第2章 実行


 自宅から歩いて数分の距離にある、古民家こみんか風のカフェ。SNSでよく、若い女の子達が写真をアップロードしている、お洒落なカフェだ。

 私は雨に濡れた傘を畳みつつ、ウェイターに案内された席に座る。視線を巡らせると、周囲は話に花を咲かす女、女、女。誰も彼もが、大した悩みも無さそうな顔で、空っぽの頭のまま、空っぽの言葉を吐き出し、歯茎を見せる程に笑っている。

 …ここにいる誰だって、まさか私が昨夜、自殺を決行した人間だとは思いもしないだろう。幸せに満たされた笑顔と明るい暖色系の光で満たされた雰囲気の店内。空虚な心と暗い面持ちの私。ここに自分がいることが、ひどく場違いなように思えてならなかった。

 テーブルの上に置かれたグラスの、縁についた結露に指を這わせた。ひんやりとした水滴が指につく。先程からしきりと貧乏ゆすりをしてしまう。落ち着かない。


 彼女は、まだ来ない。


 昨夜、マサキに聞いたあの話。確かに彼の言うことには、一理どころか百理もあった。思えば、昨夜自殺することができずに終わったのも、それを確かめておけという神の思し召しだったのかもしれない。

 ——でも、まさかそんな。

 間違っていてほしい。そう願いつつも、こうして呼び出している以上、心内にその疑念が少なからずあるのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

 その時、入店を知らせるベルの音が店内に鳴り響いた。同時に、全身に軽く鳥肌が立つ。

 ちらりと、入口へと視線を向ける。

 来た。

 グラスに入った水を急いで飲み干し、喉を潤した。落ち着け。大丈夫、大丈夫。自身の心に強く訴えかけたところで、自分の座っている席のテーブルに彼女がやってきた。

「カヨ。久しぶり」

 心なしか、声色が冷たいようにも思える。それもそうか。あんな別れ方をしたのだ。呼び出されて気分が良いものではないだろう。

 私は軽く会釈をした後、

「そこ、座りなよ」

 目を合わさずに正面の席を指差す。彼女は無言で椅子を後ろに引き、ゆっくりと座った。

「要件は?」

「え?」

「要件よ要件。私を呼んだのは、どういう風の吹き回し?」

 足を組み、彼女は眉間にしわを寄せて私を睨んだ。

「別れ際の態度、忘れたとは言わせないよ。あの時のあんたの様子じゃ、何かしら理由が無ければ、私に会おうなんて言う訳ないもの」

 彼女の言っていることは的を射ていた。私は単純に仲直りがしたいがため、彼女を呼び出した訳ではない。

 テーブルの下で拳を強く握る。緊張からか、胸が破裂しそうな程高鳴っている。落ち着け。焦るな。何度も心に強く呼びかける。

 大丈夫。私は前を向いた。

「カヨ?」

 心配そうに眉をハの字にする彼女。そんな彼女に、私はとうとうその話を切り出した。

「あのさ。お母さんが亡くなったの、知ってるよね」

「知っているも何も、うん。そうね」彼女はこほんと咳払いをした。「事故だったのよね。階段から落ちたとか、なんとか」

 そこで私は大きく息を吸い込んだ。

「お母さんは事故じゃなかった。殺されたのよ」

 呆然とする彼女。そんな彼女の鼻先に、私は人差し指を突きつけた。

「あなたが殺したのよね、カオル」

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