8
朝ご飯を食べ終えて、秋と扇風機の前で寝転んでいると弘子おばさんが外出の準備を始めた。
「おばさん、どこ行くの?」
秋は扇風機を通して声を震えさせた。
「ちょっとね、お友達のところに」
おばさんはちょっと空を見つめて止まり、それから僕らを見た。
「二人も顔出さない? この前、野菜をくれた
「いいけど、おじさんの家に行って何するの?」
「おじさんの奥さんの、桂子ちゃんが押し花教室をやってるの。だから、一緒にどう?」
「押し花って何?」
秋の声は相変わらず風に揺れている。
「花とか葉っぱとかを使って、飾りを作るの」
「せっかくだし、行こうかな」
僕がそう言うと、秋もついてくることにしたらしい。
三人で準備をしていると、玄関にお客さんがやってきた。
くるみだった。
「出かける所?」
「うん、今から弘子おばさんの友達の家に顔出してくるんだ」
「押し花を作るんだよ」
秋が、頭をTシャツに突っ込みながら言う。
「押し花、いいね」
「くるみちゃんも一緒に行く?」
弘子おばさんは靴を履きながら誘った。
「ぜひ、行きたいです」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
四郎さんの家は花に囲まれていた。
木の材質を前面に出した作りで、壁には白いペンキが塗られており、お洒落で洋風だった。
壁には手入れされたつたが広がっていて、白と緑の対比が美しい。
家の側には花がたくさん並べられていて、それぞれに値札がついていた。
花屋さんを経営しているらしい。
「こんにちは」
弘子おばさんがドアを開けると、ベルが高く鳴った。
「いらっしゃい。あら、今日はお客さんが多いのね」
出迎えたのは、上品で知的な雰囲気の老女だった。
手の甲のしわから弘子おばさんと同じくらいの七十代に見えた。
白い肌が家の色に似合っていた。
「そうなの。ええと、こっちが春くん」
「春くんとは本当に小さい頃に会ったね。覚えていないか」
彼女は僕の目をまっすぐに見た。
懐かしさがその瞳の奥にのぞいたように思えた。
「すみません、覚えてないです」
そう言いながら、どこかで覚えているような気もしていた。
話し方や仕草に親近感が湧いていた。
「しょうがない、しょうがない。ずっと前だからね」
弘子おばさんがフォローしてくれる。
「それで、こちらが春くんの弟の」
「秋です。押し花しに来ました」
秋がちょっと大きめの声で自己紹介する。
「秋くん。よろしくね。一緒に押し花しようね」
「彼女は康司くんのお孫さん」
「山辺くるみです」
どうも、と言って女性は僕らを見回した。
「私は長田桂子です。ここで、お花屋さんと押し花教室を開いています。では、どうぞ中へ」
家の中は広く、外見と同じように外国からの輸入品ぽいアンティークや、上品で洗練されたデザインの家具が並んでいた。
奥の部屋へ案内され、そこにある丸い木のテーブルを囲むようにして僕らは座った。
天井に大きな窓がついた明るい部屋だった。
室内は、木の茶色と白を基調としており、あちこちに色とりどりの花々が飾られていた。木の匂いに花の香りが混ざって、リラックスできる空間だった。
「四郎さんは?」
弘子おばさんがハンカチで額を拭きながら尋ねた。
「今は畑に行ってるの。しばらく帰ってこないかな」
桂子さんは材料を机の上に広げ始めた。
「みなさん、どんなものを作りたいかしら?」
机の上にはメニューのように、押し花を活用した色々なインテリアの写真が並んでいた。
「私、これがいいです」
くるみが指さしたのはフローティングフレームというもので、透明な額縁の中でガラスに挟まれた花が浮いているように見えるというものだった。
「ぼくもくるみちゃんと同じのにする」
秋もフローティングフレームに興味津々だった。
「おすすめは何ですか?」
僕が尋ねると、桂子さんは近くに置いてあった本からしおりを取りだした。
「これなんか使いやすくて人気があるかな」
「では、それでお願いします」
僕は本を読むのが好きだったので、普段から使えるし、丁度よいと思った。
「春くんは本が好きなのかな?」
「そうですね、よく読みます」
「ぼくもたまに読みます!」
秋も勢いよく答え、桂子さんが笑う。
「本を読むのはとってもいいことだよ。世界が広がるからね」
桂子さんはしみじみと言った。
「それでは早速作っていきましょう」
「あ」
秋が部屋の時計を見て声を上げた。
「どうしたの、秋くん?」
「友達と約束した時間になっちゃう」
「友達?」
「うん、学校で会った総一くんたちと遊ぶんだ」
「一日でそんなに仲よくなったの? 秋はすごいな」
僕が感心していると、彼は立ち上がった。
「お友達との約束は守らなきゃね。また、いらっしゃい。押し花はいつでも教えてあげるから」
ありがとうございました、と秋は荷物を背負って、部屋から出ようとした。
「一人で大丈夫?」
「すぐ近くで集まるから大丈夫!」
僕は心配になって声をかけたが、秋は元気に返事をしてそのまま行ってしまった。
それから僕は無心になって作業に没頭した。
置いてあった数々の花から、スターチスやカスミソウなどいくつかの種類を選んで、しおりの台紙に並べていった。
あまり詰めすぎると趣がないような気がしたので、多めに空白を開け、ひとつひとつの花が目立つような配置を目指した。
決してイライラするような難しいものではなかったが、適度に緊張感のある細かい作業で、時間が経つのも忘れて手を動かした。
たまに一息ついて顔を上げると、机を囲んで、各々が自分の作品と向き合っていた。
配置が終わると次に微調整があり、それからラミネート加工をしてもらって、しおりは完成した。
「二人とも、素敵な感じにできあがったね」
桂子さんは優しく微笑んだ。
くるみも綺麗なフローティングフレームを作り上げた。
美術の才能もあったのか。本当になんでもできるな。
「とても楽しかったです。お花に囲まれて、気持ちが明るくなりますね」
「そうでしょう。私、昔からこんな風にお部屋に花をいっぱい飾って、お花屋さんを開くことが夢だったの」
くるみは部屋を見回していた。
「夢が叶ったんですね」
「じゃあ、僕はそろそろ行きます」
僕が立ち上がると、くるみも席を立った。
「私もこれで」
桂子さんは微笑んで、「また、いつでもいらっしゃい」と送り出してくれた。
「押し花楽しかったな」
くるみはスキップをして先を行く。
「そういえば」
彼女はこちらを振り向いて、そのまま後ろ向きに歩く。
「花で思い出したけど、今度、私たちの街の方で花火大会あるらしいよ」
「そうなんだ。花火か」
花火なんて、最後にちゃんと見たのはいつだろう。
「春、覚えてる? 小五くらいだっけ。たしか春がこっちに引っ越して来たばっかりの時、花火大会一緒に行ったの」
急に不安な気持ちが戻ってくる。そんなこともあった。
「それで、春が迷子になって大泣きしてたの。懐かしいな」
「あったね。そんなこと、よく覚えてるね」
「それはだって、春がすごい泣いててびっくりしたから」
その年、僕、祖父、くるみ、康司さんというメンバーでちょっと遠くの町の花火大会に行った。
花火が始まる前、僕は屋台に気を取られているうちに、みんなとはぐれてしまった。
どこも人だかりで、祖父たちを見つけるのは不可能だと思った。
ひとりぼっちだとわかった時の心細さは、今でも感覚として胸の奥に残っている。
最後には祖父が見つけ出してくれて、彼に抱きついたまま泣いていたのを思い出す。
「恥ずかしいなあ、忘れてよ。あの時は家に帰る方法もわからなかったし、本当に怖かったんだ」
あれ以来、僕にとって花火大会は軽いトラウマとなってしまい、花火の音を聞くと体が強張ることがある。
迷子になっても怖くない年齢になったから、もう平気だとは思うが、結局、それから行く機会もなく、花火大会の記憶はそれが最後になっている。
「そっか、まあ、小学生だから仕方ないよね」
彼女は思い出しているのか、にやけていた。
「今年は誰かと約束したりしてるの?」
「約束って、何の?」
「花火大会行く約束」
約束。
まず、僕はこの夏休みに同年代の誰かとの約束が一つも無かった。
遊ぶ約束の一つや二つあるのが、高校生の普通なのかもしれない。それに対し、僕は誰とも約束せずに、休むための夏休みを送ろうとしていた。
「いや、してない」
考えてみると、高校生の夏休みをこんな風に何も考えず、消費してもいいものかと焦りが出てくる。
もっと生産性のあることをするべきかもしれない。
「花火大会があることも知らなかったよ」
「そっか、じゃあさ――」
目の前に、何かもふもふした物体が飛び出してきた。
猫だ。薄茶色の猫。
それは茂みから現れ、体につるを巻き付けていた。
口にはどこで拾ったのか、ゾウのキャラクターのストラップがくわえられている。
「びっくりした」
くるみは体を固めていた。
猫は僕と目が合うと、反対方向へと駆けていった。
僕は咄嗟にその猫を追いかけて、走り出していた。
「どこ行くの!?」
後ろからくるみの裏返った声が聞こえた。
「ちょっと気になることがあって! ごめん、また後で!」
僕はそう叫ぶと、猫を追って全力疾走した。
あの猫は、あちらの世界で見た猫によく似ている。細かい見た目の記憶は曖昧だが、何かピンとくるものがあった。
それに、秋と引っかかったジェットを取ろうとした時、木の中から出てきた猫とも同一に見えた。
猫はすばしっこかった。身軽に木の上を走ったり、崖を登ったりして、あっという間に僕はまかれてしまった。
僕はスマートフォンでくるみにメッセージを送った。
もうひとつの世界についての手がかりを見つけられそうだったこと、そして、その手がかりはとても足が速いこと。
後で詳しい話を聞かせて欲しいと、返信が返ってきた。
ちょっと用事があって、今日はもう会えそうにないということだった。
僕は運動により、お腹が減ってきたので家へと向かった。
*
昼過ぎ、秋が家に帰ってきて、キッズケータイを失くしたことに気がついた。
僕のスマートフォンから、秋のケータイの位置情報がわかったので、それを頼りにして二人で探すことにした。
どうやら、ケータイはもう充電が切れているらしく、充電切れ直前の自動送信の位置情報が、最後の手がかりだった。
それまでの位置も一定時間ごとに自動送信されており、だいぶ距離を移動していることがわかった。
秋に確認してみると、ケータイの情報が送られている地点は通っていないということだったため、誰かが拾って持っていった可能性が高かった。
「たぶんここら辺が最後の位置だよ」
「どこに住んでる人が拾ったんだろう」
そこはだいぶ山奥の獣道だった。
「ここら辺に家あるのかな?」
秋は石の上に立って辺りを見渡していた。
「どうだろうね。近くに家があるようには見えないけど」
近くの家から一軒一軒訪ねてみるのが手っ取り早いかもしれない。
「とりあえず、この周囲に落ちていたりしないかだけチェックしよう。なかったら、近くに人がいるか探しに行こう」
わかった、と秋は木のくぼみを覗いたり、枯れ葉を足でどけたりしていた。
僕も地面にそれらしきものが落ちていないか、見て回った。
木の幹に虫取り網が立てかけてあった。その横の短い枝に、虫かごがかけてある。
気になって、虫かごの中身を眺めてみた。
茶色くなった葉っぱが入っている以外、目立つものは入っていなかった。
何かとても小さな虫でも入っているのだろうか。蓋の裏側にくっついているのかもしれない。
虫かごを持ち上げて見てみるが、蓋の裏側には何もついていなかった。
諦めて手を離すと、虫かごは地面に落下した。
枝に掛かっていた紐が外れてしまったのだった。
衝撃で蓋が開いた。
「あ! 捕まえて!」
背後から、ヤシが全速力でこちらに向かって来ていた。
「捕まえるって、何を?」
「その葉っぱ!」
僕が足元を見ると、茶色い木の葉は風も吹かないのに飛んでいた。
「うわっ」
僕は驚いた拍子に、躓いて転ぶ。
葉っぱは木々の奥へと飛び去った。
「あああ、おれの見つけたレアな蝶があ!」
ヤシは痛切な声をあげ、蝶が消えてしまった方を黙ってしばらく見つめていた。
「何で逃がしちゃったんだよ……あんな、葉っぱみたいな蝶、滅多に見つからないんだぞ」
「逃がしたというか、手が滑って」
ヤシは涙を目に浮かべて、近づいてきた。
「ひどい。せっかくみんなに見せようと思って持ってきたのに、勝手に触るなんて」
焦りで、手のひらが汗を掻いていた。
「いや、ちょっと中身見ようと思っただけで、紐がちゃんと枝に掛かってなかったんだよ」
「おれのせいにした! はるのせいだろ!」
彼は怒って、僕をどついた。
僕は後ろ向きに転んだ。
「いてっ! 何するんだよ!」
ビックが間に走り込んでくる。
「どうしたの。はる、大丈夫?」
ビックの後ろに、アサヒとシゲ、ハナセがついてくる。
肘がヒリヒリして目をやると、すりむけて血が出ていた。
「それ、洗ってきた方がいいね。話は後で、まずは怪我の手当だ。俺の家、すぐ近くだから」
ビックの家で傷口を洗い、絆創膏を貼って、待ち合わせ場所に戻った。
引き続きヤシは怒っていて、僕の目を見なかった。
「山の中でかくれんぼしようぜ」
ヤシの言葉に、みんな静かになったが、じゃんけんの結果、アサヒが鬼でとりあえずのかくれんぼが始まった。
「じゃあ、三分後に鬼はスタートね!」
それぞれが隠れ場所を探しにばらけた時、僕はアサヒに服を引っ張られた。
「何があったかヤシから聞いたよ」
僕は黙っていた。
「謝った方がいいんじゃない?」
「でも……」
僕が虫を逃がしてしまったのは事実だし、謝るべき事だと思う。
でも、それはわざとやったわけじゃない。
それに対してヤシはわざと僕を押して怪我をさせたのだから、より謝らないといけないのはヤシの方だ。
「ヤシも悪いとは思うよ。でも、ヤシの大切なものをなくしちゃったんだから、はるも謝った方がいいよ」
アサヒは真面目な顔で僕の目を見つめた。
「ちゃんと謝れば、きっとヤシも謝るよ」
「まあ……うん」
悲しい気持ちと悔しい気持ちで、胸が締めつけられた。
「さ、あと二十秒で探し始めるよ」
「ええ! 数えてたの!?」
アサヒは笑って、カウントダウンをし始める。
謝りたくなかった。でも、ヤシとずっと喧嘩しているのも嫌だ。
気持ちはどんよりと曇っているのに、空には雲ひとつなくて、僕は山の中をめちゃくちゃに走り続けた。
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