第22話──アヌ国への道

 いつかのときのように市民に変装して城下町を抜けると、草原地帯を一気に馬で駆け抜け山岳地帯へ入っていく。険しい山道に入る寸前で白毛の馬を止め、一度街の方を振り返れば遙か先に今はない私の家があった平地が見える。誰も住む者がいなくなった家屋は解体され、飼っていた家畜も処分されたと聞いていた。今は当然、跡形もなく草原の一部と化している。


「昔、父に連れられてこの辺りに来たことがあるんだ」


 青毛の馬が隣に並び、王子が同じ方向を見た。


「数日間お世話になった家があってね。ところが、賊に入られたと聞いている。詳しくは知らないが、それ以来ここに来ることは今日までなかった」


「王子! もしやそのときに──」


「……どうしたの? ティナ」


「いえ、なんでもありません」


 アーダンの呼ぶ声がして王子は離れていった。急がなければいけない。山の天気は変わりやすいと聞く。少しでも先に急がなければ。


 それに、今さら過去の記憶を聞いて私はどうするつもりだったのだ? あのときの関係にはもう戻れない。今、王子の傍にいて王子の力になれているだけで十分だ。


 私は、近衛兵が全員山道に入ったことを確認すると手綱を緩めて馬を前へと進ませた。殿しんがりは私が務め、先頭はアーダン。真ん中に他の近衛兵と王子、そして少し離れてフリーダという配置で先を急ぐ。


 とはいえ山道は草原のようにはいかない。隊が乱れぬように慎重に歩を進める必要があった。それに、馬に慣れている私達とは違い、フリーダはかなり不得手だった。


 怯えているのか猫背気味で前方に体を傾けすぎている。上体も左右に揺れて落ち着かない。


「わっ、とっとっと……」


「ゆっくりでいいフリーダ。すぐに慣れる」


「まあ、ね……わ、私ほどの才能があればどんな暴れ馬だろうとすぐに手懐けられるわ! わあっ! あ、ああ……」


 フリーダに与えたのは一番穏やかで人を乗せるのも慣れている馬なのだが。……黙っていた方がよさそうだな。


 〈アヌ〉国へは、今日のように恵まれた天気であれば通常、半日か1日程度でその領土へたどり着くことができる。両国は山で阻まれているとは言え、何百年も国交のある国。長い道程だが道は整備されており、冒険者やギルド員、商人などがそれぞれの目的のもとに行き交っている。馬に不慣れな者でも危険の少ない道だ。


 だが、そんな道でもやはり街から遠く離れれば危険な野生動物は存在する。


 細い道の両脇に端然と並ぶ長いシラカバの木々の奥から、こちらの様子を窺う気配がする。


「フリーダ」


「んあっと! な、なに? 今、ちょ、集中してんだけど!」


「敵の気配がする」


「うっえぇ!? こんなときに!」


 素っ頓狂な声が上がるが、木々の暗がりの奥から何かが逃げていく様子は見られなかった。春から初夏に移り変わろうとするこの時期、飢えた狼が人を襲う話はよく聞く話だ。山道を通る者は常に何かしらの食料を持っている。


「何かありましたか!?」


 フリーダの前を行く近衛兵が驚いた表情でこちらを振り返った。王子もアーダンも足を止める。


「林の奥に気配があります。こちらの様子を窺っているようですが」


「追い払う? 私の魔法なら一発だけど」


「確かにフリーダの魔法は強力だけど、ここで使われたら森に火を放つことになりかねないよ。無駄に命を奪いたくはないんだけど」


「私が様子を見てきます」


 狼ならまだいい。問題は、潜んでいるのが怪物フォヴォラの場合。


「王子は先を急いでください。すぐに追いつきますので」


「ティナ。それはダメだ。仲間の命を危険にさらすわけにはいかない」


 王子の目が笑っていない。だが、なるべく危険は避けたい。


「アーダン。王子を連れて行ってほしい」


「ティナ!」


「王子。ティナの判断が懸命です。いつ敵に襲われるとも限らない。我々は先を急ぐ必要があります。ティナなら十分に対処できる」


 ためらうように王子の瞳が左右に揺れる。仕方ないと判断したのか、重い息を吐いた。


「わかった。でも、単独行動は認められない。フリーダ、ティナと行ってくれるかい?」


「もちろんです王子。本当は王子の傍を離れたくなぃ゙って、うわぁああ!!」


 フリーダの馬が前足を大きく上げて小さな騎手を振り落とした。尻もちをついたフリーダの顔の前で尻尾が激しく揺れている。限界だったのかもしれない。


 こんなときにも関わらずアーダンの笑い声が響き、感染するように笑い声が広がっていく。不意に王子と目が合ったが、まさかの苦笑いを浮かべていた。


「あっ! こらっ! あんたまで笑うな! けっこう痛かったんだから!!」


「笑ってない」


「いやいや! 吹き出すのをこらえる感じで笑ってたって!」


 一頻り笑い合うと、再び喉が冷えるような静かな空気が戻ってきた。


「ティナ、フリーダ。それじゃあ、くれぐれも気をつけて。無理をする必要はないからね」


「わかりました」


 馬から降りるとフリーダを起こして、鞘に手を置く。高い木々に覆われた暗がりが口を大きく開けているように見えた。 

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