視線

翡翠琥珀

視線

※ホラー表現があります。ホラー苦手な人は閲覧注意です。


 ぼくはとにかく視線が怖い。電車に乗っていても見られていると思ってハッとつい周りを気にしてしまうし、道を歩いている時でさえ、すれ違う人にチラリと見られている気がして、心臓がキュウッと縮む感じがする。


 あまりに気になるので、友人に相談してみた。


「それは、お前の気にしすぎだ。視線が怖いなんて、俺は感じたこともない」


 あいにく、この友人はぼくとは正反対の性格だ。ぼくが気にすることでも、友人は

一切気にしない。たとえばぼくが外に出たあと、ふと「家を出るときに、鍵はちゃんと閉めたっけ?」と気にしてしまうことでも、この友人はさほど気にしない。

「そんなこと気にして確認しに行っても、結局鍵がかかっていれば二度手間になるだろう」とのことであった。まぁ、たしかに鍵をかけたかと確認しに行って、結局鍵が

かかってあるんだと、安堵したとしても、タイムロスになってしまう。

 その気持ちもわかるが、でもぼくは鍵をかけたか確認しに行かないと、気が気でなくなるのだ。


 ちょっと話が脱線したが、僕は視線にひどく敏感なのだと思う。友人の言う通り、気にしすぎだと自分でも思うが、それでも気になってしょうがない。


 どうすればいいのだろう。ぼくは、視線に恐怖しながら日々を過ごすしかなかった。


 まぁ、サングラスとかかけてれば多少はマシになるのだろうか。


    *


 ある日、ぼくはいつものように学校から家に帰るために帰路を歩いていた。

 すると、前から背の高い男性が歩いてきた。


 ぼくは、すれ違うときの人も苦手である。なんとなく、見られている気がして。


 ぼくはなるべく目を合わせない様にしてすれ違おうとした。

 ふと、その時。男性がつけている白い手袋が目に入った。


 あれ、なんでこの人は手袋なんかしてるのだろう。怪我とか、はたまた農作業でも

していたのだろうか。そんなことを考えているうちに、いつの間にか男性とは

すれ違っていた様だ。特に見られているという意識もなかったな。


 ぼくが安堵していると


「すみません。そこのあなた」


 と声をかけられた。え? と思い、振り向くと、先程の男性が微笑を讃えながら何かを持っていた。


「これ、落としましたよ」


 男性は丁寧な口調で、ぼくに何かを差し出してきた。

それは、僕がいつも電車に乗るときに利用している定期入れだった。


「あ……すみません拾ってもらっちゃって。ありがとうございます」


 ぼくはそう男性にお礼を言って、定期入れを受け取ろうとした。


 そのとき、ぼくは男性の腕についている奇妙なものを発見した。

そこに”あるはずのないモノ”があった。


 そこには、『目』があったのだ。本来、腕には目なんてついていない。


 腕についているその目は、ぎょろぎょろと動いている。


「うっ、うわぁぁぁぁ!」


 ぼくは自分の身に何が起こっているのか分からず、ただそう叫ぶしかなかった。


「ん? どうしてそんなに驚くんですか?」


 男性は自分の腕に目が付いていることなど気にしない、といった様子でこちらを

心配している。


 ハッと、ぼくは恐る恐る男性の顔を見た。腕に目があるということは、顔についている目はどうなるんだ?


「何を驚いているんです? ほら、あなたの定期入れですよ」


 心配そうにぼくを見ている男性の顔にある眼窩がんかには、しっかりと両方に目玉があった。


 良かった……と、安堵したのも束の間である。ぼくは定期入れを男性の手から掴み取ると、そのまま一目散に家へと走っていった。


 あれは一体なんだったんだろう……? あの人の腕についている目、流石に見間違いとかではなかったよな?


 家のドアに鍵をかけながら考える。あの目、別に作り物とかでもなさそうだった。

ぎょろぎょろと動いていて、なんか本物の目玉の様だったし……。


 ぐるぐる考えていても、結局あの目のことが頭から離れない。


 とりあえず、もう眠ることにしよう。

 ぼくは、ベッドに入って目を瞑った。



 翌日。休日だったので、学校はない。しかし、ぼくは暇だったのですこし散歩しようと思い、近所をあてもなく歩いていた。


 いつも通学の時に見ている景色だ。緑が綺麗な街路樹。それを眺めながら、レンガ造りの壁がオシャレな家の角を曲がったその時。


 あの、白い手袋をつけた男がまたいる。まるで僕が曲がってくるのを見越していた様にじっと、こっちを見ている。


 時が止まるかと思った。あの男がいると思った瞬間、途端に息が苦しくなる。

まわれ右をして、帰ろうと思っても、なぜか体が動かなかった。


 だめだ。あの人が、きてしまう。


 昨日のことを思い出し、ふらふらと目眩がしてきた。


 もう、倒れる––––と思った瞬間、誰かにガッと肩を掴まれた。


 一体誰が助けてくれたのだろう……と思い、ふと頭上を見上げると

さきほどの、白手袋をつけた男がこちらを見ていた。不気味な笑顔を讃えながら。

まるで人形の様に、その男の笑顔からは生気が感じられなかった。


 しかし、わりと端正な顔立ちをしている。歳は分からないが、異様に顔が青白い。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。早くこいつから逃げるすべを考えないと。


「大丈夫ですか? ふらふらとしていたようですが」


 そいつは心配そうにぼくの顔を覗き込んでいる。はい、大丈夫ですと言おうとしたが、口を馬鹿みたいに鯉の様に動かすだけで肝心な言葉が出てこない。


「ふむ……。返答がないということは、よほど重症な様だ。これは大変。すぐに

”視て”やらねば」


 そいつはそう言ったかと思うと、自分の腕を僕の目の前にかざした。

すると、腕から無数の『目』が現れた。


「うっ、うわぁぁぁ!」


 ぼくは、自分でも聞いて呆れるような情けない悲鳴を上げながら、男の腕から逃げる様に転げ落ちた。


「ははは……そんな、逃げることないですよ……。残念だなぁ。せっかく、”視て”あげられるかと思ったのに」


 男は不気味に笑いながらも、こちらに微笑みかける。


「や、やめっ……くるなぁっ!」


 ぼくは必死に逃げようとしたが、もう身体が言うことを聞かなかった。

身体が動かないのだ。


「大丈夫でス……別に痛いことはなにもしませんカラ……」


 そう言って男は、自分の腕を尚もぼくに近づけようとする。

 腕についている無数の目が、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。

まるでぼくのことをじっくりと観察している様だ。


「う……うるさいっ!」


 精一杯の抵抗だった。今まで発したことのない様な大声をあげることができた。


 その声に面食らった様に、男は一歩二歩と後ずさりをした。


 今がチャンスだ! 僕はそう思うと、残った力を振り絞って立ち上がり、ダッシュでその場から離れた。


「アァ……ニゲラレチャッタ……」


 ふと、そんな声が聞こえた気がした。それは、人間の声とは思えないような声だったが、もう振り向いて確認するのも怖かった。



     *



 あれから数日。あの男は一体なんだったんだろう。ぼくは、あの男がまた現れないかと、しばらくは外に出ることも怖くてできなかったが、友人の助けもあり、徐々に

外に出ることができるようになった。


「お前さー、一週間も学校こないなんて一体どうしたんだよ? 俺、めっちゃ

寂しかったんだけど⁉︎ メッセも送ったのに、返事くれねぇし」


 そう言って拗ねた友人の姿に、ぼくは安堵感を覚えていた。この一週間というもの、友人はおろか、まともな人間に一人も会っていなかった。一人暮らしだし、ご飯の調達は宅配を使っていた。そんな有様だったから、流石の友人も見かねて、ぼくの家に突然きてくれた、というわけ。


「ご、ごめん……。ちょっとさ。怖いことが起こって……。実は、腕に目がある男を見たんだ」


 どうせ信じてくれないとは思うが、一応友人にはあの男のことを打ち明けてみた。


「なんだよそれ! 冗談にしても下手すぎるだろ!」


 案の定、友人は信じてくれなかった。


「いやいや、本当なんだって!」


 ぼくは必死で弁解した。


「ぼくは二回も見たんだよ! 一回目はたまたますれ違った時! 二回目は、

散歩中に、出くわしたんだ! すごく顔が青白くて、白い手袋をつけてた!」


 しかし友人は信じてくれない。


「どうせ作り話だろ? 騙されねぇって!」


 どうすれば信じてくれるんだろう。ぼくはうんと頭を悩ませたが、この友人は

お化けとかの類も信じない奴だ。すぐに心霊番組やお化け屋敷などを怖がるぼくとはタイプが違うことに、今更気づいた。


「はぁ……もう分かったよ。信じてくれなくてもいいからさ」


 ぼくは友人を説得することを諦めた。

 結局その日は、他愛無い話をして友人とは別れた。



       *


 数日後。ぼくは久しぶりに外出してみた。いつでもあいつに出くわしたときに、逃げられる様に警戒はしているつもりだ。


 とりあえずコンビニにでも行って、お菓子でも買おうかと目標を立て、コンビニへと向かった。


 歩きながら周りをチラチラと確認してみるが、あの白い手袋に青白い顔の男はいなかった。


 そのまま何事もなくコンビニに入り、適当にポテトチップスやチョコレートをカゴに入れ、レジへと持っていった。


「ありがとうございましたー」


 店員さんのにこやかな笑顔に見送られ、ぼくはコンビニを出た。


 あれ……? ぼくはハッとした。今のぼく、自然と店員さんの目をちゃんと見ることができていたんじゃないか? それに、いつもはあんなに気になる通りすがりの

人たちの視線も、今日はさほど気にならないような感じがする。


 ぼくは、いいようのない不思議な感覚に包まれていた。あんなに怖いと思っていた

他人の視線が、今日は怖いとは感じない。


 なんでだろう。あの男のことを考えていたから、他人の目がさほど気になっていなかったのだろうか。


 それとも……


 あの男と会ったことで、他人の視線が気にならない術でも受けたのだろうか。


 ふとそんなことを思ったが、いやそれは流石にないな。と思い直した。


 さすがのぼくでも、そんな空想家な人間ではない。いくらあの男が怖いとはいえ、

自分の都合の良い様に物事を解釈しすぎだ。


 僕は精一杯空気を吸うと、再び家へと歩き出した。


       *


「あーあ。せっかく”視て”あげたかったのにナァ」


 そう『目』は言う。


「はい。今度こそは、うまくいくと思ったんですけどねぇ……。なかなか、うまいこといきませんね」


 あたかも友人と話す様に顔の青白い男は、を眺める。


は、うまくいくと良いけドネ……」

「本当です」


 顔の青白い男は、また自分の腕を見て、不敵に笑った。


「この白い手袋もしてましたけど、意味なかったですね。あなたを隠すために

つけていたはずなのに、腕にあなたが来ちゃったら意味ないでしょう」


 顔の青白い男は、手袋を外して言う。


「そりゃあね。毎日手袋をつけられてたら、視界が遮られてたまったもんじゃない。

たまにはオレだって外の世界を見たくなるさ」


 目は、そう不満げに言った。


「まぁ仕方ないですね」


 男も仕方なさそうに笑った。


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