええ」

「何が追放よ。もとから、私を殺すつもりだったって訳ね」

「そのとおりです」

 憤り肩を震わすスミエに私も同意する。そうしてから、私は彼女に一つ、ある提案をした。

「やられる前に、やりませんか?」

 憎々し気な表情が、ぽかんとしたものに変わる。そんな彼女に、私はポケットから、あるものを取り出した。

「ナイフ?」

 俗に果物ナイフと呼ばれる、小さいサイズのものである。自宅から、護身用に持ってきたものだった。

「彼らはスミエさんを殺さなければ、ミナさんが死んだ責任を負うことになるんです。たとえここで一度逃げたとしても、彼らはこの先必ずあなたのことをつきとめ、殺そうとしてくるかもしれない。

 それなら、今。やった方が良いとは思いませんか」

 一か八かの提案だった。もしここで彼女が私の話に乗らなければ、この先やらなければならないことの邪魔になってしまう。

 頼む。このまま私の言うことに乗ってほしい。

 しかしそんな私の懸念は、杞憂だったようだ。彼女は差し出したナイフを、すんなりと受け取った。

「そうね、カヨちゃんの言うとおりね。それならやってやるわ」

「そうです」安堵を悟られないよう、強く肯いた。

 相手は二人だが、彼らはスミエを既に捕らえたものと考え油断しているに違いない。隙をつけば、必ず仕留めることができるだろうことも、彼女に伝えた。

 すると、そんな私の顔を、彼女は不審な目で見てきた。

「でも。管理人が黙ってないんじゃないかしら」

「大丈夫ですよ。先の口ぶりじゃ、マサキさんは管理人に、スミエさんのせいとまでは言っていないようですから。それにここで彼が死ぬことは、管理人の言う『責任を取った』に当てはまるとは思いませんか」

「確かに…」

 私の言葉の妙な説得力に、彼女は何度か頷く。

「でもカヨちゃんはそれでいいの?」

「それでいいとは?」

「あなたはマサキさん達の味方だと思っていたのだけれど」

 彼女の罪を暴いたのは実際のところ私である。スミエがそう思うのは仕方が無かった。

「さっきまでは、です」

「さっきまで?」

 私は淡々と、言葉を発する。

「いいですか。元々彼らはあなたがミナさんを殺したことに気付いていた。つまり、私がいようがいまいが、あなたは彼らに糾弾されていたんです」

「あ…」

「それなのに。私に言うなれば探偵役をやらせた。それは単純に、都合が良いから。つまり、私はいいように使われたということです。これには我慢できないです」

「…なるほどね」

 これは本当のことである。それが故に説得力があったのだろう。私の言うことに納得し、彼女は校舎へと目を向けた。

「二人は校舎の中にいるの」

「ええ。今も、まだ」

「そう。それなら私、これから行くわ。カヨちゃんはどうする?」

 スミエに尋ねられ、私は彼女の手に握られたナイフに視線を向けた。

「私は、マサキさんの車にそれと同じようなものが無いか、探ってみます。それから、加勢しに行きますので」

「分かったわ」

 それだけ言うと、彼女は勢いよく車のトランクから飛び降りた。そしてそのまま、校舎内へと消えていった。

 後に残ったのは私だけ。これで、良い。緊張が解けたからか、空気の抜けた風船のように、全身の力が抜けた。適当に適当を重ねた嘘話。それを彼女が信じさえすれば良かった。

 そしてそれは上手くいったはず。本当のことを知る頃には、彼女はもう。

「あと、私がやることは…」

 サトシの車の扉を開け、最前席を物色する。すると、煙草の箱があることに気が付いた。

 彼のものに違いない。私はその煙草の箱をハンカチにくるみ、バッグに入れる。そうしてから、ポケットよりスマートフォンを取り出す。廃校から出たところで、百十番の電話をかけた。


 ——はい、警察です。事件ですか、事故ですか。


「あ、もしもし。すみません、何が起きているのかは、分からないんですが。多摩市〇〇丁目××番地にある廃校で、叫び声や怒声が聞こえるんです。念のため、来てもらえませんか」

 相手の返答を聞く前に、電話を切った。

「ふう」

 ここから近くの派出所は、そう遠い場所ではない。急げば数分でここにやってくるだろう。まだ終わりではない。

 最後の仕上げだ。一息ついた後、つけていたマスクを取りズボンのポケットにそれを入れると、私は最寄りの駅まで全速力で走った。

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