10

 

 信号が青に変わる。車は動き出す。

「…え」

 思わず声が漏れた。マサキは私をちらりと一瞥し、前方に視線を戻した。

「驚かせてしまいましたか」

「ど、どういうことです」上擦った声でそう訊くと、マサキは風船から抜ける空気みたいに、か細い声で続けた。

「私にバレた途端、彼女は謝るどころか開き直りまして。私が浮ついた心を持ってしまうくらいに、あなたには魅力が無かったとか。あなたよりも、もっと好きな人と出会ってしまったのだとか。他にもなんだか色々と言っていましたが、その時にはもう、何も耳に入らなかった」

 言葉に窮していると、誰かが私の肩に手を置いた。ジュンである。

「大丈夫だよ、カヨちゃん」

「えっ」

「マサキさんは人殺しだけどさ。おおよその人柄は、一度話してみて、わかってるつもりさ。この人、誰彼構わず殺すような、頭のおかしな人じゃないって。もしそうだったら、俺達はもう死んでるよ」

 そう諭されようとも、マサキもジュンも、今日が初対面の間柄である。マサキに害がないかどうか、ジュンが主観的に判断しているに過ぎない。故に「はいそうですか」と、簡単に納得することはできなかった。

 しかし、とりあえずこの場では相槌をして、表向き同意したように見せる方が良いだろう。ぎこちなさは隠せなかったが、肯いておいた。

「ジュン君、ありがとう」と一言呟いたあと、マサキはハンドルを右にゆっくりと回した。車も同じように、ゆっくりと右へと移動する。これから山道に入っていくようだ。街灯はあるため、そこまで暗い道ではない。

 ブオオオ。坂を登るために、マサキがアクセルを強く踏み込んだようである。エンジンの音が大きくなる。私の心の不安も、大きくなっていく。

「でも。でも、ですよ。殺してしまって何を言っているんだって思われるかもしれませんが、私には、彼女以外に運命を感じる人はいなかったんです。彼女を愛していた。いや、殺した今でさえ愛している。それがはっきりと分かった途端」

「途端?」

「死のう。そう思ったんです」

 このまま恋人がいない人生を歩んでも、何の意味も、価値も無い。そう考えた彼は、最終的に死を選ぶことにした。

「死んでしまえば、彼女と同じ世界に行けるんですよ。はは、それなら、死んだ方が良いじゃないですか。誰もが死んでいる世界なら…彼女も流石に浮ついた心を持つこともないでしょう。一生、私達は愛し合って暮らすことができます」

 彼は嬉々とした声色で言い放つが、私はそんな彼に少なからず恐怖を感じていた。

 事の発端は、恋人の不貞であることに間違いはない。だからといって、恋人を殺害して良い理由にはならないし、そんな彼女のもとに行くために、自殺を考える彼は、まさに狂気じみていた。

 そもそも、そうだ。彼の自殺願望に込められた思いは、自分のそれと、ベクトルが異なるのだ。

 現実に絶望している点は、ここにいる誰とも同じだが、私は「死ぬ」ことが目的であって、その先になんて何も無いし、考えた事もない。対してマサキにとってみれば、「死ぬ」ことは手段に過ぎない。死んだ後に、あの世で恋人と再会することが目的なのである。

 …少なくとも、他の三人は自分と同じ考えに思えた。だからこそ、一人異端な考えを持つ彼のことを余計に理解できなかった。

「でも、分かる気がする。あたしもマサキさんと同じ立場なら、そんなむかつく恋人なんて殺しちゃうかもしれないし。でも後々後悔して、死んで恋人のもとにいきたいとも思っちゃうかも」

 私は思わずミナに目をやった。私の様子など気にすることもなく、彼女はマサキに同意するようにうんうん頷いている。

「俺もそう思う」

「マサキさん、辛かったのね。でも、もう少しだから…」

 ミナがマサキの意見に同意したことを皮切りに、まるで小鳥達のさえずりのように、スミエやジュンも同調する。マサキは照れているのか、分からないが「分かってくれて嬉しいです」と微かにはにかんだ。

「カヨちゃんもそう思うよな」

「あ。は、はい。え、えっと?」

 一人ぽかんとしていたところ、ジュンに話しかけられ、びくっと体を震わせる。

「マサキさんの気持ち、分かるよな」

「あ、ええ、ええ」声がどもる。「恋人さんも、マサキさんが同じ場所に来ることを待っているのかもしれません」

 本心では、理解できなかった。恋人に裏切られたことは悲しいことに違いない。が、衝動で殺めてしまうなんて…そして、そんな相手に再会するため、死のうと思うなんて。到底理解できる気がしなかった。

 そんな私の歯に衣着せた言葉を聞いて、マサキは「ありがとうございました」と、小さく息を吐く。

「私の話も終わりです。さあ。あと少しで着きますよ。降りる準備をしてください」

 心に生まれたもやもやとした感情をそのままに、私と自殺志願者四人を乗せた車は、目的の場所に到着しようとしていた。


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