第20話──新しい力

 街は夜になると姿を変える。月明りに照らされて静寂になる。賑わっていたお店も当然店じまいとなり、窓から見える淡いランプの灯りがぽつぽつと暗闇を飾っていた。


 人通りのないレンガの道を私はひっそりと進んでいた。誰かに見られるわけにはいかなかったから、目深にフードを被り足音を立てないように慎重に歩を進めていた。


『いい? どんなに剣の腕がすごくても、紋章の力には敵わない』


 あのあと、紅茶を飲み干したフリーダは人差し指を立ててそう言った。アーダンとの手合わせで痛いほどそれは実感していた。そもそもが剣が槍と戦うのは大変だとは言え、さらにアーダンには〈重槍の紋章〉がある。最初から使用されていれば全く歯が立たなかったかもしれない。


 フォヴォラとの戦いでは、私一人では勝てなかった。小さなタイプであればなんとかなる。だが、王子を襲った大型の怪物には私だけでは到底攻略は不可能だった。


『紋章の代わりにはならない。だけど、あんたの能力をさらに飛躍的にアップさせる力がある』


 その名を「契約」とフリーダは述べた。神との契約。


『何かと引き換えに何かを得る。具体的じゃないとダメ。漠然と幸せになりたいとかそんなんじゃだめ。必要なのは強い決意と、そして想い』


 大通りをひたすら真っ直ぐに進む。目指すは商業区とギルド区を抜けた先にある教会。住宅区の入口となる目印だ。


『ま、王子を想う気持ちなら私も負けてないけど、あんたなら契約できると思うわ』


 はやる気持ちは先を急ぎ、教会の中で祈る自分を想像していた。神の祝福の光が宿る場所、神への祈りを捧げる場所。私にとっては居心地の悪い空間が、皮肉にも今は必要な場所になっている。


 月と星の光に導かれるように一際高い建物が見えてきた。風に揺れる鐘は夜でも存在を主張している。


 教会だけは唯一夜でも扉が開け放たれている。扉が閉まったいるのは今まで十数年、見たことがなかった。神の導きを受ける者に誰でも手を差し伸べる神父様の姿勢が現れていた。


 扉をくぐると、今でも小さい子どものような気分になる。後ろを振り返れば、シスターに手を引かれて連れてこられたあのときと同じ真っ暗闇が広がっていた。


 懐かしい匂い。懐かしい空気。もう、ここにはきっと帰ってくることはないと思ったのに。


 祭壇のある一階にはこの時間は誰もいない。孤児達を寝かしつけるために、みんな宿舎に向かっている。今なら咎められることもなく目的を果たせるだろう。


 祭壇横に設置された告解室へと入ると、フードを取って古びた椅子へと腰掛けた。


 目の前には剣を握った聖像が、そして四方は木の板で囲まれた小さな部屋だ。幼い頃にはこの部屋がとても恐ろしく思えて、近づくことを避けていた。


 ここは神への祈りの場、神との対話の場だからだ。


 私は国王にするように聖像の前でひざまずくと、目を閉じた。人一人分しか入れない狭い部屋の中で胸の鼓動が大きくなっていく。拍動。絶え間なく動き続ける心の臓。


 ──脳裏に焼き付いているのは、今も血の海だ。あの夜。両親が殺され世界が一変したあの夜。悲鳴を上げた私に気づいた男は、私に刃を向けた。何を言っていたのかはわからない。目の前にはただ振り上げられたナイフがあって、私は何も考えられずにその切っ先を見つめていた。ナイフが勢いよく振り下ろされる。次の瞬間には、母親が私を庇って倒れていた。身体から溢れる赤い血の海。


「……気がつけば私はここにいた。私だけ・・がここにいた。両親は殺された。母親が、咎人だったから」


 あの暗闇の中で微かに覚えているのは、男の下卑た笑いと男が咎人だったということ。お母さんはそれ故に殺されて、それ故に私は独りになった。


「私には半分咎人の血が流れている。教会ここの神父様もシスターも良い人だった。私と同じ孤児達は愛情豊かだった」


 けれど私だけが違う。どこにいても誰といようと私は他の人とは違う。人として認められない私は、いつも息苦しかった。


「だけど、王子は、マリク王子はきっと私を受け入れてくれる」


 どこまでも広がる草の匂いのなかで、夕焼けに染まる幼い王子の横顔に、私は初めて告白した。


『マリク。マリクが守るみんなの中に、私は……いる?』


『前も言ったけど、もちろんティナも入ってるよ。ティナはこの国に住む人だもん。それに、僕の大切な友達だ』


『咎人……だとしても? 私が半分、咎人だったとしても?』


「マリク王子は目を丸くしていた。だけど、すぐにいつものように微笑んでくれた」


 そして、確かにこう言っていた。


「咎人だってなんだって変わらない。ティナはティナだから」


 そんなつもりはなかったのに、瞳から涙がこぼれてくる。力のなかった子どものときと同じように視界がぼやけ、肩の震えが止まらない。


「だから……私は……王子の傍に。ただ、マリクの傍にいたかった」


 マリクに会うためならなんでもできた。耐え難い苦痛も孤独の辛さも強さを手に入れるためだと納得できた。王子の傍にいることのできる相応しい人間になるために。


「そして……今、また新たな強さが必要なんだ」


 決して紋章の宿ることのない手の甲で涙を拭う。泣いている場合ではない。王子を守るために、私は──。


「神よ。私には反逆者である咎人の血が流れている。それでも、私は人間として生きたい。だから今ここに誓おう。どうか契約を。私に契約の力を。王子の命が尽きるとき、私もまたその命燃やしつくさん」


 声が響いた。息が切れ、脈が早くなっているのを感じる。そのまま数秒間、胸の鼓動を聞きながら待っていたが何の変化も起こらなかった。


 神の契約が認められると、光に包まれるとフリーダは言っていた。しかし、そのような光は現れず、体に特に変化もない。


「……やはり、私ではダメだったのか……」


 おもむろに立ち上がると、像を一瞥して背を向ける。やはり咎人は、どこまでいっても世界から排除される運命なのかもしれない。


「!」


 変化を感じたのはそのときだ。ランプの光さえない暗がりの部屋に一筋の白い光が差した。振り向けば光は瞬く間に広がり、私の前に降りる。天からの光、そう感じた。


 恐る恐る光の中へ手を入れる。降り注ぐ太陽のように温かく柔らかな光は、私の全身を包んでいく。


 眩い光に目がくらむ。てのひらも指も白に呑み込まれていき、やがて視界の全てが白い光に覆われた。

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