第61話 別の地獄を生きていた柚子香。

大久保さんがドアに近付いて「どうしました?」と聞くと、ドアを叩く音は聞こえなくなる。代わりに聞こえてきた「開けてください!」と言う声に俺の身体は強張った。


柚子香の声に似ていた。

だが柚子香のわけはない。

俺はこの一年と少し、ずっと柚子香を探してしまっていた。

長髪の客が柚子香に見えて驚き、同じ身長や似た服装の女性が柚子香に見えて慌ててしまっていた。

またそれだと自分に呆れながら、このままではいつになっても柚子香を迎えに行けないと焦る中、ドアが開いた時のベルの音の中で「雄大!雄大は居ますか!?雄大に会わせて!」と聞こえてきた。


全身が痺れた。

柚子香がここに居る?


俺は慌てて店先に出て「柚子香!?」と声をかけると、柚子香はそこに居た。

俺を見た柚子香が「逢えた。やっと逢えた。雄大!雄大!」と言いながら俺に飛びついてきた時、俺は言葉を失った。

柚子香は柚子香だったが見る影も無くなっていた。


艶やかで売ったら同じ重さの金になりそうだった髪はボロボロで、元々痩せ型だったが、もう痩せ型では済まないガリガリの身体。肌もボロボロで病人みたいだった。


俺は声を震わせながら「柚子香?お前…なんでボロボロ…」と聞くと、柚子香は泣きながら「雄大に逢えなくて、大変なのを知って、死にたくて」と言った時、俺は俺の右腕を掴む柚子香の腕を見ると、柚子香の手首には包帯が巻かれていた。


「お前、その包帯…」

「一昨日お風呂場で…。柊に見つかって病院に入れられて…、でも柊が逃がしてくれて、お金と服を持ってきてくれたから頑張ってここまできたの。体力が落ちちゃったから夜になっちゃったの」


一昨日お風呂場で…。それは柚子香が自殺を図った事だった。

二度と柚子香を傷つけないと誓ったはずなのに、柚子香がボロボロで新たな傷を作っていたことで、俺は立っていられなくて崩れ落ちながら「柚子香ごめん」、「俺が早く迎えに行けなかったから」、「ごめん」、「柚子香」と泣きながら柚子香を抱きしめて謝ると、大久保さんがドアを閉じて「まず話せ。何とかしてやる」と言ってくれた。



俺がお茶を淹れようと立ち上がると、柚子香が泣いて慌てるので、「雄大は座ってろ。お嬢さんを寂しがらせるな」と言って大久保さんはお茶を淹れてくれた。


お茶をテーブルに置かれて「話せ」と言われて、俺たちは内春雄大と内春柚子香にあった出来事を一から全て説明した。


「すると…。トラブルの結果、雄大は親に捨てられて、本来の苗字を名乗れずに母親の旧姓を語ってこの一年を生きてきた」

「はい」


「それで大体長くても1ヶ月を過ぎると、嫌がらせが始まって追い出された」

「はい」


大久保さんは俺を睨んで「何故言わない」と聞いてくる。

俺が「言うと…働かせて貰えないと…。最後の定食屋さんでは、話したら給料もなく追い出されたから…」と説明をすると、大久保さんは盛大なため息の後で、柚子香を見て「お嬢さんの一年を教えてくれるかい?」と言う。

柚子香は本当に体力が無くなっていて、キチンと座る事も辛そうに、俺にもたれかかりながら「私は高3になって最初は頑張って学校に行ったけど、夏休みの頃から雄大が心配で、夜も眠れなくなって食事も食べられなくなりました。そして9月になった時、私宛に手紙が届きました。それは私と雄大を遠ざけた風香からの手紙で、8月末までの雄大の事が書いてあって私は卒倒しました」と言う。


「勝田台風香の手紙?」

「うん。雄大が幸せ運送さんで働いて、風香の手の者のせいで出て行った事、満腹さんも、その後の沢山のお店の事も全部書かれていたの」

大久保さんはため息の後で「…狂気だな。それで?」と聞く。


「それでも雄大の願いは私が高校を卒業する事だと思って頑張ったけど、大学生にはとてもなれませんでした。毎月風香からは手紙が届いて、中を読むと、雄大が中華料理屋さんに行った、嫌がらせで中華料理屋さんを追われたって書いてあったの。それでこのお店に来た事を知った後で、風香から「卒業おめでとう。アンタは彼氏を犠牲に卒業したね。きっと彼氏は今の店にもいられないね。栃木、福島、仙台…後は岩手とかだよね。行き場所が無くなったらどうなるんだろうね」って手紙が来て…。もう耐えられなくて、お風呂で手首を切りました」

その言葉に涙を流しながら怒りに襲われていた俺は、怒りのままに「殺してやる」と言葉が口から出ていた。


「雄大!?」

「俺は柚子香と内春の連中が無事でいるなら甘んじるって言ったんだ。それなのに柚子香がボロボロで手首まで切った。約束を反故にした勝田台重夫を許せない」


怒る俺に大久保さんは「殺したらまた離れ離れだな。酌量の余地もない」と口を挟む。


「だけど俺はいいんです!でも柚子香が苦しむことは許せませんよ!」

「だからだ。言ったな内春雄大」


俺が「何を?」と聞き返すと、大久保さんは柚子香を見て俺に視線を戻すと、「お嬢さん、柚子香さんを幸せに守るためなら、お前は人殺しも厭わないんだな?」と聞いてきた。


俺が「はい」と返事をすると、「なら地獄が目の前に待っていたとしても、柚子香さんと添い遂げられる道だとしたら突き進むか?」と聞いてきた。


俺は柚子香を見て「俺は進みます。でも地獄に柚子香を連れて行きたくないです」と答えると、大久保さんは柚子香を見て「柚子香さん。雄大はそう言っているが、雄大のいない世界と、雄大の居る地獄ならどちらを選ぶかな?」と聞く。柚子香は泣きながら「地獄でも雄大といる世界がいいです。1人はもう嫌です」と言った。


大久保さんは「わかった。じゃあ2人には地獄に行ってもらう。とりあえず雄大、今日から3日位店を休む。食材が腐るから、それ使って練習しろ。勝手に食べろ」と言うと、柚子香に「柚子香さん。このバカはまだまだだから料理を食べて酷評してあげてください」と言った。


柚子香が「え?」と聞き返すと「雄大と居ても食欲は出ませんか?」と大久保さんが聞く。


「雄大と居たら食べられそうです」

「それは良かった。雄大はここの2階に住んでます。布団はひと組ですが構いませんよね?」


「え?」

「とりあえず3日間はここに居てください」


大久保さんは言うだけ言うと、俺に「私は用事がある。地獄の準備だ。柚子香さんがここにいる事が地獄の条件だからいて貰え。風呂屋には言っておくから行け」と言って外に出かけて行ってしまった。

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