第11話──王子の仕事
フォヴォラは動かなくなり、風にかき消されるように存在が消滅する。
「王子!」
急いで王子の元へ向かう。優しい微笑みで迎えてくれるが、表情が疲れていた。
「どこかおケガは! 確認します! 服を脱いでください!」
ポン、と何かが頭に触れる。それがまさかの王子の手だと気がつく前に、王子の輝くような綺麗な瞳が目の前にあった。
「あ……」
ち、ちちちちちち近い! 王子の顔が目の前に! 目が! 唇が!
「ティナ。問題ないよ。ケガはどこもしてない。私だけでなく、他の者もだ。君の剣で誰かが傷つく前に、まずは、剣を鞘に収めてもらえると助かる」
からかうような笑顔が咲いた。花弁が一斉に開くように。
「あっ……はい。申し訳ありません」
すぐに剣を鞘に戻すと、王子の温かな手が離れていった。
「さあ! まずは住民の安全の確保だ! みんな疲れてると思うが動いてくれ! 一人、誰か至急王宮に向かい現状報告と応援要請を頼む!」
王子を守っていた町民に扮した近衛兵が、王子の命令でさっといなくなりそれぞれの任に当たる。
「……なに、ボーッとしてるのよ? 王子の手の感触を楽しんでるの?」
「はっ! 失礼な! 今、動くところだ!」
頭を手のひらでゴシゴシと触ると、後ろを振り返る。やらなければいけないことは山ほどある。まずは、被害の確認と補償の手配、それから秘書官として報告書の作成となによりも今回の
「あっ、マリク王子! 私は、フリーダ・ルフナです! 王子に会いにここまで来ました! 私を王子の元に加えさせてください!」
「なにぃ!」
そうだ! 忘れてた! フリーダ・ルフナ! 王子を守る最強の紋章士になるとか、王子のことがカッコいいとか。こんな得体のしれない者を王子に近づけるわけには!
「ありがとう。ちょうど紋章士が少なくてね。助かるよ」
「お、王子! お言葉ですが、そんな身元もしれない者を登用されるのはいかがかと! だいたいその者は王宮に忍び込んだ賊ですよ!」
「あ〜あれは、仕方なくってやつよ。王子にお会いするにはああいう方法しか思いつかなかったんだから」
「だからって!」
「ティナ。私は、誰であれ力を貸してくれる者は歓迎するよ」
「いえ、ですから! 王子!」
側にいたアーダンが大声で笑った。
「アーダン! 笑っている場合ではない! 一緒に王子の説得を!」
「いや〜それは難しい問題だ、ティナ。王子は一度決めたら頑なに曲げないお人だからな」
「し、しかし!」
なぜだ! なぜ! こんな展開に! 私はいったいどうすればいいんだぁあああ!
*
「──状況は理解しましたが。これは、
「おっしゃるとおりです。まことに申し訳ありません」
街での襲撃は当然すぐに王の耳にも入ることとなり、私は王子とともに謁見の間へ呼び出されていた。
「あなたの謝罪に何の価値があるというのですか?」
「……はっ。いかなる処分でも受けいれる所存です」
防衛大臣が責め立てる。当然だ、王子の命に危険を晒したのだから。
「処分? あなたは確か先の会議で自身が全て責任を追うから少人数の護衛だけで、と言っていましたが。では、首を斬れと言われればそのようにするのですか?」
「大臣。それくらいにしておいてはどうか?」
「国王。こういうことはきちんとしておかなければ。王子はこの後、各国を訪問する予定なのですよ? こんなことがあったとわかれば我が国の信用も失墜してしまいます。日取りも検討し直さなければなりませんな。やはり、
床についた手がどうしようもなく震える。動揺を隠すために唇をかんだ。耐えろ、ティナ・アールグレン。悪いのは私なのだ。私がしっかりしていなかったからこそ。私が──。
「ノルドマン。その発言は、ティナを秘書官に任用した私を責めていると理解していいかな?」
王子が私の前に出た。王子……何を?
「そ、そのようなことは。ただ、私は秘書官の任が重過ぎるのではないかと申しているだけでありまして」
「ならば『女』などと一般化しない方がいい。あまりにも言葉が過ぎる。下品と感じるほどにね。それに今回のことは元々私が言い出したこと。襲撃も成人の儀の翌日に起こったことから突発的ではなく、事前に計画されていたと見るべきだ。ティナは、厳しい状況の中でも極めて冷静な判断を下し、確かな実力を持ってことにあたった。結果、けが人は一人もおらず、家屋の破損も軽微で済んだ。これと同じことを果たして我が軍の中で誰ができる?」
王子の言葉尻に、気のせいかもしれないが怒りを感じた。今まで感じたこともない気迫が王子の声からにじみ出ている気がする。
「ですが、実際には襲撃は防げず、他国に恥を──」
「もういいと言っている。ノルドマン」
国王の一言で場が静まり返った。ちらりと顔を上げれば、いつも微笑みを浮かべている王子の顔は近寄り難いほどに威厳があった。私の視線に気がついたのか、王子の目がこちらを向きほんの少し微笑んでくれる。
「咎人の襲撃を防ぐことなどできない。これは、歴史が証明していることだ。王子の言う通り、アールグレン秘書官は任に就いたばかりでよくやってくれた。それにその実力は、元々ノルドマン、お主が一番知っているはずだろう」
「はっ……」
「さて、ようやく未来の話ができるな。して王子、各国への訪問はいかようにするつもりか聞こう。おっと、アールグレン秘書官、もうひざまずく必要などないぞ」
「失礼します」
立ち上がると、集まった大臣や副大臣、事務官たちの好奇の目が私に注がれていた。もう、慣れたものだが。
「日取りはこのままで、と考えています」
場がざわついた。口々に反対意見が述べられる。
「我が国を除く8カ国、そのうち特に隣国〈アヌ〉はすでに準備を進めているはず。我が国が襲撃を理由に日取りを遅らせれば、多大な影響を及ぼす可能性があります。それに、襲撃があったからという理由で揺らいでしまえばそれこそ我が国の立場を危うくするのではないかと」
皆の動揺を鎮めるように、王子は落ち着いた穏やかな声で理由を話す。
「ほう。お前がそういうのであれば、構わん。して、護衛はどうする?」
「私の周りで十分です。ちょうど新しい仲間もできたことですし」
「お、王子! いくらなんでもそれは!」
「構わん。王子の判断だ」
「ありがとうございます」
「では、予定通り1週間後、出立することとする。各々準備を進めるように。以上だ」
緊急会議は終わり、王子と私は謁見の間を出た。私はすぐに王子の前に立つと頭を下げる。
「申し訳ありません、王子」
「ティナ。何か君が謝らなきゃいけないことをしたのかい?」
「はい。私のせいでこのような事態となり、大臣の心証も悪くさせてしまいました」
「君は、そう思うの?」
「えっ、は、はい」
王子の顔がわからないから何を思っているのかわからない。呆れているのか、内心怒っているのか。もしかしたら、せっかくここまで来たのに秘書官の任を解かれてしまうかもしれない。そうしたら、私はどうしたら──。
「そっかぁ。僕は君をかばうために格好つけたつもりだったんだけどなぁ」
えっ……?
思わず顔を上げれば、王子は吹き出して笑ってしまった。
「お、王子? あの?」
戸惑う私を前にして、王子はしばらく笑い続けた。通り過ぎる兵士が、何事か、というふうに見ていく。
「わ、笑わないでください! 王子! 私は、真剣に──」
「ごめんごめん、あまりにもティナの反応が面白くて。そうだね、ティナはいつも真面目だから。でも、これは僕の王子としての仕事だと思っているから」
「王子の仕事、ですか?」
王子はにっこりと微笑んだ。まるで丸ごと包み込んでくれるような笑顔だった。
「さっきも言ったけど、君を秘書官にしたいと決めたのは僕だ。君は、もう僕の大切な仲間。仲間を守るのが僕の仕事だからね」
瞳がゆっくりと瞬いた。王子の笑顔が輝いて見える。大きな
あのときも王子は、そう言っていた。仲間を守るのが王子の仕事だと。だから、私は、私はその言葉を信じて──。
「ティナ?」
聞き心地の良い声が私の名を呼んだ。私の名を? 私──。
はっ! いけない!
「すみません。つい意識が……」
「だ、大丈夫かい? 実は僕に黙っていてどこかにケガを負ったりなど」
「いえ、問題ありません。この通り体の調子はすこぶるいいです」
「そうか。それならいいんだが。じゃあ、戻ろうか。まずは、休憩して」
「王子、そんな時間はありません。日程が変わらない以上、やらなければいけないことは山ほどあります」
「そうか、ははっ、自分で言ったものの参ったな」
先を行く王子の背中に向けて、私は小声で感謝の言葉を告げた。
「ん? なにか言った?」
「なんでもありません。それでは戻りましょう」
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