第129話 レインの願い

 

「少し、落ち着いたようね」

 

 メイド服姿のアイリスが微笑んだ。

 

 ロンディーヌに伴われて、レインはおぼつかない足取りで歩いていた。 

 

「ふわふわして……気持ち悪いです」

 

 レインは、部屋の中を見回した。その双眸が白銀色の光を放っている。 

 膨大な量の神気が体内を巡っている。どうやっても御しきれない神気が体の外へ漏れ出てしまうのだ。 

 

「わずか7日で……よくやっているわ」

 

 呆れた顔で笑いつつ、アイリスがメリアの神官に目顔で合図をした。 

 

「レイン様、こちらへ」

 

 ロンディーヌに代わり、黒布ヴェールで顔を隠した女神官がレインの手をとって、部屋の中央にそびえる神像の前へといざなう。 

 

(ふぅ……)

 

 少しでも気を緩めると、神気で体がぜてしまいそうな恐怖を覚えていた。 

 ただ、こうしてメリアの神官に手を引かれている間だけは、神気の流れが落ち着くようだった。 

 

 レインは、神像を前にこうべを垂れて目を閉じた。

 

「レイン!?」

 

 不意に、ロンディーヌが緊張した声をあげた。 

 直後、強烈な思念の波が襲ってきて、その場から音が絶えた。 

 

「ロンディーヌさん?」

 

 アイリスとメリアの神官、ロンディーヌが人形のように動きを止めていた。 

 

(神様?)

 

 こんなことが出来る存在は限られる。 

 

『おう、わっぱ……生きておったか!』

 

 覚えのある声が頭の中に響いた。

 

(王冠の……)

 

『凶皇と呼べ! 気にいっておる』

 

(アイリスさんから聞きました。僕の代わりに決闘をしてくれたんですね)

 

『ふん! 大神のくせに、あの手この手で逃げ回りおって、えらく手間取ったぞ!』 

 

 吐き捨てるような声が響き、レインは笑みを浮かべた。 

 

(メリアの海に、神様の魂がいっぱい流れ着いたそうです)

 

『あん? わしはやっとらんぞ?』

 

(決闘に巻き込まれた光神や光精霊の魂みたいです。アイリスさんが言っていました)

 

『ふうむ……まあ、太陽のやつが盾代わりに使った連中だろう。一々覚えておらんが……哀れな羽虫どもの成れの果てだな』 

 

 凶皇が鼻で笑った。 

 

(太陽神が、光神を盾にしたんですか)

 

『くだらん時間稼ぎだ。何をやろうと、儂にわれる命運だと言うのにな』 

 

 わらいの波動が押し寄せてくる。 

 

(……食べたんですか?)

 

『なかなか美味い魂だったぞ。古い神だけあって、よくかもされておったな』 

 

(……魂って、美味しいんですか?)

 

『おう! 美味いぞ! おまえも機会があれば喰ってみると良い!』

 

 再び、笑いの波動が押し寄せてくる。

 かつて無いくらい、機嫌が良さそうだった。 

 

(僕の体が、神気で大変なことになってるんですけど……)

 

『あん? 霊格が上がっただけだ! そんなものは、放っておけば勝手にしずまる』 

 

(そうだと良いんですけど)

 

『操気が面倒なら、その辺にぶちまけておけ!』

 

(そんなことしたら、アイリスさんに怒られます)

 

『カカカ……奴めがお目付役か。さぞかし、暑苦しいだろうな』

 

(……僕、どうなっちゃうんでしょう?) 

 

『どうにもならんぞ?』

 

(神気が鎮まったら、これまで通りに暮らせます?)

 

『当たり前だ。少しばかり、神気が多い人間というだけのことだ。逆上のぼせて、神を気取るなら、儂が喰らうぞ?』 

 

(それは困ります。まあ、ちゃんと人間として暮らせるなら……もう、それだけで良いです) 

 

 レインは、ほっと安堵の息を吐いた。 

 

『む? ああ、うるさい! かすな! 忘れておらぬ!』

 

(凶皇さん?)

 

うるさい奴が、後ろでせっついていてな……ああ、わしは神籍に入ってしまったからな。神にとって功ある者には、相応の褒美をくれてやらねばならんのだ。まったく、面倒な話だぞ!』 

 

(褒美?)

 

『何が欲しいのだ?』

 

(えっ?)

 

『何か褒美をくれてやろうと言っておるのだ』

 

(今回の件は、神様にとっては良いことだったんですか?)

 

 1人の人間が原因で、大神が討たれたことになるのだが?

 

『当たり前だ! うみはらうことが出来たのだ! 神界の慶事であろう?』 

 

(そう……ですか。良いことだったんですね)

 

 レインは頷いた。 

 

『無論、わしが決闘裁判に勝ったからだぞ? わしが負けておれば、おまえがやったことは悪事となる』 

 

(なるほど……)

 

『それで、わっぱは何が欲しいのだ?』 

 

(褒美……ですか)

 

 レインは沈思した。

 

『今は気分が良い! 多少の無理はきいてやる。何でも言ってみるが良い!』

 

(そうですね……もし、許されるなら……)

 

『おう? 何だ?』 

 

(以前、サドゥーラが支配していた荘園に、もう一度行きたいです)

 

『うん? サドゥーラとは何だ? どこぞの神か?』

 

(凶皇さんが、僕を刑場から送った先……あそこを住処にしていた骸骨です) 

 

『おう! あそこか! なるほど、それはいな! 少しばかりカビ臭いが、かつての英智が集った園だ。すっかり忘れておったが……ふむ、良い目の付け所だ! あれならば褒美に相応ふさわしい!』

 

(僕だけでなく、ロンディーヌさんを連れて行きたいんですけど、大丈夫でしょうか?) 

 

『む? ロンディーヌというのは、おまえの女か? あの瘴気に耐えられるのなら構わんぞ?』 

 

(ありがとうございます)

 

 レインは低頭した。 

 

『なんだ? ああ……一つに限り、天秤のやつに頼み事をすることができるらしい。望みがあれば言ってみろ!』 

 

(……何でも?) 

 

『おう! 言うだけ言ってみろ!』 

 

 できるできないは、裁神が考えることだからなと、凶皇が笑った。 

 

(それなら……)

 

 少し考えてから、レインは前々から考えていたことを口にした。 

 

『ふうむ……』

 

 レインの願いを聞いて、凶皇が低く唸った。

 

(駄目でしょうか?)

 

『いや、悪くないぞ。意図するところはよく分かる。裁神めの考えとも合っている。受け入れられるのではないか? うむ……なかなか、どうして……良い願いではないか!』

 

 上手く伝えることができたかどうか……。

 レインの願いとは、人の世に神々が干渉し過ぎることへの苦言であり、少し控えて欲しいと言う願望だった。 

 

(叶うでしょうか?)

 

『すぐに叶うかどうかは分からんが……いずれ近いうちに、形となるのではないか?』

 

(助かります) 

 

『カカカカ……肝の太い童だ! ともすれば、神々への叛意を疑われるぞ!』

 

 愉快げな笑いの波動が、ドシドシ……とレインの体を叩いた。 

 

(思っていたことを言っただけです。裁神様に逆らうつもりなんかありません)

 

 レインは不満げに唇を尖らせた。 

 

『分かっておる!』 

 

 笑い声と共に、ドッ……と、重たい衝撃が伝わり、レインの上体が乱暴に揺すられた。 

 

(うっ……あっ!?) 

 

 俯いたまま衝撃に耐えた、レインは双眸を見開いた。

 レインの中に、凄まじい量の魔瘴気が湧き上がってくる。 

 

わしからの褒美だ! 神気ばかり育ってはつまらんからな!』 

 

(これは……) 

 

『おまえは呪魂を持っている。すぐに馴染むだろう』 

 

(これでは……もう、うっかり術を使えません) 

 

『カカカカ……大神に喧嘩を売った奴が、情けないことをぬかすな! その程度の力、使いこなしてみせろ!』 

 

 凶皇が笑い飛ばす。 

 

(僕から喧嘩を売った訳じゃ無いんですけど……) 

 

 レインは小さく溜息を吐いた。

 ようやく一連の騒動が終わったらしい。 

 

『太陽神のざまを見た後で、地界に食指が動く馬鹿は少ない。大神ならば尚のこと、当面は手出しを控えるだろう』 

 

 寄るべき大神を失い、少なくとも光神系の神々や精霊は静かになるはずだと、凶皇が言った。 

 

(それだけでも、良かったです) 

 

 酷い目にったが、泣き寝入りせずに済んだ。 

 

『手を出せ、わっぱ!』 

 

(えっ?) 

 

 よく分からないまま、レインは宙空へ向けて左手を伸ばした。 

 

『英智の園への"鍵"だ。くれてやる!』

 

 凶皇の声と共に、漆黒の靄に包まれた大きな"鍵"が落ちてきて、レインの掌に弾んだ。 


(ありがとうございます)

 

 レインは、"鍵"を握って礼を述べた。

 

 しかし、もう返事は返らなかった。 

 

(……ありがとうございます) 

 

 "黒鍵"を握りしめ、レインは深々と低頭した。 

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