第130話 闇の帳

 


 レインの身体から、青白く光る神気が立ち上り、緩やかに形を変えて糸のように細くなってゆく。

 

 体を巡らせている霊力に、神気を加える。特に名は無いが、レインが最も得意とする術技だった。 

 

(少しあらいかな?)

 

 肉体を巡る霊気と神気の在り方があらくなっている気がした。 

 

(次は、呪魂の魔瘴気……)

 

 神気の糸と魔瘴気の糸をり合わせ、霊気で包む様を想っているのだが……。 

 

(む……)

 

 触れるか触れないかの一瞬で、神気と魔瘴気が反発して互いを消し飛ばしてしまう。 

 

(……駄目か)

 

 ここ何日か、繰り返し試行しているのだが、どうにも上手くいかない。 

 

 単純に混ぜようとしたら、いきなり神気と魔瘴気が大きな爆波動を起こし、神殿が水を被ってロンディーヌと黒猫に怒られた。

 

 メリアの神官はたのしげに笑っていたが……。

 

るんじゃないのかな?)

 

 そう考えもしたが、

 

(いや、り合わせるというのは悪くない……はず)

 

 根拠というほどのものでは無い。ただ、そう感じていた。 

 

(もっと細く……細く……)

 

 神気と魔瘴気を限りなく絞り、1糸と化してり合わせる。 

 

 

 ヴァォン……

 

 

 風鳴のような反響音が鳴って、反発し合った神気と魔瘴気がぜ散った。

 

「……う~ん」

 

 これ以上は、細く出来ない。

 小さく息を吐いて、レインは星の無い闇空を見上げた。 

 

 メリア海の空には、太陽も月も星も……何も無い。

 果てしなく拡がる水面をざわめかせるのは、漂流する魂の淡い残光と様々な思念の余波だった。 

 

「神官殿が茶をれてくれた。一息ついたらどうだ?」

 

 ふわふわと宙を舞う黒猫トリコと一緒に、ロンディーヌが近づいてきた。

 距離があって無いような不思議な空間だが、神殿のある小島だけは人の世界と似通った感覚で過ごすことができる。 

 あるいは、メリアの神官がそのように整えてくれているのかもしれない。

 

『神気と魔瘴気をわざわざ混ぜる必要があるのかい? この娘さんのように、そのまま扱えば良いと思うがね?』

 

 黒猫トリコがレインの顔の近くに浮かぶ。

 

「神気と魔瘴気……それから霊気……合わせたら、もっと面白いことができると思うんだ」 

 

 レインは練っていた霊気を体へ流すと、神気を霧散させ、魔瘴気を呪魂に喰わせた。 

 

『なんとも、贅沢な使い方だね』

 

「そう?」

 

『忘れているだろうけど、君には魔力もあるからね。霊力と魔力、神気と魔瘴気……ただ宿しているだけでなく、それぞれを意図して操れる人間なんて、この世に居ないと思うよ』 

 

「それは、トリコが知らないだけじゃない?」

 

『まあ、それは否定しないがね。世の全てを見ているわけではない。ただ、極めて珍しい存在であることは間違いないね』

 

「……トリコが来たということは、アイリスさんも?」

 

『そうだね。事のあらましが判明したからね。当事者である君に伝えないわけにはいかないんだ』 

 

「なんか、変な言い方……」

 

 レインは、黒猫トリコの顔をまじまじと見つめた。 

 

『神々の事情について、人間に伝えることははばかられる……という建前があってね』

 

「建前なんだ?」

 

『まあ、その辺を踏み越えた事例など山のようにある。今回が初めてというわけでは無いね』 

 

「ふうん……」

 

 レインは、ゆっくりと立ち上がって体の具合を確かめた。

 

 もう、体そのものは問題が無い。

 肉体に巡らせた霊路も精密に作り直した。

 

(でも、もうちょっと……かな?) 

 

 体の芯の部分で、今少し踏ん張りが利かない。そんな感覚があった。 

 霊格が急激に上がったために、肉体そのものの強度が上がり、当然のように霊力が膨大に増していた。 

 未だにメリア海に留まっているのは、順応するまで人の世に戻らない方が良いと、神官に引き留められたからだ。 

 

「手を引こうか?」

 

 揶揄からかうように笑みを浮かべ、ロンディーヌが真白い手を伸ばす。

 

「お願いします」

 

 レインは遠慮なくロンディーヌの手を握った。

 

「ふふ……」

 

「なんです?」

 

「ドリュス島の時ですら、こうして手を繋いだことは無かったのにな」 

 

 ロンディーヌが微笑する。

 

「……そうでした?」

 

 ドリュス島では、湯が勿体ないからと、一緒に湯浴みをやっていたのだ。手を繋ぐどころか、背を流し合った仲である。

 

「ドリュス島に流されて、私の運命は大きく転換した」

 

「運命……ですか」

 

「今にして思えば、私は生贄としてドリュス島に送られたのかもしれないな」 

 

「生贄? ああ……」

 

 サドゥーラの存在を知っていた何者かが、ややこしい血系のロンディーヌを"にえ"にしようと考えた。その可能性はある。 

 

 今となっては、どうでも良いことだ。ドリュス島を支配していたサドゥーラは、ワーグ師匠と共に浄滅したのだから。 

 

「ドリュス島で訪れるはずの死を、君がはらってくれた。あの島での生活は、私に新たな命を与えてくれた」 

 

大袈裟おおげさだなぁ」

 

大袈裟おおげさなものか。今だからこそ、おぼろげに状況が理解できる。ドリュス島に流されるということの意味が……太古の魔人、呪怨の不死者について、君の可愛い従者が知っていたぞ?」 

 

「それって、サドゥーラのことですか?」

 

 レインは軽く目を瞠った。 

 

「そう、サドゥーラ・ギアルという名の亡者についてだ」

 

 レインを見つめて、ロンディーヌが頷いた。

 

「やっぱり、名が知られた骸骨だったのか。でも、ミノスが知っているとは思わなかった」 

 

「問わねば答えぬ。あれは、そういうものだろう?」

 

「そうですね」

 

 懐かしい名だった。思い出すと、ワーグ師匠と過ごした日々まで思い出してしまう。 

 

「私は、君に相応ふさわしくあろうと思う」

 

「えっ?」

 

かたわらに立つに相応ふさわしい存在でありたい」

 

「ロンディーヌさん?」

 

「君にとって、か弱い存在であっても……な」

 

 ロンディーヌが、かたわらのレインを流し見て微笑を浮かべた。 

 

「どうしたんです?」

 

「うん?」

 

「急に……なんだか、いつもと違います」

 

「明かりが無い世界というのは悪くない」

 

 ロンディーヌが空を見上げた。 

 

「ここは……魂の残光しかないですからね」 

 

 どんなに暗くても、レインの瞳には物の輪郭ははっきりと映っている。 

 

「ミルフィに叱られた」

 

「……ミルフィ?」

 

 何の脈絡で白猫ミルフィが登場したのか、レインには分からなかった。

 

「腕っ節の強さだけで物事を計っては駄目だと」

 

「何の話です?」

 

「年上なのだから、しっかりしろ……と、説教された」

 

 暗い空を見上げていたロンディーヌが小さく笑った。 

 

「ロンディーヌさん?」

 

「それを改めて欲しい」

 

 手を繋いだまま、ロンディーヌがレインの方を向いた。 

 

「何を……」

 

「ロンディーヌと、呼び捨てにしてくれ」 

 

 そう言うと、ロンディーヌがレインを引き寄せるようにして唇を重ねてきた。 

 いきなりの事に、レインは大きく目を見開いた。 

 危うく、神気と魔瘴気を暴走させてしまいそうになり、慌てて動悸を鎮めようとする。


(駄目……だ)

 

 もう止めようが無い。周囲に甚大な被害が出てしまう。そう覚悟したのだが……。

 

『大丈夫です』

 

 不意に、メリアの神官の念話が届いて、乱れた神気と魔瘴気が一瞬でしずまった。 

 

 盛大に冷や汗を掻きつつ、レインは体の緊張を解いた。 

 

「いつまでも、他人行儀では困る」 

 

 そっと唇を離して、ロンディーヌがささやいた。 

 

「……としました?」

 

 未だに鎮まらない動悸を持て余しつつ、レインは右手の義手をロンディーヌの柳腰に回した。 

 

「君が何者になろうと、私はかたわらに立ち続ける。その覚悟を伝えておきたかった」

 

 鼻が触れるか触れないかの距離で、ロンディーヌがレインを見つめて宣言した。 

 

「約束を口にするのは気をつけて。僕は呪術が得意なんですよ?」

 

 美しくきらめく双眸を真っ直ぐに見つめ返し、レインはロンディーヌを抱き寄せた。 

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