中編

 次の日、俺は内勤の当番だった。

 幸い配送の人手は足りていて、しかし夏場であるために電話は引切り無しに鳴っている。

 俺は、配送伝票の確認作業をしながらクレーム電話の対応に追われていた。クレームは、まぁ……納得できるものから単なる言いがかりまで、内容は様々だ。

 そんな中、パートの1人が声をかけてきた。


「あの、リサイクルで預かった冷蔵庫なんですが」


 俺は、差し出されたリサイクル券を受け取った。付箋ふせんが貼り付けられている。そこに書かれていたのは「中身あり」の文字。

 またか、と。俺はため息をつく。繁忙期である夏には、よくあること。冷蔵庫の中を確認せず、食材が入ったまま持ち帰ってしまうのだ。


「川口商会さんから、中を空にしておいてくださいとのことです」


 預かったリサイクル家電をリサイクルセンターに持ち運んでくれる川口商会は、中身が入ったままの冷蔵庫を持ち帰ってくれない。量販店の不手際は、量販店が片付けなくては。


「ん、わかった」


 俺は、リサイクル券に記載された名前を見る。

 細田ほそだ玲弥れいやと、書かれていた。


 おかしい。

 先日回収した時には、中身をきっちりと確認したはずだ。下田しもだは、そういった確認作業を疎かにする奴ではないし、何より俺も同席して、空っぽであることを確認したはず。


 なんで中身が入ってるんだ……?


 俺の思考を遮るかのように、電話がけたたましく鳴った。パートは慌てて席に戻る。

 俺はリサイクル券をパソコンの本体にテープで貼り付けた。


 こんな忙しい時間帯に、確認なんて出来やしない。仕事が一段落してから確認しようと思った。


 ――――――


 とっぷりと、夜が更ける。

 午後9時。大量にある伝票と睨めっこしているだけで一日が終わった。疲れに疲れてため息をつきながら、俺は上司と共に倉庫へとやってきた。

 リサイクル家電を保管する倉庫だ。


「しっかし妙だな。下田しもださんとお前が、そんな初歩的なミスやらかすとは思えんのだが」


「お客さんからも、問い合わせなかったですしね」


 俺は、倉庫のダイヤルロックを外す。鉄の扉を押し開けると、金属が軋む不気味な音が、辺りに鳴り響いた。

 屋外にある倉庫は天井がない。上司と一緒にいるとはいえ、何か変なのが覗き込んできそうで、真っ暗な空は少しだけ怖かった。


「早いとこ確認するぞ」


 上司は俺の肩を叩く。俺はリサイクル券を片手に冷蔵庫を探した。

 大家族用の大きな冷蔵庫。黒いボディは暗い景色と同化して、不気味に佇んでいた。

 俺は冷蔵庫に近付く。冷蔵室のドアに手をかけて、一瞬躊躇った。

 日中は35度を超える夏の日差しの下、冷蔵機能を失った冷蔵庫、その中に入っているであろう食材……腐りきっていることは明白……

 強烈な腐敗臭を想像した俺は、すっかりびびってしまった。


「何してんだ。さっさと片付けるぞ」


 上司が俺の手を払って割り込んできた。

 冷蔵庫のドアを掴み、開ける。昼間のうちに溜め込んだ暖気と腐臭が、鼻を突き刺した。あまりの臭いに喉奥から競り上がってくるものを感じて、俺は顔を逸らす。これは、駄目だ。臭いなんてレベルじゃない。

 上司もこのニオイはきつかったらしく、目には涙を浮かべ、口を半開きにしていた。


 冷蔵室の中には、有名スーパーのビニール袋が三つ。それら全てに、何かの塊が入っていた。


「手袋あるか?」


 上司が問いかける。俺は、用意していたビニールの手袋と黒いゴミ袋を上司に手渡した。上司はそれを受け取って手袋をはめる。

 上司は徐に、真ん中の一際大きなビニール袋を掴んだ。だが、液体のせいか油のせいか手を滑らせてしまい、地面に落ちたビニール袋は、ごろごろと地面を転がった。


 俺はビニール袋を追いかけて、手袋をした手でそれを掴む。だが、やはり滑ってしまい、結び目が解けたせいで中身だけごろりと転がり出た。

 何かの肉のようだった。白い塊がびっしりとくっついている。暗い中では、それが何かよくわからず、俺は顔を近付けて目をこらした。


「ぅおえっ」


 理解した瞬間、競り上がってきた嘔吐感を堪えきれず、俺は吐いた。肉片に吐瀉物が降りかかり、覆いつくした。

 その肉塊の正体に、俺は震えあがった。だって、あれは……


「おい、大丈夫か?」


 上司は俺が吐いたことにすぐ気づき、近寄って背中を擦ってくれた。

 これは体調不良によるものじゃない。精神的なものだ。だが、しつこく続く嘔吐感のせいで、俺は何も言えないまま、ただ涙目で吐瀉物まみれの地面を見つめる。


「向こうで休んでろ」


「……でも……」


「俺が片付けるから」


 俺は半ば追いやられる形で、倉庫の隅に向かって行った。ヤンキー座りをしながら、上司の背中を見つめる。

 上司は淡々と、吐瀉物まみれのを黒いゴミ袋へ押し込んだ。汚いものにまみれたそれの正体に、上司は気付いていないのだろう。不幸なのか、幸いなのか。

 やがて、ビニール袋三つ全てをゴミ袋へ片付けて、上司が俺を振り返った。


「お前、もう帰れ」


 俺は首を振った。帰る気はないと言おうとしたが、胃酸で喉がつっかえて何も言えなかった。


「あとは俺がやっとく。今夜はゆっくり休め。疲れが出たんだろう」


 俺は何も言えないまま、とぼとぼとロッカールームへと向かった。

 とても言えなかった。上司が片付けているものが、死体の一部だなんて。

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