第137話 紫煙と共に


 男がわめいていた。

 そろそろ四十になろうかという年齢の男で、自分で動くことが困難なほどにえ太っていた。 

 車輪が付いた大きな椅子に座り、椅子の後ろには押し役の大男が2人控えている。左右には、物々しい武具に身を包んだ衛士が5人ずつ整列していた。 

 

「小島の領主相手に、いつまで怯え隠れているのだ! カダの精兵を送って、彼奴の首を取って参れ!」

 

「……今は動けませぬ」

 

 正面に立っている男が首を振った。 

 カダ寺院隠密衆の長、ミスビルという男だった。 

 

「また、それか! いったい、いつになったら動くのだ?」

 

「アシュレントとの共闘が成りましたら……すぐにでも」

 

 ミスビルが、疲れのにじむ目を向け、吐き捨てるように答えた。

 

「む……」

 

 肥え太った男が怒気に顔を染め、口をつぐんだ。 

 主人の怒りに反応した衛士えじ達が、ミスビルを押し包むように前に出る。

 直後、歩を進めようとした衛士達がそのまま前のめりに倒れ、一呼吸遅れて10個の首が床に落ちて転がった。 

 

「きっ……貴様!」

 

「はて? 何事か、御座いましたかな?」

 

 ミスビルの冷え切った双眸が、肥え太った男を映す。

 

「……いや……もう良い」

 

「そうですか」

 

 男を見たまま、ミスビルが小さく指を鳴らした。

 わずかに間があって、10個の死骸が炎に包まれて燃え上がった。 

 

「……それほどの力があるというのに……何故だ?」

 

「このような児戯では、どうにもならぬのです」

 

 ミスビルが、感情の失せた声音で呟いた。 

 

「児戯と申すか……儂の……カダ・イル・ゼーニアの衛士えじを手も無く斃しておきながら」

 

「食い扶持がかさむ豚は、害にしかなりませんな」 

 

 瞬き一つしない双眸を向けたまま、ミスビルが口元を歪めた。 

 

 車輪付きの椅子の上で、肥え太った男が身動みじろぎをした。

 自分のことを指して言った皮肉だと理解している。有り得ないほどの侮辱。不敬極まる発言であり、態度だった。

 本来なら激高し、配下に命じて首をねなければならない。 

 

 だが……。

 

「カダ寺院は……まだ終わっておらぬ。そうであろう?」

 

「シレインの鱗衆に見つからぬ内は……ですな」

 

「十二賢人の治療には……手を尽くしておる。一時的な健忘であろうと、医師達が申しておった!」 

 

「呪を返されたのです。今の状態は、呪術によるもの。我等が陣営に、十二賢人の呪術を解くほどの力を持った者が居りますかな?」

 

 ミスビルが懐から煙筒を取り出して、煙草を紙片に包んで揉み始めた。 

 

「……何か、酒を持て!」

 

 椅子の上の男も、体の緊張を解いて後ろに立っている男に命じた。

 

「アシュレントの魔導王であれば……」

 

「ユーキルタ王であれば、彼奴らを始末できるのか?」

 

「いいえ」

 

 ミスビルが首を振った。

 

「では……」

 

「十二賢人の状態異常を解くことができるかもしれぬ……そう期待しているだけです」 

 

「アシュレントの魔狂部隊はどうした? 死兵の奴らなら……」

 

「昨日、アシュ山が崩落したそうです」

 

「……なに?」

 

「悪魔族の襲撃を受け、アシュレントの都は焼き払われました」

 

「悪魔共が……」

 

「数千匹の悪魔がアシュ山を包囲殲滅したとのこと」

 

「どうなっている? ユーキルタは、悪魔を手懐けていたはずだろう? 彼奴の秘術や魔導具の数々は、悪魔族から与えられたものだと聞いているぞ?」

 

 男がうめくように言った時、酒を載せた銀盆を抱えた侍女達が入ってきた。

 それを見ながら、ミスビルが煙筒の先に火術を使い、詰めた煙草に淡く火を入れてゆく。 

 

「鱗衆が邪魔で深くは探れませんでしたが、カゼイン王と共に何やら企んでいたようです」

 

「その企みに、悪魔族が関与していたのか?」

 

「そう見るべきでしょう」

 

「……ユーキルタが使えぬのなら……我が代で、カダは絶えるか」

 

 酒椀を傾けながら、肥えた男が呟いた。

 

「シューラン共和国とトイシェ王国には、御身の姉妹が公爵家に嫁いでおります」

 

 紫煙をくゆらせるながら、ミスビルが言った。 

 

「ふん……あのような小国に身を寄せたところで」

 

「カゼインか……ラデンとの交渉のにえに使われるだけでしょうな」

 

「カゼイン帝国はどうなった? あの成り上がりは?」

 

「鱗衆に阻まれ、正確なところは分かっておりませんが……」

 

 ミスビルが、紫煙が天井へと上って行く様をじっと見つめた。 

 

「旧帝室の血筋は絶えたでしょう」 

 

「そうか。光神の血筋だのと吹聴しておったが……やはり妄言であったか」

 

「真に神々の寵愛を受けているなら、アシュレントの暗躍を許すことは無いでしょう。フィファリスのハイアード神殿も本殿が失われたと聞きます。シューランのハイアードは魔瘴窟に侵食され……光神の加護と共に癒やしの力を失った者達が右往左往しているとか」 

 

「ふん……ただの祈り屋ごときが、力を持ち過ぎておったのだ」 

 

「加護の喪失は、堕落した人間への神々の怒り……神罰であると、神殿の者達は語っておりましたが……」

 

「そうでは無いのか?」

 

 男がミスビルを見た。ミスビルは黙って首を振った。

 

「ロブノスという商人……覚えていらっしゃいますか?」

 

 ミスビルが煙筒の灰を落としながら訊ねた。

 

「南洋の大陸から渡って来たという商人であったな」

 

「ここしばらく姿を眩ませていましたが、どうやら北のノイゼンで商いをやっていたようで……」

 

「あの者は、どこぞの隠密であろう? 占姫の眼を逃れて、ノイゼンで活動できるとは思えんが?」

 

「何らかの力か……魔導具によって、"占い"から隠れていたようです」

 

「ふむ……」

 

「先日、ノイゼン国内に布令が回りました」 

 

「しくじったか」

 

 男が笑った。

 

「なかなか……ノイゼンの姫君達も厄介です」 

 

 ミスビルの口元にも笑みが浮かぶ。

 

「神々の血脈であると思うか?」

 

「ノイゼン王家は否定しております」

 

「カゼイン帝室は誇っていたが……うん? ロブノスの潜伏を見破ったのは、つい先日のことか?」

 

「はい、カゼイン騒乱の事後です」

 

「……つまり、光神の絡みでは無いと?」

 

「仮に、あの姫君が神々の加護を得ているならば、今回の神罰を免れたことになります。祈りを捧げる神が異なっていたのでしょうか?」 

 

「フィファリスの呼び掛けにもなびくことは無かったからな」

 

「鱗衆も、あの国には人を入れていないはずです」

 

「さすがの鬼共も、ノイゼンの"占い"には手を焼くか」

 

「……我等にいたっては、国の境に近づくことすら叶いません」

 

 ミスビルが自嘲気味に言った。

 

「何かをしようとすると、警告が届くからな」 

 

「ロブノスがどうやってノイゼンに入ったのか興味がありますな」

 

「ムーナンにあるノイゼンの商館はどうなった?」

 

 自由交易都市ムーナンには、各国が商館を置いて情報収集の拠点としている。

 

「変わらず、商取引を行っております」 

 

「常に変わらず……か」 

 

「出入りする商人にも変化は見られません。もっとも、あの国は我々のような隠密衆を必要としませんからな」 

 

 新しい煙草に火を入れつつ、ミスビルが笑う。 

 

「人の耳目によらず、大陸中の情報を仕入れる技……術か。ノイゼンの占姫であれば、我等を追い詰めている忌々しい相手の動向を捉えることができるのだろうな」

 

「そうでしょう。レイン……新生ラデン皇帝を僭称せんしょうする子供……どれほど力があろうと、神の血脈ですらない、ただの人間なのです。神々の"眼"から逃れることはできません」

 

「カダの十二賢人を……あの化け物達の呪術を児戯扱いする……ただの子供か」

 

「ただの子供……だったのです」

 

 数年前なら、容易く息の根を止めることができる相手だった。 

 だが、もう今となっては……。

 

(どうにもならない。こそが化け物だ。十二賢人がただの人に思えるほどの……怪物になってしまった)

 

 薄煙を立ち上らせる煙筒を手に、ミスビルは力なく肩を落とした。

 

 生き長らえたいのなら、あれに手を出してはならない。 

 アシュレントの魔導王ユーキルタから接触があろうとも……。

 

(だが……)

 

 このまま、"カダ寺院"を存続させて何になる?

 全てを忘却した十二人の老人を抱え、一人では立ち上がることすらできない男をおさとして、カダ寺院の"冠"を守るだけの隠遁生活……。 

 

(幕引きか)

 

 煙筒を口に、ミスビルは酒をあおっている肥え太った男を見やった。 

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