第3話
「今日はありがとうね、八城くん。入居者さんも『ええ子やー』って喜んでたよ。明日も13時から15時でお願いします」
「はい、こちらこそ今日はありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」
頭を下げると、加藤さんが「何か聞きたいこととかある?」と続けて言う。
聞きたいことは、ある。
もちろん、桜さんについてだ。
さらに言えば、その孫の『シモン』についても気になる。
桜さんはいつからあんな、シモンくんの幻影を追うようなことをしているのか。いつ、孫が死んだことを忘却したのか。
シモンくんはどんな人だったのか。どうして死んでしまったのか。
しかし、明日もその次の日も、夏休みが終わるまではボランティアは続くのだ。不躾な質問をして、加藤さんの心象を損ねるのは避けたい。学校の信頼もある。
それに、孫と間違えられて名前が一緒なだけの、ほとんど部外者な俺が知っていいものだとも思わなかった。
だから俺は「明日のレクリエーションについて、予習しておいたほうがいいものってありますか」と問う。
今日みたいなのが明日もあるのならいいが、たまに将棋や囲碁、昭和歌謡曲のイントロクイズなどがレクリエーションで出るらしいので。
「明日は俳句を作る予定だから、特に予習はいらないかな。季語とか見ておくといいかもしれないけど、ゆるい会だし川柳になっても大丈夫だから」
「わかりました、ちょっと見ておきます。……今日1日、ありがとうございましたっ」
また深々と頭を下げ、荷物を持って老人ホームを出る。
太陽が照りつけるアスファルトを歩きながら、明野の待つ駅へ向かう。明野は俺より2時間早く招集されて小学生の居場所ボランティアをしているはずだが、無事だろうか。
──なんか、遠いな。
歩きながら、ぼんやり思う。ここを通った2時間ちょっと前が、ずいぶん遠いもののように感じる。
知らないお婆さんに孫と間違われる、というレアイベントに遭遇したせいだろうか。
考えながら駅のホームに入ると、すでに明野が座っていた。何やらぐったりしている様子だ。
「明野、大丈夫か……?」
「あ、ああ……。まあ、生きてるよ」
そりゃそうだろう、と思うと同時に、桜さんの『生きてるだけでええのよ』という声を思い出す。
そりゃそうでもないのだ。こんな殺人的猛暑のなか、生きていることは奇跡である。
「子どもってさ、新しく入ってきた人めっちゃ好きじゃん? 俺以外に何人も入ってきてたんだけど、全員女子で。だからいちばん体力ありそうな俺が、男子児童に目つけられてずっと遊んでたんだよ」
もうめっちゃ疲れた、と足を伸ばしてバタバタさせる。
そりゃ大変だな、と他人事のように思う。俺だって心理的に戸惑うことはあったが、体力的には余裕も余裕だ。
本当の介護ボランティアならそうも言ってられないのだろうが、俺がやったことなんて、ほとんど老人と話していただけである。
「今日はこれからカラオケ行くのしんどいわ……」
「大変だったな、涼しい部屋でゆっくりしようぜ」
申し訳なさそうに言うので、こちらも気にしていないという思いを全面に出しながら返す。
──その子どものボランティア、俺が行けばよかったかもしれない。
よろよろと歩く明野のペースに合わせて歩きながら、考える。
明野の辛さを代わってあげたい、という思いが大きいわけではない。折半くらいならしてやりたいが。
それ以上に、『シモン』じゃない人間が行けば、桜さんも見ず知らずの高校生を孫扱いすることはなかったんじゃないか、と思うのだ。
もしかしたら男子高校生なら無条件で孫と認識しているのかもしれないが……。
「何かあったのか?」
「え?」
明野に聞かれて、慌てて表情を明るくする。
隠すようなことではないかもしれないが、友達に聞かせることでもないだろう。守秘義務に抵触するかもしれないし。
「別に何にもないよ。暑いなってだけ。ボランティアは老人の話聞いて、レクリエーションの手伝いしただけだし。しかも入居者さんみんないい人で、俺の担当になってくれた人もめっちゃいい人だったよ。びっくりするほど不満ない」
「うわー、めっちゃ楽じゃん。ボランティア活動実績詐欺だろもうこれ」
「労力的にはそうかもな」
電車が来て、乗り込む。
効きすぎた空調に、生きていることを実感する。
「でもさ、そうやって回復したみたいでよかったよ。高校に行けるかどうかもわからなかったオレたちが、ボランティアだもんな」
しみじみ言う明野に、お前こそな、と返す。
中学生のとき、俺たちは学校に行けなくなった。明野はいじめられて行けなくなったみたいだが、俺は特に理由なんてない。
ただ何となく孤立して、何となく居場所がなくなって、何となく喧騒が苦しくなって、教室にいるのが辛くなった。だから行けなくなった。そんな、ぼんやりした理由くらいか。
──生きてればええんよ。
桜さんの声が蘇る。本当にそうだろうか。
俺は学校に行けなくなったとき、そんなこと言ってくれる人なんかいなかったよ。学校に行け、しか言われなかったよ。桜さん。
心の中で、そう話しかける。隣に座っている明野は、疲労が滲む、でもやりきったような爽快な表情を浮かべていた。
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