第6話 ホストの指名替えは傷害事件を招く

 内田おばさんは話を続けた。

「入社してから一か月後、私は婦長室に呼び出しを受けたの」

 息子佳紀は、真剣な顔で聞き入っていた。

 自分の母親のピンチを救いたいという思いがあったのだろう。とするとホストである佳紀もそういった女性客を心配をする優しさを持ち合わせているのだろうか?


「婦長が深刻な顔で私に尋ねた。

 なんでも看護師の食べ残しの残飯を、勝手に食べているのではないかという情報が入ってきているの。

 まあ、先輩七十代婆さんの仕業でしかないと思うけどね。

 私の先輩の婆さんは、看護師相手にヘルパーのあることないこと悪口を言うことで、なんとか首をつないでる人だから。

 それに、私が入ってきてからというもの、仕事の指名がかからなくなったという妬みと不安もあるしね」

 佳紀は納得したように、頷いた。

「ホストにとって指名がかからないのは、死活問題だよ。

 客からの指名がなかったら、売上ゼロになってしまう世界だからね。

 しかし指名本数ナンバー1でも、女性客から多額のつけを踏み倒され、給料ゼロ、借金だらけのホストなんてザラにいるよ。

 だから、指名替えなんて許されない世界だ。それをされたホストが、待ち伏せしてアイスピックで後頭部を刺されたなんていう悲劇もあったくらいだからね。

 まあ命の別状はなかったが、殺人でもおこったら店の責任にもなるしね」

 内田おばさんは言った。

「話の続きね。ゴマすり婆さんは、中傷癖があるの。

 次は看護主任が呼び出された。

「この人のことは皆、怖い顔でにらむ変な人が入って来た」という噂が出ています。しかし、嫌いといったわけではなく、皆この人に荷物運びを指名しています」

 佳紀は尋ねた。

「ということは、荷物運びを指名されるたびに、運送会社のように一件につき何円といったように、収入になるのかな? それとも病院内のただの雑用だから、一銭にもならなかったりして」

「佳紀の言うとおり、一銭にもならないよ。私は看護師に都合よく利用されてただけなのかな」

 僕は思わずビンゴと言いそうになったのを、のどの奥でなんとか引っ込めた。

「私は、この病院の利用人じゃないわ。だから一か月で退職したの。

 まあ、そういう婆さんを雇っているということは、そういう人しか来ないということでしかないかもね」

 Wビンゴである。

 だいたい、労働条件の悪いところは、早く辞めていく人が多いので、残るのはあまりロクな人間しかいないと相場が決まっている。


 内田おばさんは話を続けた。

「私はその「看護師全員から怖い顔でにらむ変な人」という評判について、看護主任からしつこく「なんで、なんで」と尋ねられた。

 まるで犯罪者か、精神異常者みたいだったわ。

 多分婆さんが、看護師全員に私の妙な中傷を言いふらしていたに違いなかったからだわ。婆さんは看護師全員に、製氷機から盗んできた氷を飲み物に入れ、給料日になるとたこ焼きをプレゼントしたり、喪服を貸したりしているの」

 息子佳紀が、納得したように頷いた。

「看護師ってわがままな患者の面倒をみているせいか、今度は自分が人に尽くしてほしいという願望があるみたい。

 だから、ちょっとしたお世辞やお愛想に弱いというな。

 女性客のなかには看護師がいるが、ああいう人って確かに甘い言葉に弱いな。

最初に医者や患者の愚痴を聞くことにしている。

すると、すぐシャンパンを降ろしてくれるよ」

 ゲッ、シャンパンというと最低でも十万円、ピンドンになると三十万円するんじゃないか。看護師の給料では無理じゃないか。


 内田おばさんは、突然憤ったように言った。

「いちばん腹がたったのは、サービス残業いわゆるタダ働きを強要されたことよ。

 私は、定時より十分後に退社したの。そうしたら翌日、看護副主任から呼び出しを受けたわ。

 昨日、タダ働きをしなかったろう。これは先輩ヘルパー(婆さんのこと)との約束だろう」

 私は婆さんとそんな約束などした覚えはない。

 だから思わずキョトンとした顔で「はあ?」と言った。

「はあ違うだろう。すみませんだろう」

 私は一応すみませんと言ったわ。まあその前日に退職届を出したから、今さら口論しても仕方がないからね」

 この副主任も、婆さんの甘言に騙されていたのだろうか。

 内田おばさんは、話を続けた。

「私が退職する前日、その副主任は「もうしんどいし、やる気がない」と言ったわ。婆さんは、看護副主任のそんな弱い状態につけこみ、うまくだまして私に謝罪を強要させたのよね」

 息子佳紀は、ため息まじりに言った。

「僕らホストの世界でも、酒に酔ったりすると女性客にだまされて、多額のつけを押し付けられるんだ。このことは、長年ホストをしている人でもあり得るよ。

 いや、長年ホストをしている人ほど、つけのわなに引っかかるものだよ」

 僕と内田おばさんは、思わず同時にため息をついてしまった。

 ホストというのは、ため息だらけの世界なのだろうか。

 だから、早いうちに金を貯めて引退するのが筋なのだろうか。


 僕は、少しお世辞まじりに言った。

「佳紀君って、なんとなく癒し系というか、深刻な悩みを相談できそうだな。

 この人になら、心の苦しみをわかってもらえるという安心感がありそうだな」

 佳紀は答えた。

「そうだな。僕は二十歳越えてからなぜか初対面の若者に、悩みというか愚痴を相談されることが多くなってきたな。 

 僕自身が、心に葛藤を抱えていた時期があったからな」

 佳紀の母親である内田おばさんは答えた。

「そうね、私もこの子には苦労させてるものね。

 小学校六年のときに父親が行方知らずになり、それ以来母子家庭だものね」

 佳紀は言葉を返した。

「そんなの、苦労のうちに入ってないよ。

 そりゃあ、僕はそのとき父親に捨てられたなんて嘆いたものだよ。

 しかし、中学のときちょうど僕と同じ環境のサッカー部の先輩がいたが、今やそおの人は運送会社常務取締役だよ。

 まあ、昔から男気のある奴で、弱い者の味方みたいな奴だったがね」

 僕は口を挟んだ。

「そういえば、昭和の大スター山口〇恵もいわゆる妾の子だったし、今や通販王といわれている保阪尚〇も、五歳のときまで裕福だったが、両親が自殺してから親戚に引き取られたいうな」

 内田親子は、僕の話に聞き入っていた。

「小学校五年の頃から、ハツカネズミや魚をとって、それをデパートに卸売りして稼いでたというな。ハツカネズミは名の通り、二十日しか生きられないんだ。

 中学のときは、パスタ店でコックのバイトをしていたらしいよ」

 内田親子は、興味津々で僕の話に聞き入ってくれている。

「そんなとき、スカウトされて十四歳のときアイドルとしてデビューし、そののち俳優になったんだ。

 高校は、苦労して卒業したというよ」

 内田親子は、まるで申し合わせたように口を揃えて言った。

「まあ、どんな環境に置かれても成功している人はいるわね」

 僕は思わず

「しかし、どんな環境であろうと悪事を犯した人がなかなか立ち直れないな。

 幸い、僕の親父はアウトローから牧師になったという結構な有名人で、今は更生活動しているが、立ち直れたのは神のおかげだというよ。

 反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。

 僕の親父もイエス様がいるから、今こうやって生きている、いや生かされてるんだ。親父は自分が悪の世界に入って苦労してきたから、悪の報酬がどんなに辛く悲惨なものかよくわかっているんだよ。

 まさに「罪の報酬は死です」(聖書)」

 ちょうどそのとき、向こう側のテーブルでこちらをみていた中学時代の元優等生 福井ゆあが涙ながらに近づいてきて、佳紀に言った。

「あなたホストでしょう。実は私、ホストにふられたばかりの失恋中なの」

 佳紀は一瞬たじろいだが、

「ホストにふられるのは失恋でもなんでもない。ただあなたに金銭的な用がなくなっただけにすぎないのです。

 もしかしてこれも悪質ホストのやり口かもしれませんよ。

 最初は優しくしておいて、次は冷たくして相手の気をひこうとする。

 よくある手ですが、女性客はこんなに優しくしてくれたのに、どこか私の落ち度があるのではないか。冷たくされるのは、私のせい、私の性格、言動に問題があるのではないかと思い込んでしまう。

 そしてあたかも、私はホスト君を傷つけたのではないか、悪者は私であるという妄想にかられてしまう。

 今度来店したときは、このホスト君のいいなりになり、シャンパンを卸し多額の金を遣わそうとする手口ですよ。

 悪質ホストが、女性客に大金を遣わせる典型的な罠ですよ。

 しかしこの罠にひっかかるのは、たいてい同性の親友がいない女性が多いですね」

 まあ、そうだろう。 

 同性の友人がいて、つきあい方を知っている女性は、このようなあいまいな罠にひっかかったりしないだろう。


 エデンの園で最初に蛇の甘言にひっかかって、神のいいつけに背いて禁断の木の実(リンゴだと言われているが、イチジクかもザクロかもしれない)を食べてしまったのは男性であるアダムではなく、女性であるイブだった。

 

 主である神が造られた動物の中で、蛇が最も賢かった。

 蛇に身をやつした悪魔は、女の所に来てこう言った。

「神様はあなたがたに、園の中にある木からは、どれも食べてはいけないと、本当に言われたのですか?」

 女は蛇に答えた。

「いいえ、園にある木の実は食べても構いません。

 ただ園の真中にある善悪を知る木の実については、それを食べてはいけない。

 それに触ってもいけない。その禁を犯せば、あるいは死ぬかもしれないと、神様は仰せられました。

 すると蛇に身をやつした悪魔は言った。

「死ぬなんてことはありませんよ。それを食べたら、今まで見えなかったものが見えるようになりますし、あなたがたが神様のようになって、善悪を知ることができるようになることを、神様はご存じなんですよ」」(創世記3:1-6現代訳聖書)


 今でも蛇のささやきのように、女性は「努力しなくても、これさえあれば賢くなれる」という誘惑に弱い。

「受験のバイブル(聖書)」のうたい文句の通り、やはり聖書は人生の地図である。

 人生で、もっとも安全で近道を教えてくれる。



 











 

 

 



 

 



 

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