第138話 太古の学舎

 

「準備は良いですか?」

 

 レインは、ロンディーヌに訊ねた。

 

「大丈夫だ」 

 

 ロンディーヌが苦笑を浮かべて頷いた。 

 常の長衣ローブ姿では無く、鎖帷子の上に胸甲、籠手、直垂、脛当てに靴。分厚い地のマントを身に付けている。

 レインがモヨミちゃんに特注した軽甲冑だった。 

 

「以前のままなら、何の問題も無いんですが……」

 

 あれから、ずいぶんと経った。

 油断は禁物だろう。

 

「良いね?」

 

 レインは、周囲を固める従者達を見回した。

 ゼノン、ゾイ、ミノス、仔狼ロッタリアがそれぞれ短く返答をする。

 

「ダール君?」

 

 背中の"背負い鞄"に声を掛けると、

 

『……オナカ……ペコペコデス……』

 

 どこか眠たげな思念が返る。

 

「よし……」

 

 レインは、凶皇から貰った"黒鍵"を取り出した。 

 

 かつて、賢者達が集って切磋琢磨し、己の智賢を磨いた学び舎がある。 

 レインがミマリの半狐面ミカゲを手に入れた場所だ。

 

(あの時は、サドゥーラが棲み着いていた。今は、どうだろう?)

 

 神気には反応をしない"黒鍵"に、魔瘴気と呪気を注いでみる。

 案の定と言うべきか、呪いの気に反応し、"黒鍵"から金属を掻き毟るような音が聞こえ始めた。 

 

(この音……声……かな?)

 

 レインは、意識を集中し、耳に障る異音を聞き分けることにした。 

 あの王冠の骸骨がくれた"鍵"だ。普通の"鍵"であるはずが無い。 

 使用前に、霊路や仕込まれた術式などは調べてあったが、やはり一筋縄ではいかない。 


(魔瘴気と呪気の混合具合……王冠の骸骨に似せたら良いと思ったけど……違うかも?)

 

 英智の園の持ち主らしい"凶皇"が纏っている魔瘴気と呪気を模したものを生み出そうとしたが……。

 

(あの時……刑場から僕を飛ばした時の気……なんだと思うけど)

 

 あれが答えなのだろう。だが、幼く、恐怖に震えるばかりだったレインが覚えているはずが無い。 

 

(……いや、あれか?)

 

 レインは、"黒鍵"に注いでいた魔瘴気を止めた。

 

(あいつか……あいつは、荘園に棲んでいるようなことを言っていたけど……縛されていたんじゃないか?) 

 

 レインの脳裏に、ワーグ師匠と共に祓った怨霊サドゥーラの存在が蘇った。

 

 あの学び舎だった場所が、凶皇の持ち物であったなら……。

 

(いくら興味が無くても、サドゥーラなんかに奪われるはずが無い) 

 

 サドゥーラが、ある程度の周期でしかドリュス島に現れることが出来なかった理由。

 

(サドゥーラは、凶皇によって"学び舎"に縛られていた?)

 

 "学び舎"の番人として、あの地に縛られていたのでは無いだろうか?

 

 "凶皇"とサドゥーラの間に何があったのかは知らない。根拠となる情報は皆無だ。だが、的を射ているような気がした。 

 

 凶皇に"鍵"は必要無いだろう。だが、サドゥーラはどうだ? あの怨霊に、そこまでの力があっただろうか? 

 

(あいつの気……あれなら、覚えている)

 

 ドリュス島で、ワーグ師匠と共闘した際、レインはサドゥーラの呪気を浴びている。 

 

(……混ぜようとした魔瘴の気が強過ぎた。もっと弱く……薄く……)

 

 

 ビイィィィィ……

 

 

 微振動を始めた"黒鍵"に注ぐ呪気を調整してゆくと、

 

 

 リィィン……

 

 

 不意に、澄んだ鈴のような音に変わった。

 

 途端、レインの足下が抜け落ちた。 

 

「レイン!?」

 

 突然の異変に、ロンディーヌが駆け寄る。

 しかし、半身が沈んだところで、レインは浮いていた。その顔に、半狐面ミカゲが顕現している。 

 

「たぶん、落ちた先は池の中です。そのつもりで」

 

 口元に笑みを浮かべて、レインはロンディーヌに向けて手を差し伸べた。

 

「転移の道が、開いたのか?」

 

 レインの足下に現れた黒円を見下ろしつつ、ロンディーヌがレインの手を掴んだ。 

 

「あの時は、9歳だったから……何も分からなかったけど」

 

 今度は違う。レインは、ロンディーヌを引き寄せると足下の深淵に沈んでいった。

 続いて、ミノスと仔狼ロッタが飛び込み、ゼノンとゾイが姿を消した。 

 

(暗い……こんな感じだったっけ?)

 

 覚えのある冷たい水の感触に体を任せながら周囲を確かめ、レインはロンディーヌの手を握って水面めがけて上昇していった。 

 

(ああ……ここだ)

 

 水面を割って、空中へと舞い上がりながら、レインは <霊観> で周囲の状況を把握した。 

 古びた城館の中庭のような場所にある、大きな円形の池。

 空は暗雲に覆われて、細く鋭い稲光が明滅して奔り抜けている。 

 頬を濡らす雨の冷たさも、記憶に刻まれている。

 

「さしずめ、死霊の館といったところか」

 

 ロンディーヌが魔法で体を乾かしながら笑った。

 

 侵入者に気付いた死霊犬や骸骨、腐乱死体が集まって来ている。 

 

「ロッタ、遊んで良い。だが、建物を壊すな」 

 

 ロンディーヌの声が響き、池の縁でうろうろしていた仔狼ロッタが、尾を振り振り死霊の群れめがけて飛び込んでいった。 

 

「ちょっと気配の強いものか居ますが……まあ、気にするほどじゃないですね」

 

 レインは建物の奥へ意識を向けつつ、はしゃいで駆け回る仔狼ロッタを見た。 

 今のところ、奥にいるが動く様子は無い。だが、探索の邪魔をするなら排除するだけだ。 

 

「こちらに何かを伝えようとする亡霊が居るかもしれません。その時は、僕が話を聞きます。すぐに祓おうとしないで下さい」

 

「分かった」

 

 ロンディーヌが周囲を見回す。この地が、"英智の園"だと聞かされてから、そわそわと落ち着きが無い。 

 

「……夢中になって周囲の警戒を怠らないでくださいよ?」

 

 苦笑気味に伝えつつ、レインはゼノンとゾイに頷いて見せた。

 

「ミノス、手伝って貰うぞ!」

 

 ロンディーヌがミノスの手を掴み、回廊添いの小部屋めがけて足早に去って行く。 

 ゾイがレインに一礼をしてからロンディーヌを追って行った。 

 

(こんな場所だったのか……思っていたより広かったな)

 

 <霊観> を使い、レインは"学び舎"全域を見渡した。 

 雨に打たれる地上の建物だけではない。地下にも、部屋があるようだった。

 

("黒鍵"で出入りを許されたってことは、何度来ても良いってこと? それなら……) 

 

 寝泊まりしながら腰を据えて探索できるように、自分達用の建物を建てた方が良いだろう。 

 

(たぶん……家を建てても、凶皇は文句を言って来ない)

 

 半狐面ミカゲに雨粒を受けながら、レインは雷光が奔る空を見回した。 

 

(ずっと雨なのかな?)

 

 もし、そうであるなら……。

 

(何かがそうしている。仕掛けか……精霊のような何かか)

 

 半狐面ミカゲの下で双眸を細め、レインはゆっくりと雨空に視線を巡らせ、続いて、暗闇に沈む"学び舎"を見回した。

 

「我が君……」

 

 ゼノンがレインに視線を向ける。

 

「まず、話をしてみよう。対話が駄目なら、ここの遺物に被害が出ないように対処する」

 

「承知」

 

 首肯したゼノンが池の縁へと向かう。

 水中からが浮かび上がって来ていた。レイン達のように外部から入ったのでは無く、池の底に存在していたものが上がって来ているのだ。 

 

 レインは池ではなく、建物の方へ意識を向けていた。

 どこからか、敵意とは違う視線が注がれている。ともすれば見失いそうなほどに希薄な存在感だが、無視できないだけの力を内包している。 

 

(攻撃して来ないなら放っておこう)

 

 もし、戦闘にでもなれば、せっかくの"学び舎"が粉々になってしまう。 

 

 レインは、池を振り返った。

 

 水中から上がって来ていたものが途中で止まり、ゼノンと距離を保って対峙している。 

 

(……ここを保っている……かな?)

 

 ある種の家精霊のような存在かもしれない。

 

(僕が知ってる家精霊とはずいぶんと違うけど)

 

 脳裏に、黄金甲冑姿の家精霊アイリスが浮かび、レインは笑みを浮かべた。 

 

(どうしよう?)

 

 どうやれば、ここを荒らすつもりが無いと伝えられるだろうか?

 凶皇から"黒鍵"を与えられて訪れた者だと伝われば争いにならないと思うのだが……。

 

 レインは、手の内に"黒鍵"を顕現させると、

 

『僕は、レイン。王冠の……凶皇から"鍵"を与えられた者です』 

 

 全方位に向けて思念を飛ばした。 

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