10

 スマートフォンの通知が鳴り、布団の中で画面を開くとメッセージが来ていた。


『花火大会、一緒に行かない?』


 同じクラスの笹井からだった。

 ずっと行くことのなかった花火大会。

 誰かと一緒ならば怖くないかもしれない。


 でも、僕にはやることがある。

 夏休みだから秋が家にいるかもしれないし、家事もしないといけない。今まで読めなかった本を読むチャンスでもある。


 ふと、ヤシのことを思い出した。ヤシみたいな友達はこちらの世界には存在しない。

 僕は、いつも一人で教室を漂っている。

 誰かと遊びたかった。

 心を許せる人が近くにいたら、どんなに日々が楽しくなるかと思った。


 もしもヤシとこちらの世界で会うことができるのならば、今すぐにでも会いたい。

 誘いがあればすぐさま飛び出していくだろう。

 彼が高校生になっていたら、笑い合いながら馬鹿なことを言い合えたりするのだろうか。


 湧いてくる気持ちは止められなくなっていた。

 僕も、友達が欲しい。恥ずかしい事を言っても真剣に聞いてくれるような、そんな友達が。


 笹井との中は、まだあまり深くはないが、きっといい人だと思う。

 自分は人気者グループの中にいながら、僕にもよく話しかけてくれるし、気にかけてくれている。

 意を決して僕は母に相談した。


「いいじゃない、行ってらっしゃい!」


 快諾だった。


「でも、家事とかできなくなっちゃうし、僕がいなくて秋は大丈夫かな?」


 母は僕の言葉を聞いて、きょとんとした。


「春がいつも家にいて、遊んでる様子を見ないから心配してたんだけど、やっぱりそうだったのね。いい? 学生は、友達を作って、思い出を作るのが仕事だよ。家事はなんとでもなるし、秋はもう一人でお留守番もできるから大丈夫。たぶん友達と遊びにいって、あまり家にはいないだろうけどね。家のことは心配しなくていいから、遊んでおいで」

「ありがとう」


 母は頷いた。

 笹井に、『行く』とメッセージを送ってすぐに返信が来た。


『まじか!? やったー』


 彼の反応が予想以上によかったので驚いた。

 ただ、返答した後すぐに気がついたことがあった。彼はいつも同じメンバーで集まっている。

 つまり、今回もその中に場違いな僕が一人、参加している状態になるのではないだろうか。

 そんなことになったら、僕はどんな顔をしていればいいのだろう。

 誰とも会話ができずに結局孤立したらあまりに辛い。


『笹井の友達も一緒に行く感じ?』


 はっきりさせておきたかった。


『あいつらとも一緒に行こうかと思ってたけど、もし春が気まずかったら二人だけでもいいよ』


 やっぱりそうか。笹井は僕を気遣って、二人での提案もしてくれている。

 しかし、ここで二人を選べば、笹井にも迷惑がかかる気がするし、あまり彼らと関わりたくないと考えているように思われそうだった。

 僕はみんなと話したくない訳じゃない。みんなと話す勇気がないだけなのに。


『いや、そういうわけではないんだけど、僕はいつもこういう集まりに参加していないから、一緒にいたら笹井にもみんなにも迷惑かかるかなって』


 送信してから自分の文章を読み直して、とても面倒くさいやつだと感じた。

 どうしてこうもうまく会話ができないのだろう。

 送信取り消しをしようとしたが、その前に返信が返ってきてしまった。


『そんなことないって。皆、優しいから、あまり来てなくてもすぐ仲良くなれると思うよ。心配するなって』

『そっか、ありがとう』


 こうなったら、当たって砕けろの精神で行こうと思った。

 話してみれば思ったよりも話しやすい可能性だってある。

 僕はずっと疑問に思ったことを笹井に聞いてみた。


『ところで、どうして僕を誘ってくれたの?』


 胸がどきどきした。こんなことを聞くのは変かもしれない。

 でも、気になって仕方なかった。


『友達だから』


 返ってきた文字を見て、僕は動けなくなった。

 友達。僕ら、友達だったのか。


『嬉しい。友達になってくれてありがとう』


 彼からの返信まで間が合った。何かを考えているようだった。

 ちょっと不安になる。

 そして、メッセージは来た。


『俺は春の友達になってあげたんじゃなくて、俺が春と友達になりたかったんだよ』


 聞き覚えのある台詞だった。

 目頭が熱くなった。

 そうだった。友達っていうのは、気がつけばなっているものなんだ。


『そうだよね。僕も笹井と友達になりたかった』

『よかったー! もしかして避けられてるのかもしれないとか思ってたから、その言葉聞けてすげー嬉しい』


 彼は、そんな風に感じながらも僕を誘い続けてくれたのか。

 どこからそんな勇気が出てくるのだろう。想像もつかなかった。


『俺、ずっと春と話してみたかったんだよね』

『例えば、どんなこと?』

『本のこととか。春、学校でよく本読んでるじゃん。俺も読書好きなんだけど、いつも一緒にいるやつらが全然本読まないから、春とは文学友達になれるんじゃないか、って話しかけるチャンスを狙ってたのよ』


 普段の彼の動きがようやく腑に落ちた。

 彼が話しかけてくる時に本の話をすることが多いのは、てっきり僕に話を合わせようとしてくれているのだと思っていた。

 僕らの間にそんな共通点があったとは。


『いいね! 花火大会の時、本についても話そう。笹井のおすすめもあったら教えて欲しい』

『お、じゃあ。春のイチオシも教えてね』

『了解。また、花火大会に』


 どんな本を紹介しよう。人に本をすすめる機会なんて滅多にないから迷う。

 考えていると、再び通知が来た。


『あとさ、俺の事は笹井じゃなくて、涼夜って呼んでよ。俺だけ春のこと下の名前で呼んでるのもなんか変だし』


 そんなメッセージに、笑ってしまった。


『わかった、涼夜』


 返信してスマホを置く。

 布団の中に入ると、すっと気持ちが楽になった。

 今日は夢見がよさそうだ。


          *


 かき氷のシロップは匂いと色が違うだけで、味は同じだと誰かが言っていたが、本当だとは思えない。

 昼前の太陽に、いちご味のかき氷は溶けていく。

 縁側でかき氷を食べると、『和』を感じる。

 容器が汗をかいて、冷たい水がズボンに黒い跡をつけた。


 目を閉じて、ブルーハワイを想像しながら口に運んでみる。

 冷たさが舌の上に降りてきて、じわじわと広がっていく。

 やっぱり、思っていた通りのいちご味。他の味だとは思えない。


「祭りは何時からだっけ?」


 隣に座っていたヤシがのけぞって、首を後ろに倒しながら聞いた。


「たしか、六時くらいだったはず」

「そっか、じゃあもう少し時間あるね」


 アサヒが言って額の汗を拭う。


「祭り始まるまでは何かしないの? つまんない」


 駄菓子屋の中から出てきたシゲが駄駄をこね始める。


「どっか、遊びに行こうか?」


 ビックがシゲをおんぶした。


「私はここにいてもいいけど。この店の軒下涼しいし」


 ハナセは長椅子の端でアイスバーを食べている。

 駄菓子屋の風鈴が、扇風機に揺られた。

 まだ日は暮れていないし、しばらくは時間があるはずだ。


「どこか冒険できる場所ねえかなあ?」


 ヤシはアイデアをひねり出そうと、空中を見つめた。

 僕はあの岩のことを思い出す。

 そういえば、みんなを連れて行きたいと思っていたのだった。


「あのさ、この前、面白い場所を見つけたんだ。秘密基地みたいな」

「秘密基地!?」


 シゲが目をキラキラさせて食いつく。


「茂みに囲まれた岩があって、不思議な場所なんだ。祭りが始まるまでに行ってみるのはどうかな?」

「おお、そんな場所見たことないぞ。よし、ミラクル冒険隊の次なる探索は、不思議な岩だ」


 ヤシがやる気満々で歩き出す。


「ついてきて」


 僕は長椅子から立ち上がり、山の方へ向かった。みんなも後ろに続く。


 木々の間を歩いて行き、あの場所を探す。見覚えのある崖を登り、この前通った気がする岩の前を通り、自分の直感に従って進んだ。


「あった! これこれ」


 僕はしゃがんでトンネル内を先導する。


「はる隊員、よくやった」


 ヤシの声は興奮していた。

 木漏れ日をくぐり、広間に出る。

 前と変わらず、流れる水に囲まれるようにして岩が立っている。


「すごいね。本当に不思議な場所」ハナセが辺りを見回しながらつぶやいた。「天井がない」

「ビック、通れる?」


 シゲがトンネルを覗いている。どうやらビックはその身長のせいで、通過するのに苦労しているらしい。

 ちょっとの間、ガサガサという音が続き、草を髪の毛につけた彼が這い出てきた。


「通りにくいね」

「大丈夫?」


 アサヒがビックの頭についた葉っぱを取る。


「こ、これは!?」


 ヤシが中心の岩を見つめて動きを止めた。

 みんなが黙り、水の流れる音だけが響いていた。


「なんなの?」


 たまらず、僕は聞く。


「これは、伝説の集井岩つどいいわだよ」


 シゲの「伝説って何?」という疑問に、アサヒが「昔からある、すごいものみたいな感じかな」と答える。


「この岩に名前を刻んだものたちは、いつまでも仲間でいられるんだ。もし、遠く離れても、この岩を思い出した時に再開できると言われている」


 ヤシは厳かな雰囲気で岩を撫でながら語る。


「そんな話聞いたことないなあ」


 ハナセがニヤニヤしながら岩の周りを回った。


「知られざる伝説だからな。でも、世界的な冒険家のおれは知っているんだ。」


 ヤシは胸を張った。


「何か名を残すために使えるものはないか?」

「これとかどうだろう」


 ビックがとがった小石を渡す。


「ううん、これじゃあ、あまりうまくいかないな」

「私、いいもの持ってるかも」


 ハナセが思い出したように、顔をあげた。


「お、なんだなんだ」

「家にあるから取ってくる。待っててね」


 ハナセはトンネルをくぐって外へ出ていく。


「道、迷わないか?」

「大丈夫。私も世界的な冒険家だから」



 残された僕らは、その場でハナセの帰還を待った。

 青天井をゆったりと雲が流れていた。

 日光に照らされて、光の粒がふわふわと空気中を泳いでいた。


 僕はシゲと並んで寝転び、雲の形が何に見えるか言い合った。

 そこにヤシが加わり、アサヒが加わり、そしてビックが参加すると、空の模様が何に見えているのか、クイズを出し合うゲームが始まった。

 夢中になって雲をなぞっていると、茂みを揺らす音がして、ハナセがトンネルから出てきた。


「お待たせ、遅くなっちゃった」


 既に、茜色の陽差しは傾き始めていた。


「これ」


 彼女の手には金槌と、尖った金属の杭が握られていた。


「随分と本格的だね」


 アサヒが驚いてそれを眺める。


「お父さんから借りてきた。彫刻用のやつだから彫りやすいと思う」


 ハナセはそれをヤシに渡す。


「いいね。では、これより、名刻みの儀式を行う。まずはこのミラクル冒険隊隊長のおれが、名を入れよう」


 ヤシはハナセにやり方を教わりながら、苔の生えていない部分に名前を彫る。


「よし、できた。次やりたい人」


 ヤシの文字は楽しそうに躍っていた。


「はい」


 僕は手を挙げて、道具をヤシから受け取った。

 岩に自分の名前を彫っていく。手に伝わる振動が重かった。

 体を震わせるその感覚は、本当に自分をこの不思議な空間に結びつけているような気持ちにさせた。

 思うように曲線が彫れず、苦戦したが、何とか読める字にはなった。


「次は誰?」

「はい!」


 シゲは元気よく手を挙げ、危ないから、と代わりにアサヒが彫った。

 順番に名前を彫り、全員の番が終わった頃には、手元が見えるぎりぎりくらいの暗さになっていた。


「これで全員が彫り終わったな。この岩に名を刻んだおれらは、どんなに遠く離れていても、この岩の力で繫がっていることができる」


 ヤシの言葉は説得力のある響きを持っていた。


 きっと本当になる。

 根拠は何もないけれど、そんな気がした。


「でも、みんな、気をつけてくれ、この伝説には大切な掟があるんだ。この掟を破ってしまうと、巡り会いの力は無くなってしまう」


 彼は岩に手を置いて次の言葉を溜める。


「その掟とは、一緒に名前を彫った人以外に、このことを伝えてはいけないということだ」

「お母さんにも言っちゃだめなの?」


 シゲがアサヒの袖を引っ張る。


「お母さんにも、お父さんにも言ったらだめだ。ミラクル冒険隊だけの、極秘情報なんだ」

「そろそろ祭り、始まるから行こう」


 アサヒが提案し、ヤシは「だな」と返した。

 日の沈んだ集井岩は、昼とはまた違ったこの世のものと思えない、幻想的な雰囲気をまとっていた。


「また、考え事してる」


 隣にくるみがいた。

 僕は縁側に座っている。


「お昼前にちょっと散歩しない?」


 頷いて手元を見ると、カップの中に赤い液体が溜まっていた。



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