第31話──約束を果たすとき
王子は驚いていた。瞳が丸くなり、口が開いたまま。そんな王子に向かって秘書官になって初めてだろう微笑みを向ける。王子がいつもそうしてくれていたように。
「意外にもあっさりと決めたな。もっと抵抗するものとばかり思っていたが」
男はいぶかしむように目を細める。簡単に信頼するはずもないが。
「王子の命が何より優先される。私一人でどうにかなるなら考える余地もない」
「ダメだ──ダメだティナ! そんなことは許されない!」
王子……。声を荒げてくれるその優しさがこんなときに愛しく感じてしまう。
「咎人の血が流れてることを気にしているのか? 僕はずっと知っていた! 君が何者なのか、君があのとき一緒に過ごしたティナだと、僕は最初から知っていたんだ! だから君を選んだ。ティナがティナだと気づいていたから──」
「王子。……もう、決めたことです」
やはり、王子は変わっていなかった。私のことを認めてくれたあの日のまま。
「王子を救うにはこの方法しかありません。私は、王子の秘書官として任務を全うし、そして今このとき秘書官の任を降ります」
王子の瞳が真っ直ぐに私を見る。王子がいてくれてよかった。ここまで頑張ってきてよかった。王子の傍にいられてよかった。私の目指した道は間違えていなかった。だから。
唇が震える。本音を話すのがこんなにも苦しいことなのか。フリーダが言っていた通り、私は随分と長い間自分の本心を閉じ込めていたのかもしれない。
「だから、王子──」
声も震えているのがわかる。でも、意志を曲げるわけにはいかない。ここで涙を落とすことはできない。
「それ以上優しい言葉を掛けないでください」
揺れる視界の中で王子の瞳が静かに下りるのを確認した。私は微笑むのをやめて最後の交渉に入る。
「王子を解放しろ。私は、今から咎人として生きていく」
「いいだろう。だが、お前がこっちに来るのが先だ。後ろに小さな通路を用意している。そこを抜ければ我々の仲間が待っている」
「わかった。だが、約束は
地面に落ちた剣を
王子、いやマリク。今までありがとう。役に立たない秘書官でしたが、最後に人として一つだけ祈らせてください。王子の進む道に太陽の祝福がありますように──。
「ダメだ。秘書官を辞めるのは認められない」
独り言のように小さく呟かれた一言に足が止まってしまった。裏返されたナイフが鈍色に光る。
「王子様。もう終わったんだよ。あんたも王子の前に男なら、終わったことをぐじぐじ言わずに後姿を見送ってやるんだな。秘書官一人救えない自分の弱さを噛み締めながらな」
「──確かに私は弱い。太陽の紋章もまだ十分に扱えず、ティナや仲間たちに助けてもらってばかりだ。けれど、私は守らなければいけない。たとえ、弱くても情けなくても。僕がかつて果たした約束を守るために。そうだろ? ティナ」
何を言ってるの? かつて果たした約束? それは──。
『マリク。マリクが守るみんなの中に、私は……いる?』
『前も言ったけど、もちろんティナも入ってるよ。ティナはこの国に住む人だもん。それに、僕の大切な友達だ』
唐突に浮かんだ子どもの頃の会話。マリクは確かに最後にこう言った。
「咎人だってなんだって変わらない。ティナはティナだから」
「今さら何ができるんだ? 紋章も上手く扱えない、ろくに動けない状態でできることなんてないだろう」
「できるさ。信頼できる仲間がいれば、私はなんだってできる」
王子の体が白い光に包まれる。周囲の暗闇全てを照らすような眩しい光だった。
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