第136話 慶事

 

 蝋燭の灯りが揺れる薄暗い部屋に、

 

「シオミス」

 

「イダ」

 

「タミナ」

 

 黒鱗衆3名が名乗って入室し、床に片膝をつけて低頭した。

 

「神子様からの御下知は?」

 

 書状に目を通していたイセリナが、顔を上げて3人を見た。炯々と鋭い光を宿した双眸と引っ詰めた灰金色の髪が灯明かりを映す。 

 シレイン島、島主の妻女ルナ・ゼール付きの筆頭侍女であり、鱗衆の頭領であった。 

 

「ラデンの旧皇都には、配下の魔呪鬼オージェを住まわせ、新たに皇都とする場所をお選びになる。そのための候補地を選定せよと」

 

 面を伏せたまま、シオミスが答えた。

 

「マジラ翁が適任でしょう」

 

「手配致します」

 

 シオミスが頭を下げた。 

 

「では、旧皇都から手の者を引きなさい」

 

「はっ」

 

「これまでに得た、旧皇都の情報を纏めて神子様へお伝えしなさい」

 

「はっ」

 

「カゼイン帝国は、どのように?」

 

 イセリナがシオミスに問うた。

 

「所領にお加えになると」

 

「カゼイン帝国領内の我等の行動について、神子様のお許しを得ておきなさい」

 

「その件、引き続き尽力せよと仰いました」

 

「では、これまで通りに」

 

「はっ」

 

「この場に、イダとタミナをともなった理由は?」

 

 イセリナの双眸が、大男と華奢な女を捉える。

 

「神子様は、新生するラデン皇国の宰相に、メルファという方を据えられました」

 

 シオミスが答える。 

 

「それで?」

 

「メルファ宰相と面会するための許可証を鱗衆3名に与えると」

 

「なるほど」

 

「タミナは神子様から、私とイダは神子様の御側近から指名を受けました」 

 

 シオミスが説明する。

 

はげみなさい」

 

 イセリナが首肯した。 

 

「はっ!」

 

 3名が短く返事をする。 

 

「……そちらの御仁は、神子様の?」

 

 不意に、イセリナが視線を巡らせた。 

 

 戸口とは逆の壁近くに、金皿に載せられた蝋燭の火が揺れている。

 立ち上がりかけた3名が、すぐに緊張を解いて座り直した。 

 

「失礼……ゼノンと申す。イセリナ殿とは……貴女のことだったか」

 

 蝋燭の明かりの中に、ゼノンが湧いて出た。 

 かつて、クラウス・ゼールから祓われた"吸血の徒"の出現に、イセリナの双眸がわずかに細められた。 

 

「鱗衆、頭領のイセリナです」 

 

「レイン様より、対呪の符を預かって参りました。一枚で、家一戸を護ることができる対抗符です」 

 

 ゼノンの傍らに、大きな木箱が現れた。

 

「クラウス・ゼール、ルナ・ゼール両名には、こちらの護符を。一度であれば、神威の事象すら防ぎ止める力があるとの事です」 

 

 ゼノンが白い桐の小箱を2つ、呪符が入った木箱の上に置いて、イセリナの前まで移動させた。 

 

「重ね重ねのご配慮、御礼申し上げます」

 

 イセリナが頭を下げた。 

 

「我が君から依頼が一つ」

 

「何なりと」

 

 イセリナが顔を上げてゼノンを見つめた。

 

「近々、我が君一行がシレイン島へお立ち寄りになります。その際、クラウス・ゼール殿、ルナ・ゼール殿、イセリナ殿、御三方とまつりごとに関して話し合う場を設けて頂きたい」

 

 ゼノンが、レインの他、ロンディーヌ、メルファの3名、幻の民シェントラン魔呪鬼オージェなどが訪問予定であることを告げた。 

 

「畏まりました。今より……6日以降であれば、島主が帰領しております」 

 

「いずれも我が君に従属している者ばかりですが、我が君を筆頭に、少々……霊気や魔瘴の気が漂います。耐性の低い者は遠ざけた方が良いでしょう」

 

「ご忠告、痛み入ります」 

 

「では、9日後に転移にて」 

 

「お待ち申し上げております」 

 

 イセリナが深々と低頭する。

 それを見て、ゼノンも静かに一礼をしてから消えていった。

 

「報告にあったゼノン殿より……ずいぶんと、霊格が上のようでした」

 

 イセリナの双眸が、平伏しているシオミスを捉える。 

 

「はっ……い、いや……さすがに、あれは……わずかな間に、格が上がり過ぎております」

 

 総身に汗をかきながら、シオミスが返答に窮して口をつぐんだ。

 

 町中で幻の民シェントランを見かけた時、ゼノンとおぼしき存在に背後を取られた。あの時ですら、絶望的なまでに力の差があったのだが……。

 

「発言を」

 

 床を見つめたままタミナが、発言の許可を求める。

 

「許します」

 

「覇王候補との決闘以降、神子様の霊格は、我等では測れぬほどに上がっております」

 

「そうですね」

 

 イセリナが頷いた。

 レインの霊格上昇が、ゼノンに多大な影響を与えている。"穢魔わいま祓い"の時とは全くの別ものであった。 

 

「万が一の場合、私ではルナ様を御守りできませんね」

 

 小さく首を振り、イセリナが表情を和ませた。

 場を支配していた張り詰めたものが解かれ、シオミス以下、黒鱗衆がほっと息を吐いた。 

 

「さて……我等は、人の世に専念致しましょう」

 

 イセリナが姿勢を正して3名を見た。 

 

「カダ・イル・ゼーニアの消息は?」

 

 問いかけながら、イセリナは小さな鈴を鳴らした。

 すぐさま、引き戸に隙間が出来て、控えの間に侍していた侍女が顔を覗かせる。

 

「神子様から、対抗呪符をたまわりました。人を使い、島内全戸に配りなさい」

 

「はい」 

 

 侍女が低頭して引っ込む。

 

「十二賢人共々、いずこかへ雲隠れしております」


 シオミスが答えた。

 

「カダの隠密衆は?」

 

「幾人か捉えましたが、十二賢人の消息については何も知らぬようでした」

 

「……あの怪老共が温和おとなしくしているとは思えない。我等が見落としているだけで、何らかの行動を起こしているでしょう」

 

 イセリナが眉根を寄せる。

 

「カダ・イル・ゼーニアの代わり身を討った際、アシュレントの手の者が側におりました」 

 

 大男のイダが告げる。

 

「アシュレントか。しかし……」

 

 イセリナの視線がシオミスに向けられる。

 

「はっ、先日、神子様の命を受けた魔呪鬼オージェの軍勢によって討ち滅ぼされました。逃れ出た者達の中に、それらしい者は居なかったかと」

 

「アシュ山は?」

 

「現在、リリとダリが嗅ぎ回っております」

 

「そう。あの者達なら……南洋大陸の動きは?」

 

「神子様によって覇王候補が撃退された後は、特段動きを見せておりませぬ」

 

「覇王候補の残りは?」

 

「こちらへ渡った者を除いて、13人居るはずです」

 

「……とは?」

 

 イセリナの双眸がわずかに細められた。

 

「1名、覇王候補と呼ぶべきかどうか……力の劣った者が居ります」

 

 シオミスが答える。

 

「その者も、精霊混じりなのですか?」

 

「はい」

 

「ならば、覇王の卵です」

 

「はっ」

 

「ノイゼンに動きは?」

 

「国境の結界を厚くし、護りを固めている様子」

 

「常の魔防結界ですか?」

 

「はい」

 

「この大陸で、無事に存続している王家は、ノイゼンとマルセ……残りは、小国ばかりになりましたね」 

 

「沿海州の貴族連合をどう見ましょう?」

 

「神子様の統治が始まった後、不満を抱えた者達がつどう場として残しておきましょう。カダやアシュレントの残党が煽動してくれると、討滅の口実ができます」

 

「では、しばらくは根を張るのみに致します」

 

 イセリナが頷いた時、部屋の外に気配が湧いて、男衆を連れて侍女が入ってきた。

 

「神子様から呪術用の対抗符を頂きました。各戸に行き渡るよう配りなさい」

 

「はっ!」

 

 男衆が短く答えて、大きな木箱を担ぎ上げる。 

 

「こちらは、如何致しましょう?」

 

 侍女が、白木の箱を手にイセリナを見た。

 

「その2つは、私から御方様に渡しておきます」

 

「承知致しました」

 

「城下に布令ふれを。近々、神子様がお立ち寄りになります。神殿周りの清めは念入りにしておきなさい」 

 

「畏まりました! 申し伝えて参ります!」

 

 若い侍女が声を弾ませた。

 

「頼みます」

 

 イセリナが目元を和ませて侍女の退室を見送った。 

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