第3話

「なあ、おい!」


 あと少しで商店街を抜けるというところで拓海はすれ違った人間に声をかけられたことに気が付いた。


「ん?」


 無視してもよかったが、拓海はその場で止まり振り返る。

 この辺りは人通りこそ少ないものの、治安の良さでは県内でトップクラスのエリアだ。安心して知らない人と話すことができる。


「なんすか?」

「ああよかった! てっきりそのままいなくなっちまうのかと思ったよ!」


 拓海に声をかけた人物は男だった。黒を基調とした和柄のアロハシャツにジーパン、髪は金色に染めてウェリントン型のサングラスをかけている。見るからに素行の悪そうな人間だ。拓海よりだいぶ年上に見えた。


「ちょっち悪いんだけどさ」


 そこまで聞いて拓海はカツアゲされるのではないかと緊張が走る。今の状況はどう考えても不良に絡まれる中学生だ。拓海は高校生だが背はそこまで高くない。目の前にいる不良青年に中学生と思われているかもしれない。


「ずいぶん前にこの辺りで隕石が落ちた話知らない?」

「は?」


 拓海は自分の体から緊張が抜けていくのを感じた。カツアゲはされないようで安心したものの、この男の言うことが理解できなかった。


「隕石、ですか?」

「そう、隕石! 宇宙から降ってくる石ころだよ」

「いや、それは知ってますけど」

「隕石を知ってるなんて最近の中坊は物知りだな」


 隕石くらい知っていると反論したかったが、その前にこの不良青年はやはり拓海のことを中学生だと思っているようだ。


「それで、そんな話は聞いたことないか?」


 彼はそう言いながらおもむろに懐からタバコを取り出し、一服し始めた。条例で路上喫煙は禁止されているはずだが拓海に注意するだけの度胸はない。


「んー、知らないです」

「そうか、時間取らせて悪かったな。もう行っていいぞ」

「はぁ」


 結局不良青年はなにを目的に隕石の話をしていたのかわからなかったもの、拓海には関係なかった。早いところ夕飯にしたかった。


(隕石、か)


 拓海は自転車に乗りながら隕石のことを考えていた。じつのところ、拓海は嘘をついている。


 この街には一回だけ隕石の話で盛り上がった時期がある。それは拓海が生まれた年、つまり今から十五年ほど前のことだ。ある日空から光り輝く物体が落ちてくるのをこの街の住人が大勢確認している。それは空中で消えてしまったらしいが、当時は隕石が降ってきたと話題になったと母親は語っていた。ただそれだけの話だ。隕石がどこかに落ちて被害を出した話はない。おそらく空中で燃え尽きたのだろう。


 この街の出来事を調べればわかることだ。拓海が親切に教えなくてもあの不良青年がその気になれば図書館なり市役所なりですぐに情報を得られるだろう。









 家に帰り母親と夕食をする拓海。彼は食事中だというのにあまり箸が進んでいない。


「拓海くん? ご飯冷めちゃうよ?」

「あ」


 母親の声で拓海は我に返った。隕石のことを考えていたのだ。不良がなぜ隕石を調べていたのだろうか、と。もしかしたら拓海が不良だと思い込んでいただけで、彼は記者だったのかもしれない。人間見た目で判断するべきではないのだ。

 目の前にいる母親もそうだ。彼女は拓海から見ても美人だと思うほど顔つきが整っている。誰が見たところで上辺しか見ていないはずだ。

 拓海の母親は家事を中途半端にしかできないうえに心を病んでいる。蒸発した父親がいつまでも忘れられないようで、よく拓海に昔話を聞かせてくる。死んでいるか別れた夫の話を聞くのは小さいころの拓海には興味深々の話題だった。だがそれも十五年も続けばどうだろうか。

 拓海はもう彼の父親の話題はうんざりだった。どうあがいても帰ってくることはない人間の話をされて、いつまでも興味を持ち続けていられるだろうか。

 もしずっと忘れられない人間がいるとすれば、それは少々心を病んでしまっている。少なくとも拓海にはそう思えた。


「そういえばね、あなたのお父さんのことなんだけど……」


 また父親の話だ。


「いい加減にしろよ」

「……え」


 食卓に冷たい空気が流れる。拓海は箸を置き、席を立つ。


「どうせまた死んだ奴の昔話なんだろ。聞き飽きたんだよ。そうやって同じ話しかしないのって、お母さんが一日中引き籠ってろくに外出してないからじゃないの?」


 言いながら拓海の心はやすりをかけられたかのようにすり減っていく。母親も目を丸くして動かない。


「話のネタがないからって同じことばっかり聞かされる俺の身にもなってよ。ごちそうさま」

「あ、拓海くん……」


 母親が呼び止めるも拓海は無視してリビングから出ていった。


 本当はこんなこと言うつもりではなかった。ただ飽きた話をしないでくれ、と言えばよかったのだ。もっと別の言い方があるはずなのに、と拓海は階段を昇りながらすでに後悔していた。






 二階の自室に戻りベッドに横たわる。


「……はぁ」


 このまま寝てしまおうかと思ったものの、ひたすら気分が悪い。


 後悔してはいるがあんなこと言ってしまった直後にごめんなさいを言うのはなぜだか彼のプライドが許さなかった。


「居心地悪いな……」


 母親がなにかを言いに拓海の部屋を訪れるかもしれない。今すぐ来られたらまた揉めるかもしれない。

 だから拓海はこっそり家を出ることを決心し、手近にあったパーカーを羽織った。


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