『世界で一番の…』(「大人のビターな恋物語」参加作品)
〇一人称:私→あたし、わたくしなど女性一人称代名詞であれば変更OKです
〇二人称:彼、アイツの男性が二人いますが、どちらを指しているかわかれば「あの人」など変更してもらって大丈夫です。
〇語調:意味の変わらない言い換えは問題ありません。
〇SE, BGM:素材サイトおよび公開するアプリやwebサービスの規約に則っていれば問題ありません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
終業のチャイムを聞き終えて、パソコンを閉じた。名札を外して、席を立つ。それを合図に同じフロアのみんなが立ち上がって私の周りに集まってくる。
「今日まで、有難う御座いました」
そう言って、初めて私が教育した部下が私に花束を差し出した。
「こちらこそ、有難う」
ピンクをベースにしたその花束を受け取ると、彼女と並んでいた上司が、
「末永く、幸せにな」
と、ラッピングされた箱の入った袋を手渡した。
来月に挙式を控えて私は、今日この職場を去る。少し古い言い方をすれば、寿退社というやつだ。
とは言っても、今私の周りにいる人のほとんどは披露宴や二次会で会うことが決まっているので、左程寂しいとかいう雰囲気にはなってはいない。
理由は、それだけではなく。
「それじゃあ、帰る?」
「うん」
プレゼントで両手がふさがった私の隣で私のバッグを持った男性が私の夫になる人だからだと思う。
25歳の時、失恋して落ち込んだ私に声をかけて、寄り添ってくれたのが5歳年上で同僚の彼。1年近く経って告げられた交際の申し出を断る理由もなくて恋人になった。
ハラハラしたり、ドキドキしたり、少女漫画に見るような関係ではなかったけれど、彼と過ごす時間は穏やかでホッとできた。手を繋ぐことも、腕を組む事も苦手な彼とのデートも、彼と私の性格ではそれがちょうど良かった。
それから2年後のプロポーズ。当たり前のように受け入れた。なんの疑問もなかった。交際を受け入れた時に、いずれは彼を伴侶として選ぶだろうという予感もあったから。
きっと、この先もずっと、こうして柔らかな時間の中で人生を過ごしていくのだろう。運転する彼の横顔を、助手席から眺めて、そんな事を考えていた。
「送ってくれてありがと」
家の前で停車した車から降りて、会社で贈られた送別品を受け取る。と、彼がもう一つ小さな紙袋を取り出した。
「それは?」
今このタイミングで彼からプレゼント、などという事はないだろう。不思議に思って反射的に質問をした。
「預かってたんだ。君の、親友から」
「えー…?」
“親友”という言葉にどきりとした。交友関係の狭い私に“親友”と言える人間は…一人しかいない。
「君が結婚する時に渡してほしいと、頼まれていたんだけどね」
いつ渡したらいいのかとタイミングを迷っていたのだと、彼は言った。
「――そうなんだ。ありが、とう」
動揺はバレなかっただろうか。それとも、気づかぬ振りをしてくれたのだろうか。袋を私に持たせると、また週末に、と、車は発進してしまった。テールランプが角を曲がって見えなくなっても、暫く私は動くことができなかった。
紙袋を机に置いて座り、どれくらい時間が経っただろう。小さな紙袋の中身をどうしても私は確認することができずにいた。どういうつもりで、このようなものをアイツは彼に渡したのか。それがわからなかった。
3年前、私を失恋させたのは、アイツなのだから。
アイツは、同じ会社の社員だった男。同じ年の社員が他にいなかったから、私たちはすぐに打ち解けた。陽気で明るくて、人懐こいアイツと、とにかく楽しいことが好きな私。同じ年の同僚以上に距離が近くなったのは、当然だったと思う。
好きな食べ物、好きな映画、行ってみたい場所。とにかく気が合って、何をしても楽しかった。
一年が過ぎる頃には社内でも付き合っていると噂される位いつも一緒にいて、でも、私たちの関係はあくまで「性別を超えた友達」だった。アイツは恋人はいらない、決まった恋人とばかりいるよりみんなで楽しくいるのがいいと言っていたし、私は、女性同士の付き合いというのが苦手だったからアイツといるのが何より楽だったのだ。
その関係が崩れたのは怖いことで有名なお化け屋敷のあるレジャー施設で出かけた時の事。想像を超える怖さで施設内で動けなくなった私の手をアイツが引いて出口まで連れて行ってくれたのだ。友人なのだから話すこともはしゃぐ事もしたけれど、手を繋いだのは、初めてだった。今まで意識したこともなかった手や背中の大きさとか、手を引く力の強さとかを嫌でも知ってしまった。「気の合う友人」に隠れていた「異性」に気づいてしまった。その瞬間に、私の中でアイツは「友人」ではなくなってしまったのだ。
かといって、アイツは私に「友人」以外を求めていない。精一杯胸に抱えた想いを閉じめていつも通りの関係に努めた。一か八か打ち明けて距離を置かれてしまうよりずっといい。そうしている間に、アイツ心変わりしないかな、なんて微かな期待も込めて。
そうして、自分が誰よりもアイツに近い友人の位置に居ると、思っていたのに。
-アイツは何も言わずに会社を辞めた。何も聞かされていなかったことが、ショックだった。
退職の日、食事に行った。理由を聞きたかった。そして、明日以降もまた会える確証が欲しかった。
その結果、理由はやはり教えてもらえず、今日を最後にもう会わないし連絡もしないと、告げられた。
会社を辞めるだけなら、友人なら連絡を取り合う事くらい許されるだろう。しかし友人関係を絶縁する理由も、聞かされてもらえなかった。
「じゃあ…恋人としてとか、は――ダメ?私、さ、あんたの事…」
―俺さ、お前とはただの友達と思ってたんだけどな。
必死に絞り出した告白は、あっけなく拒否されて-アイツとの時間も終わった。
そんなアイツが、彼に渡したものとは何なのか。わざわざ結婚が決まったら渡せなんて厭味ったらしい条件まで付けて。迷いに迷った末に袋の中の箱の包装を解いた。
「……ICレコーダー?」
中には1台のレコーダーが緩衝材の中に埋め込むように入っていた。パッケージには入ってないから、きっとこの中に何かが録音されているのだ。
…何だろう。怖い。怖いけれど、私は、恐る恐るスイッチを入れた。
数秒は、チクタクと秒針の音だけが聞こえたが、やがて、アイツの声が、私を呼んだ。
アイツが去って、彼が寄り添ってくれて、消えたと思っていた想いが、ただそれだけの事で大きく膨らんでくる。消えたわけじゃなく、押し込んで蓋をして、別の想いで隠しただけだったのだと思い知らされる。
デジタルの表示がカウントする中、ぽつりぽつりと明かされる、アイツの事。
-難病を抱えていていつまで生きられるかわからない事。
-だから恋人は作らないと決めていた事。
-例え、本心を隠していても、許される限り一緒にいたいと思う人に出会った事。
-そして、遂には命の期限を告げられた事。
-本当は、ずっと私に想いを寄せていたという事。
「………そんな事っ…今…っ?」
アイツなりの気遣いだったのだろう。あの時に打ち明けられていたら、きっと私は、それでも、とアイツにこだわって、今も一人で生きていただろうと思う。 けれどアイツは、ずっと自分にこだわり続けられるより、未来を共に生きる相手を私が選んで生きることをを望んだのだ。
これは、俺の次に君を大切に想う人に託します。そう締めくくられた音声は、ピーという音で停止をした。録音日は-私が彼に告白を断られた日を示していた。
アイツの勝手な、だけど真剣な声の告白に涙がこぼれた。そして、これをずっと預かり続けていた彼の気持ちを思って止まらなくなった。
彼との約束の週末は、あと二日。それならばと、ぐちゃぐちゃになった気持ちのまま、ただ涙を流し続けた。
二日後。まだ少しむくんだ顔で私は、彼と出かけた。アイツからの贈り物について何も聞かない彼は、やはり優しいと思う。だから私は、彼の手を取ったのだ。
今日、私は、世界で一番大好きな人への想いを抱いたまま、世界で一番私を愛してくれている彼と―― 夫婦になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます