第133話 禅譲


「討ち漏らした?」


 怪訝けげんそうに眉をひそめ、ロンディーヌがゼノンを見た。

 

「アシュレント側に加勢する魔呪鬼オージェの集団が現れ、ユーキルタを連れて転移を行いました」 

 

 ゼノンが、湯気の立つカップを手に報告する。

 

「敵方の魔呪鬼オージェの数は?」

 

「雑兵が一千足らず、そこそこの手練が50ほど」

 

「ふむ……ユーキルタは、エンセーラとは別に、魔呪鬼オージェとの伝手を持っていたということか」 

 

魔呪鬼オージェにも、多くの国があるのでしょう」

 

「そういうことだな」

 

「我が君はお休みですか?」

 

 夜更けである。

 

「密室で、地図とにらめっこをしている」

 

 ロンディーヌが微笑を浮かべた。

 

「地図を?」

 

「ラデン皇都をうつすそうだ」

 

遷都せんとですか」

 

 ゼノンが、ロンディーヌの背後に控えているゾイを見た。 

 

「皇都には、魔瘴窟が居座っております。封じる手立ては判明致しましたが、根源を除くことができるわけではありません」

 

 隧道トンネルの出口を閉じた空間で封じるだけだ。あちらの世界の住人が迷い出ることを防ぐことはできるが、根本的な解決では無い。 

 

「まあ、皇都だと言ったところで、生きた人間は1人も住んでいない廃墟だ。遷都せんと自体は容易だからな」

 

「しかし、あのような物が原因で遷都せんととは……少しばかり業腹ですな」

 

 ゼノンが薄く笑う。

 

「レイン……陛下も、そう感じていらっしゃる」

 

 ロンディーヌも淡い笑みを浮かべた。

 

「すると?」

 

「陛下は、あれを生み出した原因が御自分にあると……」

 

 強力な呪法を祓った結果として、魔瘴窟が生じたのは事実だ。 

 自然現象だとは考えられない。 

 

「要因の一つであることは間違いないでしょう」

 

 ゼノンが頷いた。

 

「であれば、解けるはずだと……」

 

「あれが生じる仕組み……理を解明なさると?」

 

「そうらしい」

 

 小さく頷いたロンディーヌが、手元の書物へ視線を戻した。

 

「……魔呪鬼オージェの軍が戻りましたな」

 

 ゼノンが背後を振り返った。

 

 アシュレントへ出向いた魔呪鬼オージェの軍勢が戻ってきたようだった。 

 

「皇帝陛下は、事の成否に御関心が薄い」

 

 本に目を向けたまま、呟くようにロンディーヌが言った。

 討伐を任されたソルフィア王女は、責任を感じて打ちひしがれているだろうが……。 

 

「では、そのように伝えて参ります」

 

 ゼノンが一礼をして消えてゆく。

 

仔狼ロッタに伝えましょうか?」

 

 ゾイがロンディーヌに声を掛けた。

 

「まだ遊ばせておけば良い。あれも少しは育った。カゼインの残党を逃がしはすまい」 

 

「そうですね。それに……」

 

 カゼイン王も魔導王ユーキルタも、"えにし"を残している。レインがその気になれば、いつでも辿ることができるはずだ。 

 

「相手にどのような手合いが残っているのかは知らぬが……呪術合戦になれば、レインが負けることは無いだろう。霊法合戦でも後れは取るまい。体術勝負でも……負ける絵が浮かばん。強いて言うなら、魔力比べ……か」 

 

 書物を読みつつ、独り言のように呟きながらロンディーヌが苦笑を浮かべた。 

 

「そう言えば、レイン様が魔術をお使いになるところを拝見しておりません」

 

「簡単なものは一通り使うことができる。お世辞にも適性があるとは言えないが……魔力の総量は、その辺の大魔導士など及びも付かぬほど……多いぞ」

 

「あれだけ霊格が高まれば……そうなりますよね」

 

形代かたしろに宿った身とはいえ、レインから霊力を与えられているのだ。ゾイにとっても恩恵が大きいだろう?」

 

「はい。霊力だけでなく、神気や魔瘴の気も増えました。身近に、レイン様やロンディーヌ様を見ていなければ、この世で一番強くなったのではと、勘違いをしたことでしょう」

 

 くすくすと、ゾイが笑う。

 

「ゼノンもな」

 

「我が君に比べれば、塵芥ちりあくたに過ぎませんよ」

 

 苦笑と共に、ゼノンが戻ってきた。

 

「ソルフィアはどうだ?」

 

「案の定、責任を取って自害すると煩く騒いでおりましたので黙らせました。お付きのアドアナとエンセーラ女王には、責任を感じる必要が皆無であることを伝えてあります」 

 

「そうか」

 

 頷いたロンディーヌが、ふと視線を巡らせて本を閉じた。

 ゼノンとゾイが胸に手を当てて低頭する。

 

 少し離れた場所に、黒い大剣を手にしたレインとミノスが現れて、床に降り立った。 

 

「……なるほど、こういう感じなのか」 

 

 レインが感心したように言って、手にした黒い大剣をまじまじと観察する。 

 

「命力を使い果たすと、ただの剣に戻ります」

 

 剣の使い方を手解きしていたミノスが指摘する。

 

 閉じた空間を生み出し、中に入っていたのだ。

 

蛟王こうおうが作っていた領域より狭かった」

 

「剣が蓄えた命力の差でしょう」

 

「なるほど……たくさん、斬らないと駄目なのか」

 

 物騒なことを口にしつつ、レインが"背負い鞄ダール"に大剣を呑ませる。 

 

「どうだった?」

 

 ロンディーヌが声を掛けた。

 

「思ったより簡単でした。命力を貯める方法は考えないといけませんが……どうでした?」 

 

「閉じた領域は、認識できないな」

 

「ロンディーヌさんでも?」

 

「ああ……あらかじめ場所が判っているというのに、魔力による感知は不可能だ」 

 

「素通りです?」

 

「何も無い場所を探っている……そう感じてしまう」

 

「面白いですね」

 

 レインは頷いた。

 

「閉じた領域を生成したまま移動できれば良いのですが……僕の知識では"不可能"です」 

 

 ミノスが言った。

 

「連続して、別の空間を生み出すこともできなかった」

 

 "閉じた空間"は一つしか生み出せない。つまり、複数の亀裂……界穴を封じることはできないということだ。 

 

「神々が定めた"ことわり"の外にある道具とは言え、何かしらの制約があるのだな」 

 

 ロンディーヌが頷いた。

 

「……"ことわり"の外?」

 

 ロンディーヌの言葉を耳にして、レインが軽く目を瞬いた。 

 

「どうした?」

 

「いえ……"ことわり"の外……神様の定めから外れたこと……」

 

 レインは、自分の右腕を見つめた。

 人の手の形をしているが、紛れもない異物である。付け根の"呪魂"はともかく、圧搾霊筒ランパルトや "闇帳" "狂獣爪" は、この世のものでは無い。古代人や異界の魔王とその配下から与えられた品だ。

 

 つまり、レインの右腕は神々が定めた"ことわり"の外にあるわけだ。

 蛟王こうおうの大剣がそうであるように、使い方を工夫すれば、何か異質なことを引き起こすことができるのではないか? 

 

「何か……あるのか?」

 

 ロンディーヌがレインの右腕を見る。 

 

蛟王こうおうの剣と同じように、僕が気付いていない何か……使い方があるかも?」 

 

「……ふむ」

 

「この辺りで試すのは危ないですが……ああ、せっかく隧道トンネルがあるんだから、あっち側で試してみようかな?」

 

「魔瘴窟の向こうか?」

 

「そうですね……ああ、そう言えば、カゼインの王はどうなりました?」

 

 レインは、ロンディーヌを見た。 

 

「帝都の北へ逃走中だ。仔狼ロッタがついている」

 

「アシュレントの魔導王は?」

 

「ユーキルタに味方をする魔呪鬼オージェの一団が現れ、転移をして逃れました」 

 

 ゼノンが答えた。 

 

「転移? ゼノンが追って行かないってことは……」

 

「魔呪鬼の世界……魔界です」

 

「位置の特定はできる?」

 

「造作も無いこと」 

 

 ゼノンが笑みを浮かべた。

 

「よし……じゃあ、先にカゼイン王から帝国を譲って貰ってから、アシュレント王に会いに行きましょう」

 

 神殿衣から黒衣へ、レインの衣装が変じる。 

 

「エンセーラ達を同行させるのか?」

 

 ロンディーヌが旅外套を羽織り、襟から紅髪を抜いて背へ流した。 

 

「はい。あっちの人達と話をする必要があるかも知れません。アシュレント王は、魔呪鬼オージェの世界と行き来をする術か道具を持っているはずなので……それを手に入れたいです」

 

「アシュ山に隠してあるのではないか?」

 

「そっちの調べは、黒鱗衆にお願いします」 

 

「なるほど……彼らなら」

 

 ロンディーヌが頷いた。

 

「では、ここは撤去致しましょう」

 

 ゾイが繊手を振って、天幕を消し去った。

 

「あっ……」

 

 突如として消えた天幕を前に、集まってたメルファ、エンセーラ女王、ソルフィア達がぎょっと目をみはり、顔をこわばらせた。

 何を思ったか、ソルフィア1人が大急ぎで地面にいつくばる。 

 

「これから、カゼイン帝国を貰いに行きます。メルファさん、立会いをお願いします」 

 

「は……はい! えっ?」

 

 いきなりレインから声を掛けられ、メルファが訳が分からないまま頷いた。 

 

「そののち、アシュレント王を追って、魔瘴窟の向こう側へ行く! エンセーラ達にも同行して貰うぞ!」

 

 魔力を乗せたロンディーヌの声が響き、魔呪鬼オージェ達が一斉に身を折って頭を下げた。 

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