第127話 未熟の功

 

 

 オオォォォォォ……

 

 

 レインがのどを振り絞るようにして、獣じみた咆哮ほうこうを放つ。焼けただれたレインの肉体が輝きを放ち始めた。 

 

 レインの咆哮ほうこうを耳にした途端、魔呪鬼オージェ達が意識を失って倒れ、ゾイや仔狼ロッタ、ミノスが腰砕けに座り込んで動けなくなった。

 ロンディーヌやゼノンですら、目眩に耐えながら辛うじて立っている。 

 

 咆吼ほうこうをあげながら血走った眼で獲物を探すレインめがけ、大地を灼いた白炎塊が渦を巻いて襲いかかった。 

 

「レイン!」

 

 動けないゾイとミノスを庇いつつ、ロンディーヌがレインに呼びかける。 

 

 

 ルアァァァァ……

 

 

 再び、レインの咆哮ほうこうが響き渡り、凄まじい戦気が噴き荒れた。

 何かに殴られたように、ゾイと仔狼ロッタが仰け反って崩れ伏し、ミノスが小さく呻き声を漏らす。 

 

「レイン!」

 

 白炎に包まれたレインに向かって、ロンディーヌが呼びかけた。

 

 直後、

 

 

 ルオォォォォ……

 

 

 三度みたび、レインの咆哮ほうこうが響き渡った。

 

 天を突くほどに突き上がっていた白炎の渦が霧散し、咆哮ほうこうを上げるレインの姿があらわになる。長々と伸びた頭髪が青白い神気を纏って宙を舞い、レインの体から無数の雷光がぜ散り始めた。 

 

 眩い輝きの中で、上空を振り仰いだレインが顔を左右して何かを探している。

 

「ロンディーヌ様」

 

 レインに向けて駆け寄ろうとするロンディーヌの前に、ゼノンが立ち塞がった。

 

「ゼノン……あれはどうなった? レインは大丈夫なのか?」

 

「我が君より御下命を賜りました。失礼致します」

 

「えっ? あっ……」

 

 慌てるロンディーヌ達を闇が包んだ。

 さらに闇を拡げて、ゾイや仔狼ロッタ魔呪鬼オージェ達を飲み込むと、ゼノンがレインに向かって一礼しながら消えていった。 

 

 

 カハァァ……

 

 

 白金色の光粒を口腔から吐き出しながら、レインが右腕の【圧搾霊筒ランパルト】を上空へ向けて構えた。

 【圧搾霊筒ランパルト】の周りに、小さな雷光が無数に躍って明滅し、眉を吊り上げたレインの顔貌を照らし出す。 

 

 天空に狙いを定めた【圧搾霊筒ランパルト】が"背負い鞄ダール"から放出された膨大な霊力を吸い、筒口から光粒を舞わせて鳴動を始めていた。 


 

 ウゥゥ……


 

 天を見上げたレインの双眸が、本来なら見えるはずのない存在を捉えて細められた。

 遥かな天上の界からレインを狙って、灼熱の白炎塊を降らせた神……。

 人の身では、その姿を見ることは叶わない。

 

 レインが捉えたのは、神の殺意だった。レインに向けて放たれた白炎には、明確な殺意が込められていた。姿は見えずとも、殺意を辿って根源を捉えることはできる。

 神々が定めた"ことわり"の内であれば、人の術技が神域を犯すことはできない。神槍であろうと、神気による術技であろうと……。

 

 だが、レインの右腕には、神々の"ことわり"の外にある道具、古代人が生み出した【圧搾霊筒ランパルト】があった。 

 

 

 コオォォォォォ……

 

 

 【圧搾霊筒ランパルト】の筒口から聞こえていた鳴動音が徐々に高音に変じ、レインから放射される雷光が周囲を灼き始めた。

 レインの鼓動に合わせ、高熱を帯びた突風が地面を薙ぎ払って吹き抜け、【圧搾霊筒ランパルト】の鳴動に呼応するかのように大地が振動する。

 

 レインの双眸が赤光を放ち始め、大地を踏み締めながら腰を沈めた。

 

 

 キイィィィィィ……

 

 

 【圧搾霊筒ランパルト】が、耳にさわる高音をかなで始めた。

 

 直後、

 

 

 キュアッ!

 

 

 短い解放音を残し、【圧搾霊筒ランパルト】から一条の光線が放たれた。

 レインの怒気を込めた光条が、天空を貫いて届くはずのない隔絶された世界へ突き上がる。


 天高く伸びた光条を見送って、

 

 

 ルァァ……

 

 

 全身から殺意の雷光をぜ散らしていたレインが小さく声を漏らし、膝から地面に座り込むと、湯気が立ち上る右腕をゆっくりと下ろした。炭化した膝から下が崩れて無くなり、レインはゆっくりと横倒しに倒れていった。 

 

『小さき勇者よ……まだまだ精進が足らぬな』

 

 煌龍の波動がレインの体を揺さぶり、体から噴き上げている雷光が消えた。 

 

『力の不足が幸いした。真なる逆鱗なら、塵すら残っておらぬぞ』 

 

 座り込んで動けないレインを揶揄からかうような煌龍の声を聞きながら、レインは目を閉じた。 

 

(煌龍を降ろすつもりだったのに)

 

 想定していなかった術技が発動してしまった。

 

『その身に、我を招いたところで神域には届くまい』 

 

(そう……かも)

 

 悔しいが、レインでは太刀打ちできない相手だった。 

 

『せっかくばれたのだ。今少しの間、命力を繋いでいてやろう』 

 

(ありがとう)

 

 微かに戻ってきた霊気の巡りを手繰り寄せるようにして、レインは体内で霊力を練り始めた。 

 

 

 ……<回復>

 

 

 弱々しい霊力を細々と使いながら、レインは苦い笑みを浮かべた。

 こんなに無理をしたのに、神域に光条を撃ち込んだだけで終わってしまった。

 

(でも……届いた)

 

 レインの放った"意地"は、天上の存在を捉えたはずだ。

 

 結果が、どうなったのかは分からない。 

 それでも、神域に居る神へ届いたはずだ。 

 

『ふむ……そろそろ、こちらの霊力は尽きるな』

 

 煌龍の思念が届いた。煌龍をぶために注ぎ込んだ霊力が尽きるらしい。 

 

(なんとか……大丈夫そう)

 

 体の中に、霊力を巡らせる霊路を構築していた。

 ぎりぎりだが、命力を保つことはできる。

 

『またまみえよう。小さき勇者よ』

 

(うん……助かったよ)

 

 地面に倒れたまま、レインは静かに息を吸い、ゆっくりと吐き出した。 

 

 

 ……<回復>

 

 

 霊力が足りず、途切れてしまいそうな退魔法を重ねて使う。 

 

(……ぁ?)

 

 不意に、周囲に立ちこめていた熱が消え去り、清涼な空気がレインの体を包み込んだ。 

 

『まったく、君は……とんでも無いね』 

 

 覚えのある声がして、レインの顔の前に黒猫トリコが舞い降りてきた。

 

「ト……リコ」

 

『皮膚が崩れるから、口を動かすんじゃない』

 

 黒猫トリコが地面で足踏みをしてから、くるりと宙返りをした。

 途端、レインの体が濃密な霊力で包まれた。 

 

(助かるよ)

 

『もうすぐ、アイリス様がいらっしゃる』

 

(……ロンディーヌさんは?)

 

『彼女と仔狼ロッタは無事だ。君の使い達は、彼女を避難させた後、霊力を失ってかえってしまったがね』 

 

(ああ……そうか。僕からの霊力が途絶えたから……)

 

 ゼノンとゾイは、レインの霊力によって顕現しているのだ。 

 

『ふむ、なかなか良い服だ。もう再生している』 

 

(服? ああ、あっちの世界で貰ったんだ)

 

『……アイリス様がお越しになった』

 

 黒猫トリコが地面に膝をついて低頭した。

 

『レインちゃん!』

 

 黄金の輝きと共に、甲冑を着た巨躯が出現した。 

 

(アイリスさん……)

 

『ああ、なんという酷い姿に……でも、良かった! なんとか大丈夫そうね!』

 

(これでも、マシになったんです)

 

 なかなか戻らない霊力をもどかしく思いながら、レインは小さく溜息を吐いた。 

 

『色々説明しないといけないけど……まずは治療ね。太陽神の炎で灼かれたから、聖光術では効果が薄いわ』 

 

(あれは……太陽神ですか)

 

『ええ、そうよ』

 

(僕の……届きましたか?)

 

『届いたわ! ほんの少しだけど、太陽神の神魂を削ったそうよ!』

 

(そう……ですか)

 

 レインはほのかな笑みを浮かべた。

 

『太陽神は、魔呪鬼オージェを排除するために陽炎を放ったと言い張っているわ。レインちゃんを巻き込んだのは事故だったとね』

 

(殺意は、僕に向けられていました)

 

 だからこそ、本来は知覚できないはずの"神魂"を捉えることができたのだ。 

 

あかしを立てるために、決闘裁判が行われます』

 

(僕が?)

 

『お馬鹿さんね。今のレインちゃんでは勝ち目がないでしょう?』

 

(……はい)

 

『レインちゃんどころか、ほとんどの神々が相手にならない……はずだったんだけど』

 

 レインに代わって決闘を行うことを申し出た神が現れた。

 

(もしかして、凶皇さん?)

 

 太陽神の攻撃を受ける寸前、祖母と"王冠の骸骨"から声が届いたことを思い出した。 

 

『そういうこと。元々、太陽神とやりたがっていたからね』

 

(太陽神って大神なんですよね? ちょっと前に神になったような……凶皇さんが勝てるんですか?) 

 

『相性では、太陽神に分があるわ。でも……そうねぇ』

 

 腕組みをしたアイリスが、わずかに首を傾げた。

 

『レインちゃん、あの凶皇とどういう関係なの?』

 

(……えっ?)

 

『なんか、凄い気迫だった。鬼気迫るというか……怖いくらいに静かな声で、代理決闘の申し入れをしていたわ』 

 

(裁神様は?) 

 

『許可なさいました』 

 

(じゃあ、今頃……) 

 

『それ以上のことは分からないわ。大神の決闘は、私でも立ち会うことが許されないの』

 

 アイリスが軽く首を振りつつ、背後を振り返った。 

 

『遅いわよ! モヨミ!』


 アイリスの野太い声が轟く。

 

(モヨミちゃん?)

 

 五感が潰れた今のレインには感じ取れないが、モヨミが近くに来ているらしい。 

 そう思った時、


「レイン……あぁ、レイン……良かった!」

 

(えっ……)

 

 いきなり、レインの体が抱え上げられた。

 

(ぁ……)

 

 双眸に涙を湛えたロンディーヌが、地面に膝をついてレインを抱きしめていた。 

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