英語で警告メールが会社に届いても何もしないということ

浅賀ソルト

英語で警告メールが会社に届いても何もしないということ

目の前の世界が現実か仮想かという話はよくあるが、それを目の前の人に聞いても意味がないというのは奥の深い話である。

「ここはリアルです」「ここは仮想です」どちらの世界でもどちらの回答もできるし、それを聞かされても確かめる手段がない。

まあ、そもそもそれを自覚したり確信したりする手段というはないわけで、あとは自分の感覚でそれを確信するしかない。

あまり深く考えると頭がおかしくなるし、本当にそうやっておかしくなった人もいる。

とりあえず今見て触っているものは現実であるというところは前提にしてこうじゃないか。

なんの話かっていうと、英語のメールが会社の代表メールアドレスに送られてきて、「お前のところのサーバがハッキングされて乗っ取られてるぞ。ちょっと調べてみろ」という内容だったのである。

私がたまたま目にして、ちょっと気になったのでインフラ担当に連絡してみた。

「こんなメールが来てるけど大丈夫?」

「ちょっと調べてみる」と返事がきて、それで自分の手から離れた。

私の担当は営業で、たまたま英語ができるからそれを読むのに抵抗がなかっただけという話である。

それから一週間後にまた英語で、「乗っとられてるって言ってるだろ。○○の△△を見てみろ」みたいなメールが送られてきた。専門用語のところは私には分からない。

再びインフラ担当に連絡してみた。

「調べてみる」と返事がきた。

前回と違うのは翌日に「何も見つからなかった」と報告があったことだ。

話は冒頭のSF話に戻る。何も見つからないなら何もないのか。それとも何かあったけど見つからなかったと言っているのか。本当はあるのか、本当に無いのか、それは自分では判断できないし、何を言われてもその根拠が分からない。

私はちょっと思考の迷路に入ってしまった。

彼女に相談してみた。LINEではこういうややこしい話はできないので、デートしたときに話題として出したのだ。あ、一応、うちの会社がハッキングされているかもしれないって情報の漏洩にはなるけど、そこは付き合ってる彼女なんだし、大目に見て欲しい。

「こういうメールが来て、そこではハッキングされてるってあるんだけど、システムの人はされてないって言うんだ」

「確認だけど、脅迫のメールじゃないんだよね?」

「遠回しな脅迫かもしれないけど、たぶん違うと思う。善意なんじゃないかな」

「うーん」彼女は——名前は武笠麻里という——口をつぐんで考え込んだ。自分は文系だが彼女が理系なので、彼女の方がどちらかというとこういう話の専門だ。「最悪の場合を想定すると、どういうことになる?」

「うーん、どうだろうな。ユーザーの個人情報は漏れるね。クレジットカードは大丈夫だと思うけど、住所とか電話番号が漏れてるかも」

「そういう被害はあった?」

「問い合わせには来てないと思うけど、僕の立場だと分からないな」

「漏れてたとしても、それがこなさんの会社から漏れたかなんて分からないもんね」

「うーん」ちょっと何言ってるか分からないので私は曖昧に答えた。こなさんというのは私のことである。小長谷こながや

「変な電話がかかってきたり、不正なカード請求があったとしても、それでこなさんの会社から漏れてるかどうかは分からないってこと。普通はAmazonとかYahooから漏れたと思うでしょ?」

「うーん。まあ、それはそうだね?」うちの会社から漏れたらうちの会社から漏れたとバレるような気がするけど……うーん。

「まあ、気にしなくてもいいんじゃない? どっちにしろ、こなさんの担当じゃないんだし」

「そうだね。ま、あまり考えすぎてもよくないか。次からはそんなメールが来ても無視するよ。みんな英語のメールを無視しすぎ」

「あー、それ、あたしもだから人のこと言えない」彼女はそう言って笑った。

それからしばらくは何もなかった。というか、英語のメールは来ていたけど、私は無視をした。

善意の警告とも悪意の脅迫とも見方によって受け取れるけど、別にお金を要求しているわけではないので、刑事事件にもならなかった。会社のサービスは特に何事もなく継続し、月々の売上を計上していった。私はコラボの提案をしたり、広告の提案をしたり、あちこちたくさんの人に会って仕事をしていた。

ある作品のアニメ化の話があり、その情報解禁日に合わせてキャンペーン企画をやるという仕事が進んだ。しかし、解禁日の前に情報がリークしてしまった。漏らしたのは匿名のSNSアカウントだが、そこがどこから情報を入手したのかが分からなかった。うちかもしれないし、うちじゃないかもしれなかった。

こういうときはキャンペーンは無しにならず、普通に解禁日にどどーんと発表する。SNSの反応は「知ってた」ばかりになり、社内も社外もイマイチ盛り上がらなかった。

「漏らしたアカウントの発言を見てると、なんかうちの会社に侵入しているのってこいつなんじゃないかと思うんだよね」私は言った。

彼女は、「ハッカーじゃなくて、本当にただの身内かもしれないよ。承認欲求をこじらせた感じの」と言った。

もちろんその可能性もある。

そうじゃない可能性もある。

私は匿名アカウントを作って、「あそこの会社はハッカーに侵入されて全部の情報が筒抜けになっている」と書き込んでみた。

バズるかと思ったがスルーされてしまった。

どうしてだろうと思って調べてみたら、世の中のあらゆるものに対して、実は筒抜けという噂を流すアカウントはあって、そういう噂がない会社の方が少ないのだった。

複数のアカウントを使い分けて、それぞれの会社の悪い噂を流す奴もいれば、1つのアカウントがハッカーを名乗ってあらゆる会社の裏情報をとにかく数を稼ぐ奴もいた。

さらに知りたくなかったことだが、英語で、「お前の会社はハッカーに侵入されて乗っ取られているぞ」とメールを送るのが趣味という奴もいた。

「全部嘘じゃないか」

「あははは」彼女は笑った。「そういうこともあるんだねえ」

「え、いや、本当に僕はかなり気にしてたんだけど。ちょっとした鬱だったよ」

「うん。そうだったね。お疲れさま」

なんか私は彼女の軽さが気になった。「いや、本当に心配だったんだよ。会社の情報が筒抜けとかさ」

「そうやって心配させるのが目的なんだよ。いや、ごめんごめん。お疲れさまっていうのは嘘じゃないよ。けど、もう忘れた方がいいよ」

「うん。そうだね。そうなんだよ」

ただ、これを読んでいる人も経験あると思うんだけど、同じ気持ちになれないこの微妙なすれ違いがいつまでも残った。

彼女は私のことを好きなんだろうかと思った。

もちろん、確認する方法はなかった。

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