12
長縄を回すのがこんなに疲れるものだとは知らなかった。
運動会では筋肉質で元気なクラスメートが、流れでその役を担当していたし、自分が縄を手にするタイミングなど無かった。
毎年、学校の運動会で長縄をやるらしく、今日はそれの練習ということだった。
回し手を買って出るも、練習開始からしばらく、僕と和馬との息がなかなか合わず、縄がうまく回らなかった。
和馬は中学三年の現在に至るまで、毎年縄を回していたということで、安定した回し方で僕に合わせてくれたのだが、それでも足を引っ張ってしまい、申し訳なかった。
それでも、途中からは何とか縄が回るようになり、秋を入れた小学生たちがきゃあきゃあ言いながらそれを跳んだ。
縄はそんなに太いものではなかったものの、典型的な運動不足の僕は途中で力尽き、代わりに中二の奈美が縄を回した。
「もう、飽きたあ」
総一くんの一声で、みんなが一斉にばらけ始めると、和馬は縄をビニール袋にしまって、近くに落ちていた別の袋を持ってきた。
「ペットボトルロケット作ったんだけど、やりたい人いる?」
小学生たちは一斉に「やる!」と叫び、再び集まってくる。
「これは、ものすごく飛ぶんだよ」
「どのくらい?」
秋は興味津々だ。
「そうだな、この校庭の端から端まで届くぐらいかな」
「川を飛び越えさせたい!」
総一くんははしゃいだ。
「おもしろそう。たぶん、このロケットだったらできるだろうな。じゃあ、流地川でやろう。打ちあげる二人、下流で流れたペットボトルをキャッチする二人で少なくとも四人は必要だな」
そして、和馬、奈美、総一くん、秋と同じくらいの年齢の男子二人、そして、秋が参加することになった。
「春は散歩でもしててよ。俺がちゃんと見ておくから」
「でも、川の側で危なくないかな?」
「川に入るわけじゃないからね。もし、ペットボトルロケットが落ちても、長い虫取り網で川の両岸から拾おうと思ってるし。川幅もそんな広くない場所でやるよ」
ちらっと与助おじさんの顔が脳裏をよぎったが、これだけ人の目があって、地元の中学生もいるのだ。
僕は過保護な部分があるから、気にしすぎはよくないかもしれない。
それに、もうひとつの世界についての証拠になるものを探したかった。
明日には家に帰るため、この辺りで手がかりを探せるのは今日が最後だ。
「じゃあ、ちょっと近くを歩いてくるよ」
「うん。じゃ、また」
彼はペットボトルロケットの入った袋二つを両手に持ち、その上から長縄の入った袋と虫取り網を持った。
ペットボトルが他の荷物に押されて袋から飛び出し、音を立てて転がる。
「長縄、持っとくよ。このリュック特に何も入れてないから」
僕は背負っていたリュックを降ろした。
「本当? 悪いね。ありがとう。後で取りに行くから」
受け取った縄の袋をリュックに入れ、それから秋の所に行く。
「それじゃ、ちゃんと和馬の言うことを聞いてね」
「うん! 春も毛虫に気をつけてね!」
「ありがとう」
自分の方が心配されて、つい苦笑いしてしまう。
それから、僕は近くの森を探索した。
集井岩を見つけたかった。あの岩に辿り着くことが出来れば、何らかの情報を得ることができるかもしれない。
あの不思議な空間が、こちらの世界とあちらの世界を繋ぐ門であるような予感がしていた。
茂みを見つける度にしゃがみ込んで、トンネルが見当たらないか探し回った。
しかし、一向にそれらしきものが見つかる気配は無かった。
子どもの時に撮った写真のことを思い出す。
葉のドームに囲まれたあの場所は、集井岩で間違いないだろう。
写真は不鮮明だったが、あちらの世界で感じたあの感覚は、子どもの時にあの場所で感じた感覚と重なっている気がした。
少なくとも、それらしき場所はこちらの世界にも存在していたはずだ。
僕は無我夢中で木々の中を歩き回った。
記憶の奥底に眠るさび付いた扉をこじ開けようと必死になったが、あの空間に辿り着いたその前後の記憶はほぼ消えていた。
何一つ進歩を得られないまま、足が痛くなって近くの岩の上に座った。
それはソファのような形をしている岩だった。
どこかで見たような景色。
そうだ、ビックが隣にいた。
ポケットの中に何か入っている感触があった。
クワガタの形をした木のおもちゃだった。
ビックと一緒に作ったヤシへのプレゼントだ。
顔をあげると、側でハナセが本を読んでいた。
目が合い、彼女は微笑んだ。
向こうでは川の浅い部分でヤシ、アサヒ、シゲの三人が水をかけ合って遊んでいる。
どのタイミングで渡そう。
僕はひとまずクワガタをポケットにしまい、座っていた切り株の上に寝転んだ。
こんなに楽しい夏休みは初めてだった。
全てが輝いて見えた。
夕焼け空が山の向こうに落ちていく。
風が柔らかかった。胸が温かかった。これがずっと続けばいいのに、と思った。
近くの木にもたれかかって、飛行機のおもちゃを削っていたビックが作業を止めた。
「ちょっと家族の手伝いをしなきゃいけないから、今日はそろそろ帰る」
「うん、また明日」
ハナセも本から顔を上げて、「また明日」と送り出す。
流れる雲の形を指でなぞった。
カナカナと蝉の声が降り注いでいた。
視界に入ってきたヤシが僕の顔を覗き込んだ。
「よ、何してんの」
「雲で遊んでた」
僕は起き上がり、ヤシは隣に座った。
「はるも泳ごうぜ」
「今はちょっと疲れてるから、もうちょっとここで休憩する」
「そっか」
僕はポケットに手を入れて、話しを切り出した。
「あのさ、本当に楽しい夏休みだった」
「まだまだ、休みはあるぞ」
「そうだね、これからも楽しみ。でさ、僕はすごい嬉しかったんだよね。みんなといっぱい遊べて最高の夏休みだよ」
「おう」
ヤシは白い歯を見せた。
「それで、こんな楽しかったのもヤシのおかげだなと思って。ヤシと出会えて本当によかった」
彼は顔を赤くして、目をそらした。
「なんだよ急に、気持ち悪いな……ちょっと、小便してくる!」
「あ、ちょっと待って」
急に走り出したヤシに、僕の声は届かなかった。
「何の話してるの?」アサヒが近寄ってくる。「『出会えて本当によかった』って聞こえたけど」
彼女はちょっとニヤけていた。
「この前、喧嘩した時にこれ作ったんだよね」
僕はポケットから木のクワガタを出した。
「仲直りはもうできたけど、せっかく作ったし、渡したいんだ」
切り株の上に置くと、それは、本物のクワガタのようで様になっていた。
「ここに置いとけば、ヤシ、気がつくかな」
「いいんじゃない。喜ぶと思う!」
アサヒは眩しい笑顔を見せた。
「私はあっちで見てるね」
彼女は川の方へ戻っていく。
ヤシが帰ってくるのが待ち遠しかった。これを見たヤシはどんな顔をするだろう。
時間が緩やかに流れていた。
びゅおおと風が吹いた。
ハナセの読んでいた本がパラパラとめくれ、しおりが風に乗ってひらひらと舞った。
僕は立ち上がり、落ちたしおりを拾いに向かった。
しゃがんでそれを手に取ると、しおりには花の絵が印刷されていた。
「シゲ、こんなに泳げるもん」
シゲの高い声と、しぶきの音が聞こえてくる。
ハナセの元へ戻ろうと、振り返る。
「このしおり、綺麗だね――」
叫び声が聞こえた。
それがアサヒのものだとわかるまで、数秒かかった。
シゲが引っかかった流木に捕まっていた。
「助けて!」
シゲは川の流れに飲み込まれて、浮き沈みしていた。
僕は川に向かって全力疾走した。
風を切る音。
目の前に神社の鳥居が現れた。
違う。ここじゃない。早く助けに行かないと。
走る。走る。
引っかかる木の枝を振り払い、小川で靴が濡れても構わず走り続けた。
どこだ、どこにいるんだ。
崩れた井戸と古い家が見えた。
違う、ここでもない。あの川は……。
あの川は、どこかで見覚えがあったはず。
そうだ、流地川だ。
場所が頭に入っているわけではないから、自分の直感が指す方へ、とにかく走った。
そのうち工事現場の見える高台に出た。
ここからならば、何となく行き方がわかるはず。
僕は走り続けた。カナカナという蝉時雨の中、地面を蹴った。
足がもつれ、前のめりに倒れ込む。
しぶきがあがり、僕は流木にしがみついていた。
横で、シゲが息を荒くしながら、必至に顔を水面上に持ち上げている。
水流は外から見た以上に容赦なく、ぐいぐいシゲの体を引きずり込もうとしていた。
「動けないのか!?」
ヤシが応援に駆けつけ、同じく流木に掴まった。
「ひっかかってる」
シゲの口に水が入り、ごぼごぼと苦しそうに叫んだ。
「はる! おれが流されないように足を掴んで!」
僕はヤシの体を引き寄せ、左手で木にしがみついたまま、右手で彼を掴み、脚でヤシの腰を挟んで体を固定した。
彼は体勢を変えてその場で上下逆さになった。
流されてしまわないよう、彼を挟む足に力を入れる。
ヤシはしばらく水中でうねるように動き、それから僕の腕を引っ張り、水中に顔を出した。
「海藻が引っかかってた。ほどいたから動けるはず!」
僕らはシゲを支え、流木に体を乗り上げさせた。
「木を伝って岸まで戻ろう」
流木の根本の方は、岸の岩に引っかかっており、その周りは流れが緩やかなように見えた。
あそこまで行けば大丈夫だ。
僕はヤシの体を引き上げ、彼が木にしがみつくのを確認した。
そして、自分も体勢を立て直し、右手で流木の枝を掴んだ。
突然、手のひらに電撃が走った。
それは、正確に言うと電撃並みの痛みだった。
手のひらが枝から離れる。
時が止まったように見えた。
手の下に、毒々しい緑色の、刺々したものがあった。
イラガだ。
体のバランスが崩れる。左手からも木の感触が消える。
上下左右がわからなくなり、水が鼻から、口から流れ込んでくる。
触れられるものを求め、力の限り手を振り回すが、歪んだ視界を泡が飛び回るだけで、手は何にも届かなかった。
ぼやけた光が見える。
とても苦しかった。
遠くの方で、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
そんな気がした。
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