第4話

「どこ行くかな」




 現在の時刻はすでに九時を過ぎており、高校生が出歩くには少し遅い時間だ。こんな時間なら拓海が暇を潰せそうな場所はそう多くない。目立つ場所にいれば補導されてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。これは家出ではなく、ただの気分転換なのだから悪いことをしているわけではないのだ。少しだけ一人になって頭を冷やしたいだけ。




「人がいるところはだめだな」




 拓海は近所に山があるのを思い出した。標高百メートルもない小さな山だ。小学生の時に学校の先生に危ないから行くなと何度も言われた場所だった。




「ちょっとだけ、冒険してみるか」




 彼はそこへ行こうと思い立ち、歩み始めた。片道十分ほどの小さなスモール冒険アドベンチャーだ。


 拓海が山のふもとまでやってきたころ、空気が段々と湿ってきた。朝のニュースでやっていた天気予報では雨は降らないと言っていたが、いつ降ってもおかしくない空模様だ。




「帰ろうかな……」




 気温は肌寒いと感じるくらいに低下し、パーカーを着てきて正解であった。もし雨が降れば、彼は走って家に帰ることになる。体力を使う気はさらさらなかったので、ここまで来て山に登らず帰ろうか考えていた。




「いやまだ帰れないな」




 まだ家を出てから十五分もたっていない。さすがに帰宅するのは早すぎるだろうと考え、拓海は山登りすることにした。


 頂上にはあっという間についた。獣道がまっすぐ山頂に続いていたからだ。野生の動物がいるのかもしれない。イノシシだったら嫌だなと思いつつ、拓海は山頂で木々が拓けた箇所からの街の眺めを楽しんだ。


 彼の住む街は治安が良く、拓海のような夜をふらふら出歩く人間は多くない。ふもとの住宅街の半分が電気を消して寝静まっている。まだ九時半にもなっていないのだが、みんな寝るのが早すぎるような気がした。




「あ、違うか」




 どの家も雨戸を閉めているから電気の灯りが漏れていないだけだ。考えればすぐにわかった。自分の間抜けさに思わず鼻で笑ってしまった。




「なんか、こうしてるのがアホらしいな」




 彼の心は穏やかだった。あんなことで親に暴言を吐いてしまった自分を悔やみ、帰ったら謝ろうと心に決めた。




「さて、帰るか」




 悪い子の時間は終わりにして、拓海はまっすぐ家に帰ろうと元来た道へ振り返った。




「あ」




 その道から誰かがやってくる。一人の男がガサガサと草木をかき分けながら、拓海のいる場所に姿を現す。




「やっと着いたぜ。自然なんか大嫌いだ」




 独り言をつぶやくその男に見覚えがあった。拓海がスーパーに買い物に行った帰りに出会ったあの不良青年だ。




「お? なんだお前、ってさっきの中坊じゃねーか」


「あ、こんばんは」




 とりあえず拓海は挨拶をするが最高に居心地が悪い。こんな山で、他に誰もいない場所で不良と二人きりなんて怖くて仕方ない。




「隕石見つかりました?」




 とりあえず当たり障りのない話題で相手の機嫌を取る。無言でいなくなるよりはマシなはずだった。




「そんなんあるわけねーじゃん」




 だが不良はもとから機嫌が悪いようだ。拓海のことを睨みつけてくる。




「隕石が本当に落ちてきたら大事件だろが。てめーはアホか」


「はぁ……」


「世間は隕石だって言ってるけどよ、俺が探してんのは人間だ」


「人間?」




 拓海は不良の話に興味のないといえばウソになるがここは今すぐ退散するべきだった。相槌なんて打っている場合ではないのだ。機嫌の悪い不良がいるだけでこの場を立ち去る理由に十分なる。




「十五年くれー前によ、この辺りに空から人が降ってきたんだ。隕石じゃねー、人が空から落ちてきてんだ」


「その人は死んだの?」


「知るか。俺の仕事はその人間の痕跡を一ミリも残さず漁ってくることだ。だからこんな時間に、こんなクソみたいな山にいるんだよ」


「そ、そうですか……」




 仕事ならこんな山にいても仕方ない。だが拓海には彼の機嫌がどんどん悪くなっているように見えた。




「俺はな、中坊」




 言いながら不良は懐から何かを取り出す。タバコだろうかと拓海は思ったがそうではなかった。もっと他人に直接的に被害を出す危険なものだ。




「人殺ししてた方がよっぽど性に合ってんだよ」




 彼が取り出したのはナイフ。刃渡り二十センチの大きなナイフだ。護身用にしては法律を破るサイズだ。明らかに人を傷つけるためだけに持っているとしか思えない。彼の言葉も危険な空気を作り出すに一役買っている。




「こ、殺すって……その人を?」




 拓海自身、的外れなことを言っているの理解していた。自分に殺意が向けられているのもわかっていた。それでもまだ自分が殺されないと信じたかったのだ。




「バカヤロウ。おめーを殺すんだよ。俺は日頃のストレス発散に人を殺すんだ」


「お、俺を、ころ……!」




 拓海の全身から変な汗が噴き出して止まらない。悪寒もする。




「で、なんでか知らないがこんな人のいない場所でおめーがたまたまいる。そういうわけだ。諦めて逃げまどえ。そして殺されろ」




 ナイフを逆手に持ち直した不良はまっすぐ拓海に向かってきた。




「え?」




 恐怖で足が震える。このままでは殺される。怯えている場合ではない。今すぐ足を動かして逃げなければならない。


 不良はナイフを拓海に向けて振り下ろす。彼の動作が大振りだったので拓海は間一髪でそれをかわすことができた。




「なんだよ! あんたイカレてんのか!」




 拓海の叫び声のような言葉に不良は「そうかもな」とだけ言い、再び襲い掛かってきた。拓海はこれは冗談じゃないとわかると彼に背を向けて走り出した。


 ふもとまでは少し距離がある。拓海とあの殺人鬼との体格差、身体能力を考えればまず逃げ切れない。なんとかして不意を突き、その隙に逃げるしかない。




「もうどうにでもなりやがれぇ!」




 拓海は下り坂で急に止まり、姿勢を低くした。予想外の行動に追いかけてきた不良は止まることができず、拓海の体に足を引っかけてしまう。




「おっ?」




 態勢を大きく崩し、坂を転がり落ちていく不良。すぐに木へとぶつかり止まった。拓海は見ていなかったが、不良は大きな音を立てて派手に激突していた。


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