ガン、と。鈍い音が眼下より響いた。それが、自分が手に持っていたスマートフォンを落とした音であると気付いて、慌てて拾う。

「知っているのがおかしいんです」

 屈む私を見つつ、マサキはそう口火を切った。

「おかしい?」

「お母様の死について、カオルさんがです」

「警察から聞いたって言ってましたよ」

「ちなみにカヨさんはどう、お母様の死を知ったんです?」

「えっと」口に指をあて、少しの間思い返す。「そうですね。確か、私も警察から連絡が来て…それで、急いで実家に行って、それから詳しく聞きましたね」

 私の話を聞くと、彼はズボンのポケットから煙草を取り出した。目を丸くさせる私に、箱を見せる。

「吸っても良いですか?」

「あ、え、ええ」

 マサキは喫煙者だったのか。優男的な外見に似合わない、えらく厳ついジッポライターを取り出し先端に火をつける。靄のような細長い煙が、微かに立ち上る。

「通常」ふう、と白い息をマサキは吐いた。「人は死ぬと、近しい血縁者に市役所や警察から連絡がいきます。既に離縁している相手や婚約者に、連絡はいかないものですよ」

 私が唖然としていると、「経験上の話です」と彼は付け足した。

「だから、警察から連絡を受けたという、彼女の話はおかしい」

「念のため、姉にも連絡をしたってことも…」

「それならどうして、お姉様はお母様の死に立ち会わなかったのでしょう。連絡があったにも関わらず」

「…多分、興味が無かったんだと思います。彼女にとって、母はもう、赤の他人でしかないし」

「実親の死は、相続が発生する話です。離縁していても、そうです。それを考えると、連絡を受けたにも関わらず、だんまりというのはおかしな話だと思います」

「でも…」

「カヨさん」

 強い口調で、マサキは私の名前を呼んだ。私は思わず、口をつぐんだ。

「認めるべきです。彼女は、お母様の死に関与していると」

 彼がそう話している間、私の中では様々な感情、思いが錯綜し、渦を巻いていた。

 しかし実のところ、彼の言うことには、腑に落ちることがあった。当時、カオルとは再就職の件で頻繁にやり取りをする仲だった。私が母の死の件で実家に帰っている間、彼女は実家に現れなかったし、一言もそれに触れなかった。

 彼女が母の死を口にしたのは、別れ際のあの時だけだ。

 ―—一応血縁だもん。私にも、警察から話があったの。

 母の死について、警察は私にしか伝えていないと言っていた。それは本当だったとすれば。

 ―—母さん、階段から落ちて亡くなったんでしょ?

 心臓が、私の体の中で跳ね回る。はぁ、はぁと、呼吸が荒くなる。

 私も、警察も連絡をしていない。となると、母の死、死の状況も含めて、そうだ。それを知っているのは遺族である私。警察。実際に遺体を目で見た第一発見者。

 …それか、母を突き落とした張本人。

「ちなみに、第一発見者は誰だったんですか」

「確か、近隣に住んでいる方のはずです」

「それがカオルさんではないのであれば、彼女がそれを知った理由は、もう一択しかない。

 カオルが母を突き落とした。

 だからこそ、母が亡くなったことを知っていた。

 顔を青ざめる私を見て、マサキは申し訳なさそうに眉をハの字にした。

「私の考えが全て正しいなんて言い切れませんが。お姉様とは、改めて話し合った方がいいですね」

「でも…」

 私は正直なところ、気が進まなかった。カオルとは一ヶ月前に喧嘩別れをして以来、会っていないのである。突然呼び出して「お母さんを殺したの?」なんて訊いても、「殺していない」としらを切られることは目に見えている。

 そのことをマサキに告げると、彼は少し考えた後「それなら」と声を上げた。

「こっちも、同じようにやればいいんですよ」

「同じように?」

「スミエさんにやることと同じように、です。…ちなみに、お母様の死因は何だったんですか」

「え、その。階段から落ちた時に、首を折っちゃって、ショックでって聞きましたけど…」

 言っていて気分が悪くなる。そんな私のことなどつゆ知らず、マサキはうんうんと肯いた。

「もし本当に警察から話を聞いているなら、死因についても知っているはずでしょう。でもそうじゃなければ。つまりそこまで喋らせれば、ぼろが出る」

「でも…どうやって」

「大丈夫です」

 彼は煙草を携帯灰皿の中に入れて立ち上がり、私の肩に手を置いた。一瞬どきっとする。

「頭の回転が早い人間は、自分と真反対の人間に対して、激情的になりやすい」

「は、へ?」

「やり方としてはこうです。まず、結論を相手にぶつける。『私の母を殺したのはあなただ』と。いきなりね。

 そうなると、相手の頭には必ず『何故?』と疑問が浮かんでくる。その疑問からくる質問に対しては、一生懸命馬鹿を演じてください。自分の質問の意味を理解してもらえない、疑問が解消されないというのは、かなりのストレスになります」

 彼の意図は何となくでしか理解できなかったが、要するに彼女に、少しずれた発言を繰り返せば良い。そういうことだった。

「そうすれば、油断が生じるでしょう」

「でもそれをした結果、話にならないって逃げられそうな気もするんですが…」

「いや、彼女は逃げないと思いますよ」

「どうしてです?」

「彼女が本当にお母様を殺しているなら、あなたがそれに勘付いたこと自体、不安で仕方がないんですよ。だからこそ、あなたがどこまで知っているのか…あなたの話を詳しく聞きたいと思うはずです。私がお姉様なら、間違いなくそうします」

 きっぱりとした言い方をするだけあって、彼の言い分はそのとおりだと納得させられる節があった。


 カオルが…本当に?


 ごくりと生唾を飲み込み、おさまりそうにない胸に、そっと手を置いた。

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