9
隠れ場所を探していると、いい感じの茂みがあった。トンネルのような構造になっており、通ることができそうだった。
雨のように差し込む日光の中を通り抜け、奥へと進んだ。
トンネルは僕の背よりも少し低かったので、かがみながら歩いた。
緩やかなカーブで入口が見えなくなり、急に天井が高くなった。
そこは、広間のような場所で、中心に自分の背丈と同じくらいの大きさの岩が立っていた。
周りを囲うようにして、ちょろちょろと透明な水が流れている。
その川の内側は、この世界とは別の神聖な場所のように思えた。
僕はそうっと川をまたぎ、岩に手を触れた。
温かかった。
手の触れた部分には日が当たっていた。
岩の上部に茂みはなく、青天井があった。
蓋を取った丸い壷のような形のドームになっているのだ。雲が視界の端から現れ、反対の端へと流れて行った。
ここにあるのは安らぎだった。
しばらく、岩の前に座っていた。
静寂に響く水の音。
鬼がここへ来るとは思えなかったので、僕はもう少しスリルを味わうため、移動することにした。
穏やかなこの空間から出るのは惜しく思えたが、次はみんなと来ようと決意し、入口と反対側のトンネルに入った。
こちらも先ほどと同様、かがんでちょうど進める広さの茂みでできたトンネルだった。トンネルはちゃんと外に繫がっているようだった。
行く先に開けた森の景色が見えてくる。と、そこを誰かの足が通過していった。
トンネルの出口から、気づかれないように外の様子を窺うと、それはビックだった。
「あ、ビック」
「びっくりした……はるか」
彼は膝に手をついて安心していた。
「ビックもこの茂みに隠れる?」
彼はトンネルを覗き込み、首を振った。
「ちょっと狭そうだからいいかな」
「僕も結構ここにいたから、そろそろ違う所に行くんだ。ビックはどっかいいところ見つけた?」
彼の隣を歩くと、彼の身長が改めて高く感じる。六年生だけれども、大人と同じくらいの大きさだ。
「そうだね。今、あちこち散歩してたんだけど、一個の場所に隠れるより、動き続けてた方がドキドキして楽しいから、隠れ場所は見つけてないよ」
「そっか。ビックって身長何センチ?」
「一六五センチ」
「ええ、でっか」
「ビックっていう隊員名も『大きい』の英語からつけたって、ヤシが言ってた。ビッグの方が本当の発音に近いらしいけど」
「そうなんだ」
「そう。でも、俺はこれで慣れちゃったから、ビックでいいと思ってるけどね」
彼はにかっと笑った。
「僕もビックみたいに大きくなりたい」
「はるもそのうち大きくなるよ」
「ほんと? どうすればいいの?」
「よく食べて、よく寝れば大きくなる」
ビックは穏やかな話し方をしたが、頼れる力強さがあった。
筋肉質で体格もよく、悪い人がいてもやっつけることができそうだ。彼と一緒にいると安心する。
ビックのポケットから木でできた何かがはみ出しているのが目に入った。
「それ何?」
「ああ、これはね」
ポケットから取り出されたそれは、飛行機のような形をした木だった。
前のプロペラの部分や翼の形はできているものの、機体の後ろはまだ木のかたまりだった。
「飛行機なんだ。シゲが飛行機好きだから、作ってあげようと思って。まだ途中なんだけどね」
「すごいね。どうやって作るの?」
彼はそばにあった岩に座り、ナイフを取り出した。
慣れた手つきで、木の部分を削っていく。
「こんな感じで、削って形を作っていくんだよ」
「うわあ、かっこいいな」
僕も横に座り、その作業を眺めていた。
岩はソファのような形をしていて、座り心地がよかった。
ビックがナイフを滑らす度に、少しずつ飛行機が形作られていった。
美しい動作が繰り返され、僕はそれに見とれていた。
キリの良さそうなところで彼はふっと息を吹いて木くずを飛ばすと、ナイフと飛行機をポケットにしまい、立ち上がった。
「はるにも作ろうか?」
「え、いいの?」
「もちろん。何作ってほしい?」
僕は迷った。車、鉄道、欲しいものが脳内を駆け巡る。
「クワガタとか、カブトムシとか作れる?」
僕は迷った挙句、そう尋ねた。
「うん、作れると思うよ」
「ヤシにあげたいんだけど、僕でも作れるかな?」
彼は顔を明るくして、頷いた。
「とってもいい考えだ。ヤシが好きそうなのを作ろう。今度、教えてあげるからさ」
ヤシにプレゼントしたら、きっとまた仲良くなれると思った。でも、出来上るまで仲良くなれなかったら、それはとても悲しい。
早く仲直りしたい。
「あ、ビック! みいつけた!」
遠くの方からアサヒの声が聞こえた。姿は見えない。
「見つかる前に逃げな」
ビックが小さく囁いた。
「うわあ、見つかっちゃった」
そう言って、彼は僕と離れていく。
僕は背を低くして、その場から走って逃げた。
どうやらアサヒは茂みの向こうにいたようで、身長が高いビックの頭が見えたようだった。
その場を離れる際、アサヒの背中が見えて僕は焦った。
できるだけ距離を取るため、音を立てないよう気をつけながら走った。
アサヒが来ないであろう険しい道を選んで進んだ。
急に地面の感覚がなくなり、体が宙に浮いた。
ずざざざと音を立て、体が斜面を滑り降りていく。
地面に投げ出され、落ちてきた方を見ると急傾斜があった。
後ろを見ながら走っていたから、気がつかなかった。
膝に痛みがあり、僕はズボンをまくり上げた。
ズボンの下で、すりむけた膝から血が出ていた。今日はよく怪我をする日だ。
僕はズボンに血がつかないように、まくり上げたその状態のまま、近くで休める場所を探した。
そのうち見覚えのある場所に出た。
崩れた井戸がある家。
地面に転がる井戸の石をまたいで、家の玄関に向かう。
ここならいい隠れ場所になるだろう。
前と同じで、玄関ドアには鍵がかかっていなかったので、忍び込むことに成功する。
とりあえず家の中に入れたので、さらに見つからなそうな、落ち着ける所を探す。
家の中には家具などもあまり見つからず、部屋の真ん中にいると、もし万が一窓から覗かれてしまった時に丸見えになってしまう。
うろうろしていると、この前、猫が隠れていた押し入れを見つける。
ここがいいかもしれない。
押し入れは閉まっていた。また、猫が飛び出してくるかもしれないから、押し入れの前には立たず、横からそうっと開けた。
中を覗いて僕は腰を抜かした。
そこに座っていたのは猫ではなく、ヤシだった。
僕らは互いに目を外らした。
どうしよう。なんて言えばいいだろう。
さっき突き飛ばされた怒りと、怒らせてしまった悲しみとが、込み上げてきた。
言葉が喉の下に詰まって出てこない。
ヤシが手を前に出した。
「ん」
彼の手には絆創膏があった。
「膝、血出てる」
「……ありがとう」
僕は血を拭いて、傷口にそれを貼った。
あのさ、とか、ううん、とかそんな言葉ばかり口に出して、なかなか切り出させない自分に腹が立った。
ヤシはこんな僕を心配してくれている。ちゃんと謝らなきゃだめだ。
「ヤシ、本当にごめん」
自分のできる限りの大きい、はっきりとした声を出したつもりだったが、実際の声はヨロヨロとした細いものだった。
「ごめんなさい、大事にしてた虫、逃がしちゃって」
温かいものが頬をぼろぼろと落ちていった。止めたくても止まらなかった。
声が震えた。
「おれもごめん。あんなことするつもりじゃなかったんだけど、ついカッとなって。怪我させてごめん」
歪む視界の中、ヤシも泣いているのがわかった。
僕らは押し入れの中で一緒に泣いた。そして、涙が出なくなったら、笑った。
押し入れの中はほこり臭かったが、木の柔らかさが心地良かった。
「僕たち、友達だよね」
「もちろん」
僕はようやくしゃべれるようになり、ヤシもいつもどおり自信満々の彼に戻った。
きっぱりと友達と言ってくれるヤシが好きだった。
「僕、もう転校したくないな」
「まだ、来たばっかりじゃん。そんなに早く転校するの?」
今までの引越を考えると、最短で一年経たずに転校になることもあった。
こんなに好きな友達ができたのに、会えなくなるなんて辛すぎる。少なくとも卒業するまで、できれば卒業してからもここでみんなと一緒にいたかった。
「もしかすると、来年とかに行っちゃうかもしれない」
「そっか……じゃあ、今のうちいっぱい遊ばなきゃな」
「そうだね」
押し入れに沈黙が訪れる。
「今は友達だけど、いつか離れちゃったら友達じゃなくなっちゃうのかな」
「そんなことはないだろ」
彼は当前のことのように答える。
「でもさ、今までの学校で仲よかった人も、引っ越してからは会うこともないんだ。また会おう、とか、手紙送ろうぜ、みたいなことを言ってくれる人もいたけど、それも数回来てそこで終わっちゃうし……もう、忘れられてるのかも」
「おれはそんなに簡単に忘れないぞ。それに、離れてもはるの友達でいるし」
「友達だと思ってた人も、しばらく会わないでいると、『友達だった人』って感じになっちゃうんだ。悲しいよね。ヤシとはずっと友達でいたいな」
「友達、友達言うから恥ずかしくなってきた!」
ヤシははにかんで押し入れの戸を少し開け、隙間から外の様子を確認した。
「もし、おれたちが友達じゃなくなっても、もう一回友達になればいいさ」
急に笑いが込み上げてきた。
「どうしたんだよ」
ヤシが驚いてこっちを見た。
なぜかわからないけれど、おかしくてたまらなかった。
体の中心から温かいものが端々に広がっていく感じがした。
「近くにアサヒたちがいたら見つかっちゃうだろ」
「アサヒは、ここ、見つけられると思う?」
ヤシはまた、隙間から外を監視している。
「アサヒは頭いいからな。それに鋭い」
彼は押し入れを出て、近くの窓の下にしゃがみ込んだ。
僕もそれについて、地面を這って外に出た。
押し入れから出ると、肺に入ってくる空気が澄んでいるように感じた。
ツクツクボウシ、ツクツクボウシと外から大合唱が流れてくる。
「アサヒは足も速いし、木登りも上手だし、魚とかも捕まえるのうまいんだぞ」
アサヒについて語るヤシの横顔はきらきらしていた。彼にはきっと、アサヒが本当に朝日のような輝かしい存在なのだろう。
二人がずっと仲良くいてくれたらいいな。
アサヒを褒めるヤシの声の向こうで、別の話し声がかすかに聞こえた。
「ヤシ、誰か来てない?」
「え、ほんと?」
耳を澄ませると、それはシゲとハナセの会話だった。
「私たちうまく隠れてたのに、捕まっちゃったね」
「シゲ、ちゃんと静かにしてたよ」
「あとはヤシとはるか。見つけるぞお!」
アサヒの声だった。
声は近づいてくる。
「やべ、隠れろ」
僕らは転げるようにして、押し入れに戻ろうとする。
這うようにして中に入ると、固い何かが手の下にあった。
体勢を立て直そうとして、頭を打つ。
「いててて」
目の前がちらついた。
「春、大丈夫?」
僕は四つん這いのまま後退し、押し入れから頭を出した。
横には秋が心配そうな表情で立っていた。
「思ったよりも天井が低くって」
頭がじんじんした。
「ぼうっとしてるからだよ。今日、ケータイ探し始めてからずっと、変だったよ。『そうだね』とか『うん』とかばっかり言ってたし、魂がどっか行っちゃったみたいだった」
「ごめん、考え事してたみたい」
顔をあげて辺りを見回すと、そこは先ほどまであちらの世界で隠れていた家の中だった。
「あれ、ここは!?」
秋が不思議そうに首を傾げる。
「どうやって、ここに来たっけ?」
「え?」
秋が眉間にしわを寄せた。
「この近くに最後の位置情報があったから、探してたらこの家が見つかったんだよ。覚えてないの? もしかして、頭打ったからおかしくなっちゃったのかな」
「あ、そっか、ごめんごめん。大丈夫だよ」
秋が不安げだったので、とりあえずそう答えつつ、本当に自分の頭がおかしくなった気がした。
意識が戻ってきた時にはこの場所にいた。でも、そこまではぼうっとしつつも自分で歩いてきたらしい。
もしや、夢遊病のようなものなのだろうか。
今回、あちらの世界で見たものは、現在こちらで見ていたものと重なっていた。
現実と幻想が混ざり始めている。
現実で見たものや、僕の脳内にあるものがあちらの世界での体験として、変換されている可能性も考えられた。
しかし、僕の中では、あちらの世界が徐々に具体的で、確立したものとなってきている。
ミラクル冒険隊のみんなのこともちゃんと覚えている。顔や会話の詳細が曖昧なのは変わらずだが、雰囲気や抱いた感情ははっきりと思い出せた。
パラレルワールド。
そんな単語が脳裏をよぎった。
あまりにリンクしている。
こちらの世界とあちらの世界が、並行して存在しているように思えてきた。
僕はその二つの世界を同時に生きているという可能性。
ここ最近になって、何らかの原因により、あちらとこちらの世界を意識が行き来しているのではないか。
馬鹿らしいと思ったが、納得できる仮説だった。
そうだとして現在の状況を整理してみる。
まず、あちらの世界は一つの世界として完結しており、同じ人物、同じ場が存在し続けるということ。
あちらでの意識は断片的であり、場所の位置関係などは明確ではないものの、今回の空き家は以前にも見た記憶があるため、確定した場所として存在しているように思える。
これは、夢でも似たような舞台が再度登場したりすることがあるので、はっきりとパラレルワールド説を証明するものだとは言い切れない。
しかし、時間の流れについてはどうだろう。あちらの世界における時間の流れはひと続きであるように感じられる。
ヤシたちが僕のことを知らない状態も、既に知っている状態の場面も見てきたことから、とりあえずあちらの世界に時間の前後関係はあると考えられる。
これは、あちらの世界がこちらの世界と同じように常に動き続けているという証明のための一要素になると思われる。
また、あちらの世界へ意識が移動している間は、こちらの世界を意識することができないのに、こちらではなんとなく思い出せることも興味深い。
この点から、二つの世界が一方通行であることが予測できる。
この理由は謎であるが、これを解明することが二つの世界の繫がり方を知る糸口になるかもしれない。
これらのことから、今後「あちらの世界で見たものをこちらの世界で確認する」というのが、僕のすべき事だという結論に至った。
色々な物を見落とさないよう、周囲に注意を払っていこう。
「春? 大丈夫?」
「ごめん、ごめん」
また、自分の世界に浸ってしまっていた。
「具合悪い?」
「いや、大丈夫だよ」
秋は僕の言葉を怪しんでいるようだったが、僕の手元を見て指さした。
「それ何?」
自分の手の中にはゾウのキャラクターのストラップがあった。
「あれ、これって……」
どこかで見たことがある。
思い出した。午前中に猫が加えていたものではないか。
「もう少し奥も見てみよう」
スマホのライトをつけ、押し入れの中を覗き込む。
中は蜘蛛の巣が張っていて、下にはキラキラするものがたくさん落ちていた。
奥の方に長方形の影が映し出された。
秋のキッズケータイだ。
「これ使う?」
秋は蜘蛛の巣がまとわりついた木の棒を持っていた。
「さっきまでみたいに蜘蛛の巣を払った方がいいんじゃない?」
「ああ、ありがとう」
もらった木の棒を使い、蜘蛛の巣を取り除き、手を伸ばしてケータイを掴んだ。
「取れた」
「よかった! 春、よくこんな所見つけられたね」
「きっと、猫のコレクション部屋だったんだよ。さっき、このストラップを持った猫が道を歩いてたから、きっと、そいつが気になるものを拾って、ここに集めてたんだろうね。中には色んなおもちゃとか部品が転がってたよ」
僕らは玄関に向かった。歩く度に床がぎいいと軋んだ。
全体的にくすんでいて、知っているこの場所よりもずっと古く見えた。
バキッと音を立てて、床板が割れた。
「びっくりしたあ」
秋が振り返って僕に手を差し伸べる。
「床が腐ってたみたい。ありがとう」
幸い怪我はなかったものの、心臓はばくばく鳴っていた。
割れた床から抜け出して、気をつけながら玄関を目指す。
玄関にはガラスが散らばっていた。
近くの窓が割れてそこから木の枝が顔を出していた。
外に出てみると、家の周りは草が好き放題に伸びており、家には木が倒れかかったり、屋根の一部が崩れたりしていた。
僕の脳内では、だいぶ美化されていたらしい。
ちょっと離れた所に薄茶色の猫がいた。
その後ろでは、同じ色の毛をした子猫がこちらを見ていた。
「あ、猫だ」
秋が指をさすと、猫の親子は茂みの向こうへ姿を消した。
日が下がり始めていた。
「暗くなる前に帰ろう」
僕らは家に向かって歩いた。
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