第135話 招聘

 

「メルファ、国を治めてみない?」

 

 突然の問いかけに、メルファが手にした茶器を取り落とした。 

 床で、派手な音を立てて茶器が割れ散る。 

 

「ああ……無理にとは言わないけど。そうして貰えると助かるというだけ」

 

 レインは苦笑しつつ、白猫ミルフィを見た。 

 前掛けを着けた白猫ミルフィが何事も無かったかのように床の茶器を片付け、新しい茶器を用意して、硬直して動けなくなったメルファの前に置いた。 

 

「僕の代わりにラデン皇国の統治をやって欲しい」

 

 レインは、固まったメルファに向かって微笑した。 

 

「代わりの王というより宰相といった立ち位置だ。レイン皇帝の統治を補助してみないか?」 

 

 苦笑を浮かべたロンディーヌが補完する。

 

「わ、わた……私が……」

 

「レイン皇帝は、魔瘴窟の向こう……魔界との行き来をすることになる。当然、我等が魔呪鬼オージェと呼んでいるあちら側の住人を連れて来ることもある。国の中枢にある者は、魔瘴気に耐性が無ければ務まらん」

 

 ロンディーヌが震えるメルファの背に腕を回し、最寄りの椅子へと誘った。

 

「あ、あの、私は、人の世のことはそこまで詳しくは……」 

 

「問題無い。この場の誰もが似たり寄ったりだ。むしろ、メルファが一番詳しい可能性すらある」

 

「いえ、そんな……それに、国を運営するなど、そのような難しいことは経験が無く……」 

 

「国など、大きな家にすぎない。複雑怪奇な規則を設けて、大変なように飾り立てているが、やっていることは家事と大差無い」

 

「さすがに、そんなことは……」

 

「世を知らず、ただ親から家を継いだというだけで、やれ大臣だの、宰相だのとふんぞり返って金品の無心だけする……そんな奴がごまんといる。間違い無く、メルファの方が見識が高く、経験も豊富だぞ?」

 

 隣に座ったロンディーヌが、穏やかな諭す口調でメルファに語りかける。

 

「しかし……」

 

「ラデンには、家を……国家を運営するために有為な幾つかの材料がある」

 

「ですから、私には……」

 

「詳細に比べてはいないが……まず、戦争をして、ラデンに敵う国は多くはないだろう。どのような厄災が起ころうと、最終的には皇帝陛下のご出馬で全ては決着する」

 

「えっと……」

 

「国内外の出来事を、優秀な諜報者が情報を拾い集めてくれる」

 

「あのですね……」

 

「大きな商家との強固な繋がりがあり、海戦では無類の強さを発揮する強兵が揃っているから、海上交易に強い」 

 

「えっと、ですから……」

 

「覇王だ何だと攻めて来たが、国王同士の争いに終始した。軍勢同士による合戦では無いため、民草に大きな被害は出ていない。それどころか、王が居なくなったことすら知らない者が大半であろう」

 

「ええっと……」

 

「なあ、メルファ?」

 

 ロンディーヌがメルファの肩を抱いて顔を覗き込んだ。

 

「は、はい?」

 

「何も、王をやれと言っているわけではないのだ。レイン皇帝がラデンという国をより良く変えていく、そのために力を貸して欲しいと頼んでいる」

 

「それは……はい」

 

「もちろん、メルファの立場が悪くならないよう、レイン皇帝から裁神様に許可をとって頂く。だが、まずはメルファ本人の意思を確認してからだ。それが筋というものだろう?」

 

「……はい」

 

「案ずるな。何があろうとも、私やレイン皇帝が責を負うのだ」

 

「あのぅ……」

 

「無論、メルファに丸投げをするつもりは無い。ただ、魔呪鬼オージェの世界へ出入りするために、家を……国家を留守にすることは避けられない。その際には、信頼できる者に留守を任せたい。そう考えた結果の提案だ」

 

「どうして、私なのでしょう? 他にも、もっと見識のある方が……」

 

「居ない」

 

 ロンディーヌがゆっくりと首を振った。 

 

「そうでしょうか?」

 

「見識があるように見せかけている者は居る。だが、あくまでも人の世の事だけだ。それも、己が住んでいる土地の中で……親から継いだ常識の中で、世を知ったつもりになっている者しかおらぬ」

 

「それは……仕方が無いことでは?」

 

「レイン皇帝に仕えるためには、神々との関わりを知らねばならぬ。精霊との関わりを知らねばならぬ。妖精との関わりを知らねばならぬ。異界との関わりを知らねばならぬ。古代人との関わりを知らねばならぬ。そして、何より……レインという人物を知らねばならぬ。そうであろう?」

 

「……はい」

 

「さて……世界広しと言えど、メルファの他に条件を満たす者は存在するだろうか?」

 

「た、例えば……妖精族の皆様などは?」

 

「能力に異論は無い……が」

 

 ロンディーヌが白猫ミルフィを見た。

 

『この姿では、人は従いませぬ』

 

 白猫ミルフィがお辞儀をして見せた。

 

「そういうことだ」

 

「形代を用意すれば良いのでは?」 

 

 メルファが食い下がる。

 

「無論、形代かたしろに入れた精霊には、メルファの指示の元で働いて貰う」

 

「……えっ?」

 

「デュカリナ神学園で暇をしていた精霊達を、しばらく間、借り受けることになった」


 ロンディーヌの目尻がわずかに下がる。

 

「いつの間に、そんな……それを神々がお許しに?」

 

「レイン皇帝が裁神様に許可を得た」

 

 大きく目をみはったメルファを見ながら、ロンディーヌが微笑した。 

 

「なお、メルファとは異なり、その者達は"罰"として形代かたしろに幽閉され、レインに使役される」 

 

「ばっ、罰を? 講師だった精霊は、形代かたしろわれたのですか?」

 

「人と同様に、形代かたしろを失えば固着していた精霊も滅する。これまでのように、軽々に悪さをするわけにはいかないな」

 

 ロンディーヌが笑って言った。

 

「……レイン様は……その……」

 

「うん? どうした? 何でも申してみよ」

 

「この世を……世界をどうなさるおつもりなのでしょう?」

 

 必死の面持ちで見つめられ、レインは手にしていた湯飲みを卓上へ置いた。 

 

「人と神の関係を整えます」

 

「人と神の……」

 

 メルファの双眸が大きく見開かれた。

 

「近すぎず、遠すぎない……適切な距離を保つ方法を見つけたい。その方法を探りながら、人に近づき過ぎている神を遠ざけ、遠すぎる神を引き戻す……これから、そういう作業が必要になる。そう考えています」 

 

「そのようなことをお考えだったのですか」

 

 気負い無く淡々と語るレインを、メルファが見つめた。 

 

「神様が居ない世界は寂しいし、神様が近すぎると、人間が当てにしすぎて駄目になりそう……そんなことをぼんやり感じていましたが、今回、光神との衝突で改めて思い知りました」

 

 神々によってもたらされる"福"も"禍"も多い。 

 

「ご存知のとおり、神域の方々が人の世に過干渉できない規則自体は存在するのです。ただ……」

 

「神殿の人間を御告げで操ったり、精霊を使ったり、神子を生み出したり……他にも、抜け道はいっぱいありますね?」

 

「はい」

 

「太陽神のような大神ですら、神域の規則を破って、僕を攻撃してきました。ああ……あれについては、どうしてそこまで僕の殺害に拘泥こだわったのかをいてみたかった」 

 

 太陽神が浄滅したため、もう叶わないが……。 

 

「全てを一度に綺麗にすることはできないでしょう。でも、人か神々か……誰かが始めなければ……神様は大丈夫でも、人間は……人の世界は取り返しがつかないくらいに病んでしまう気がします」 

 

「病む……ですか?」

 

「そう感じるんです。僕は、まだ知らないことだらけで、上手く言えませんが……人はもっと……人として自分の力で生きることが出来るはずです。逆に、せっかくの良い仕組み……神様が用意してくれた制度をもっと徹底すれば……と、感じたり……勿体ないなと感じる出来事が多いんです」

 

「とは言え……まだ、わずかな時しか生きていない人間なのだ。レイン皇帝はあやまちを犯す。私も間違う。むしろ、判断を誤ることの方が多いだろう」

 

 ロンディーヌがメルファの肩に手を置いた。

 

「ロンディーヌ様」

 

「故に、メルファの……貴女の助けが必要になるのだ。長い時を己の才覚で生き延びてきた貴女に……精霊という立場から、ラデンという大きな家を健全に保つために、未熟な私達に力を貸して欲しい」

 

 ロンディーヌに頼み込まれ、メルファが小さく息を吐いた。

 

「……形代かたしろに繋いだ精霊達は、私の配下として頂けるのですか?」

 

「メルファが望むなら、そうしよう」

 

 メルファの問いに、ロンディーヌが即答した。 

 

形代かたしろに入っているとは言え、精霊の身で、禁忌を超えて人間の営みに関与するのです。暗黒精霊神様から、相応の御許可を頂かなければなりません」 

 

「許可書です」

 

 レインは、封書を差し出した。 

 

「まったく、我が親神は……」

 

 泣きそうに顔を歪めながら、メルファが封書を受け取って開いた。 

 

 

******

 

 

 裁神様がお許しになるなら、許す。

 

 

******

 

 

 短くつづった文字の最後に、暗黒精霊神の神気を込めた神紋が刻んであった。

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