第131話 デュカリナ会談

 

 かつてのデュカリナ神学園跡地に、ぽつんと小さな神殿だけが残っている。その神殿に帰還したレインとロンディーヌの前に、魔呪鬼オージェの大集団が平伏していた。 

 ざっと見回しただけでも、数千を超えるだろう魔呪鬼オージェの大集団である。溢れ出る魔瘴気が辺りに漂い、もやが掛かったようになっていた。 

 

(そう言えば、穢魔わいま祓いをやったんだった)

 

 ここ数日、神気と魔瘴気を縒り合わせることばかりに集中していて、すっかり魔呪鬼オージェのことを忘れていた。 

 

(あの時の女の人は……)

 

 捜すまでも無く、集団の最前列、中央で平伏していた。借り物なのか、男物の衣服を身につけている。 

 一列後方に幼い容姿の子供が並んでいた。 

 

(確か……ソルフィア?)

 

 女の隣に居る少女に覚えがあった。

 後ろに、甲冑を着た女騎士が控えていた。 

 

『皇帝陛下……エンセーラ・ワートリューで御座います』 

 

 レインの視線を受けた女王が前に進み出ると、改めて地面に膝をついて低頭した。

 

(もう、大丈夫そうですね)

 

 魔瘴気の巡りが良くなっている。命力を脅かすものはすべて排除できたようだ。 

 

『御身の恩情に感謝致します』 

 

(アシュレントの仕業だったと聞いたけど、もう始末をつけましたか?)

 

 レインは、魔呪鬼オージェの集団を見回した。

 特に、負傷者らしき者は見当たらないから、すでに事を終わらせて時間が経っているのだろう。 

 

『その御許可を賜りたく、お待ち申し上げておりました』 

 

(うん? 僕の許可?)

 

 レインは首を傾げつつ、かたわらのロンディーヌを見た。 

 

「アシュレントを討滅するためには、陛下のお許しが必要……そういうことです」

 

 ロンディーヌの双眸が笑みを湛えている。

 

「……なるほど」

 

 どこでどう勘違いをしたのか、アシュレントがレインの支配下にあるかのように考えて、レインの許可を待っていたらしい。

 

「ゼノン……」

 

 少し考えてから、レインはゼノンをんだ。

 

「我が君」

 

 ゼノンが胸に手を当てて低頭した姿で現れる。 

 

「……力が増したね」

 

 一目でそれと分かるほど、ゼノンの力が増大していた。 

 

「少々持て余しております」 

 

 ゼノンが苦笑を浮かべている。

 

「僕の霊格が上がったからね」

 

 レインも苦笑した。

 

「アシュレントを討ちますか?」

 

 ゼノンが魔呪鬼オージェ達を振り返った。

 

「アシュ山には、黒鱗衆が入り込んでいると思う。できれば、前もって避難させて欲しい」 

 

「なるほど」

 

 役回りを理解し、ゼノンが首肯した。

 

「その後は、戦目付だな。アシュ山の討滅に限定し、魔呪鬼オージェが他を襲わぬように見張ってくれれば助かる」

 

 ロンディーヌが言った。

 

「畏まりました」

 

 ゼノンが一礼をして姿を消した。

 先行して、アシュ山で諜報活動を行っている黒鱗衆達の退避を行うのだろう。 

 

「良いか?」

 

 ロンディーヌがレインを見た。

 

「どうぞ」

 

 レインは頷いて一歩下がった。

 

(アシュレント魔導国との戦を許可する! ただし、他国への攻撃は禁じる。禁を破った場合、先ほどのゼノンが問答無用で処刑する。良いな?) 

 

 凄まじい魔力を漂わせるロンディーヌの威を受けて、魔呪鬼オージェ達が姿勢を低くした。 

 

『感謝致します』

 

 面を伏せたままエンセーラが答えた。

 

(リファン国の女王、エンセーラだったな?)

 

『はい』

 

(女王以下、これほどの数の兵が国を留守にして、リファンとやらは問題無いのか?) 

 

 ロンディーヌが問いかけた。

 

『我が身の在る場所が "国" で御座います』 

 

「なるほど……ミノスの知識は真実のようだ」

 

 ロンディーヌがレインを見て微笑した。

 

魔呪鬼オージェの"国"が?」

 

「王あるいは、女王の居る場所こそが "国" となる。ミノスは、蜂や蟻のようなものだと言っていたが……」 

 

「じゃあ、魔瘴窟って、蜂の巣みたいなもの?」 

 

「魔瘴窟については、また別のことわりがありそうだが……」

 

『発言を?』

 

「許す……いや、面を上げて、立って貰えるか。少々、訊ねたいことがある。そのままではやりにくい」

 

 ロンディーヌが魔力を抑えて、口調を和らげた。

 

「……お言葉に従います」 

 

 わずかに逡巡してから、エンセーラが立ち上がって顔を上げた。念話ではなく、レイン達が使っている大陸語を使っていた。 

 

「貴女は、こちらの言葉が分かるんですね」

 

 レインは柔和な雰囲気がするエンセーラの美貌と、ソルフィアや弟妹だという幼子の顔を見比べた。

 

『はい。こちらの世……アシュレントと取引を行うために習得致しました」 

 

 エンセーラが頷いた。

 

「今回のアシュレントとの戦に、貴女は参加するのか?」

 

 ロンディーヌが訊ねた。

 

「いいえ、この度の戦は、王女ソルフィアに任せるつもりです」

 

 エンセーラがソルフィアを振り返って頷いて見せた。

 

「では、供回りを残して、アシュレントへ向かわせてくれ。あまり待たせると、ゼノンがしびれを切らして殲滅してしまう」

 

「それは……困りますね」

 

 ロンディーヌの軽口に、エンセーラが表情を和ませ、ソルフィアを呼んで手短に指示を出した。

 緊張で強張った顔で、ソルフィアが小刻みに何度も頷き、レインに一礼をして配下の元へと立ち去る。 

 入れ替わるように、50名の屈強そうな男女が幼子2人と共に近づいてきた。 

 

「ミノスを同席させたいが良いだろうか?」

 

 ロンディーヌがレインを見た。

 

「ミノス」

 

 レインは声を掛けた。

 

「はい、レイン様」

 

 "辞典ミノス"が現れると、レインに向かって笑顔でお辞儀をした。 

 

「ゾイ、ミルフィに言って、茶菓子の用意を」

 

「畏まりました」

 

 ロンディーヌの指示を受け、後ろで控えていたゾイが低頭する。 

 

「それから……」

 

 首を巡らせたロンディーヌが、神殿の影に隠れるように立っているはかなげな麗容に視線をとめた。

 

「この地の代表として、メルファにも同席して貰おうか」

 

「そうですね」

 

 レインも、メルファに向かって小さく手を振った。

 

 ギョッと目を剥いたメルファが、左右に視線を泳がせてから、頼りなげな足取りで近づいてくる。 

 

(それでは、リファン王国軍、近衛第二師団、アシュ山に向けて進発致します!)

 

 ソルフィアの気合いの籠もった念話が響き渡り、レインは苦笑気味に顔をしかめた。

 

「加減を知らぬもので……申し訳御座いません」

 

 謝罪を口にしつつ、エンセーラが好ましげに娘の様子を見つめている。

 

「アシュレントは、レインが討滅するつもりだと思っていたが……良いのか?」

 

 白猫ミルフィとゾイが、円卓や椅子を用意している様子を見ながら、ロンディーヌがレインに問いかけた。 

 

「まだ、加減が出来ません。しばらくは……闘争を避けます」

 

 レインは努めて静かな口調で答えた。

 少し気持ちを昂ぶらせるだけでも、神気や魔瘴気が吹き荒れて周囲に被害が出てしまう。こうして、立っているだけでも非常な緊張を強いられていた。 

 

「そうだな」

 

「まあ、今ここに居る人達なら、平気だと思いますけど」

 

「いや……ゾイとミノスはともかく、他の者は危ない」

 

 ロンディーヌが断言した。 

 

「そうですか?」

 

 レインはエンセーラ達、魔呪鬼オージェを見た。続いて、所在なげに立っているメルファを見る。 

 

「いざとなったら"背負い鞄ダール"に呑ませます」

 

『ムリデス』 

 

 間髪を入れずに"背負い鞄"心の声が響く。

 

「大丈夫でしょ?」

 

『ゼッタイムリデス! ハジケマス! キケンブツデス! ダンコキョヒシマス!』

 

 背中の鞄から、強い拒絶の思念が返る。

 メリアの神官に補修して貰ってから、"背負い鞄ダール"のがより強くなった気がする。前はもっと素直だったのに……。

 

「まあ、そうならないように気をつけるよ」

 

 ゾイが引いた椅子に腰を下ろしながら、レインは淡い笑みを浮かべた。

 笑いの衝動すら、危険な波動を引き起こしかねないのだ。

 

(何か方法を考えないと)

 

 日々の操気訓練は当然だが、感情の起伏による暴発を気にしていては、暮らしが不自由で仕方ない。

 

「では、エンセーラ殿はそちらに。茶菓子は、妖精族が用意をしたものだ。毒味の上、口に合わぬようなら無理をして付き合わなくても良い」

 

 ロンディーヌが仕切り、エンセーラと幼子達、メルファを席に座らせた。

 

「レイン……皇帝陛下は、魔呪鬼オージェ……と、我等が呼んでいる貴女方を敵視していない。どのような異種、異形の者が相手でも、先ずは言葉を交わし、互いを理解することを望む。その方らが害意を向けないのなら、陛下が害意を向けることは無い。まあ……ここで害意を向けるくらいなら、助けはせぬが……メルファ? どうした?」

 

「あ、あの……私は……」

 

「この地は、メルファの管理地であろう? もう建物と呼べる物は、神殿しか残っておらぬが……参加して、話を聞いておくべきだ」

 

 ロンディーヌが周囲を見回した。 

 

「みんな、灰になってしまいました」

 

 メルファが項垂うなだれる。

 

「災難だったな」

 

 軽く流したロンディーヌが、レインを見て頷いた。 

 

「では、魔瘴窟について質問をします」

 

 レインは、正面に座ったエンセーラを見た。

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