第121話 魔呪鬼の群れ

 

「魔瘴窟を調べましょうか」

 

 馬車の窓から外を眺めながら、レインは考えていたことを口にした。 

 

「構わぬが……急にどうした?」

 

 ロンディーヌが本を置いて顔をあげる。

 

 モヨミちゃんが直してくれた馬車は快適そのもので、外の景色が流れていなければ馬車の中だと分からない。ほとんど揺れず、卓に置いた果実水にわずかな波紋すら立たなかった。 

 

「前から興味はあったんです。でも、あれって蜂の巣のようなものでしょう? 入るのは、それなりに力を付けてからにしようと思っていました」

 

 わずかに細めたレインの双眸が、上空を飛翔する大きな鳥影を捉えた。


魔呪鬼オージェ退治か?」

 

魔呪鬼オージェにも色々居ると思うんです。神様だって、色々ですから」

 

「そうだな」

 

 淡い笑みを浮かべてロンディーヌが頷いた。

 

「準備さえしていれば、強い魔呪鬼オージェが出てきても負けることは無いと思います」 

 

「レインが負けるような魔呪鬼オージェか……そんなものが出てくれば、この世が……人の世が終わるだろう」

 

 軽く喉を鳴らすように、ロンディーヌが笑う。

 

「僕の強さなんて、まだまだ……もっと強い人はいっぱい居ます」

 

 レインは、ゆっくりと首を振った。

 

「断言しても良いが……人間には、レインを上回る存在など居ないと思うぞ? もちろん、神が力を貸せば別だろうが……先程から何を見ている?」

 

 レインの視線に気付き、ロンディーヌがカーテンを動かして外を覗き見た。

 

「鳥にしては大きいから、また何かの魔物かと思って見ていました」

 

「魔物では無いのか?」

 

「首の付け根の辺りに、モヨミちゃんがまたがっています」

 

「なんだと?」

 

 ロンディーヌが眼を凝らした。

 ぼんやりとした飛影が見えるだけで、それが鳥なのかどうかすら判らない。

 

「湖城でしたっけ? 大きな湖の中にある城へ向かうから、空を飛んでついてくるつもりなのかも?」 

 

「湖城とは言っても、橋で結ばれた大きな島の上だぞ?」

 

 カゼインの王城は帝都の北辺にある大きな湖の島に建っているが、岸から長い橋が架けられており、王城まで馬車で往来することが可能だった。 

 

「途中で襲撃を受けるだろうと言っていました」

 

「それを避けるために、鳥……か?」

 

 ロンディーヌが小さく首を傾げた。

 

(罠というより、たぶん……)

 

 レイン達による王城への攻撃に巻き込まれないための用心だ。あの賑やかな妖精は、危険を察知して回避する感覚が優れている。 

 

「それで、どうやる?」

 

 不意に、ロンディーヌがレインに問いかけた。

 

「カゼインの王ですか?」

 

 宰相から王に成り上がった現国王に動きは無い。学園が無くなってから、使者はもちろん、兵や刺客を差し向けることもして来ない。

 

「正直なところ、もうカゼインに未練は無い。父の墓を整えることができれば……それで十分だぞ?」 

 

「レッチール・アロ・サイグスという男は亡くなっていました」

 

「……やはり、そうだったか」 

 

 ロンディーヌが頷いた。

 カゼインの三大公爵家の一つ、サイグネス家の三男だ。ロンディーヌが"魔瘴憑き"として断罪され、ドリュス島へ流された時に、めかけになるなら助けてやると言ってきた男達の1人だ。同じようなことを言ってきた者達は他にも居たが、もうこの世には居ない。

 

「ロンディーヌさんの瘴魔を浴びたことが死因かどうかは分かりません。亡くなったのは、3ヶ月くらい前です」 


 鱗衆の調べだ。間違い無いだろう。

 

「存外、長く生きたのだな」

 

「お墓を暴くように指示したのは、レッチールでした。サイグス家の兵ではなく、町の口入れ屋を通して集めた人間を使ったようです」 

 

「……そうか」

 

 小さく頷いて、ふと何かに気付いた顔でロンディーヌがレインを見た。

 

「何です?」

 

「私は、父の墓が暴かれたことを口にしたか?」

 

「いいえ?」

  

 レインは首を振った。

 

「なら……どうやって?」

 

「調べたのは鱗衆です」

 

「鱗衆が?」

 

「ロンディーヌさんがレッチールの行方を気にしていると伝えたら、その理由を調べてくれました」 

 

「呆れた調査力だな」

 

 ロンディーヌが小さく息を吐いた。

 

「ロンディーヌさんに怒られるのを覚悟で……全部調べるように指示しましたから」

 

 レインは、窓の外を向いたまま言った。

 

「面白くないと思う気持ちはある。だが、だからと言って、レインに当たるほど愚かでは無い」

 

 そう言って、ロンディーヌが仄かな笑みを浮かべた。

 

「身を寄せていた先は、アシュレント魔導国の子爵家です」

 

「ああ……悪名高いスイバル家だな」

 

「有名な家なんですか?」

 

「暗殺請負業の名門だ。他国から舞い込む裏黒い依頼の窓口になっている」

 

「へぇ……」

 

 それにしては、兵の質が悪かったように思う。事後の調べになったが、仔狼ロッタの散歩中に襲撃したアシュレントの刺客集団は、スイバル家の手配だったことが判明していた。

 

「カゼインの後は、アシュレントの魔導王に会って苦情でも言ってみるか?」

 

 ロンディーヌが冗談めかして笑う。

 

「せっかくなので、魔瘴窟を見ておこうと思います。今回、魔呪鬼オージェが来ましたからね」

 

 魔瘴窟や瘴気溜を調査しておきたい。いずれは、ラデンの皇都を呑んだ魔瘴窟を祓うつもりだ。その時のために、他所の地で霊法陣を試してみたかった。

 

「瘴気を調べるのか?」


「シレイン島に掛けられた呪咀を僕が祓った後、あちこちに魔瘴窟や瘴気溜が生まれました。それからも、何度か呪咀を祓っていますが、どこかに魔瘴窟ができたという話を聞きません」

 

「ふむ……」

 

「呪咀祓いがきっかけなのは間違いないんですが、それだけじゃなくて、何か他の条件がある……そういうことですよね?」

 

「そうだな」

 

「カゼイン王に会った後、ラデンに行って魔瘴窟を調べようと思います」

 

「賑やかな事になりそうだ」

 

 ロンディーヌが笑みを浮かべた。

 

「ミノスの知識に無かったんですよ」

 

「魔瘴窟が?」

 

「はい」

 

 魔瘴窟を知らないという事ではなく、ミノスは魔瘴窟の発生を自然現象の一つとして認識していた。

 魔瘴窟の成り立ちや内部については何も知らず、魔呪鬼オージェのことは魔瘴窟の住人であり、時折、外へ姿を見せて人間と争うことがある……と。

 

「その程度か。いや……蛟王にとっては、気に留めるほどの事象ではなかったのかもしれないな」

 

「ただ瘴気が凝り固まって生まれるものかと思っていたんですけど、その程度のものなら昔の聖光使いが祓っていたはずです」

 

 ワーグ師匠は、魔呪鬼オージェのことは知っていたが、魔瘴窟については何も言っていなかった。

 

「ミノスが知らないのであれば、誰に訊いても満足のゆく答えは得られないだろう」

 

「そうでしょうか?」

 

「せっかくだから、自分達で調べて世に発表すれば良い。本にするなら私も手伝うぞ」


 ロンディーヌが微笑した。

 

「本か。良いですね、それ……面白いかも」

 

「ああ、それで思い出した。学園でやっていた聖光使い向けの授業だが、書物の内容はもう少し工夫した方が良い。ちらと見ただけだが、あれでは……人間には理解できまい」

 

「立派な本を配っていましたね」

 

 学園では、金で縁取りされた表紙をつけた分厚い本が、全ての生徒に配られていた。

 

「あれは精霊向けの内容だ。人間が会得に至るまでに通るだろう過程を何段階も省略していた。人間が何に戸惑い、どういうところでつまづき、理解するために何を必要としているのか……そういう視点が抜け落ちている」

 

 ロンディーヌが苦笑を浮かべる。

 

「それ、メルファに?」

 

「いや、学園に関わるつもりは無かったからな。ただ、もしやり直すのなら、気になった点を幾つか指摘するつもりでいる」

 

「そうですね。どうせやるなら、ちゃんとした聖光使いを育てないと……」


 レインが呟いた時、急に馬車が速度を上げた。

 窓の外を、立木が凄い勢いで流れ去ってゆく。

 

(ゼノン、何かあった?)

 

 レインは御者台のゼノンに念話を飛ばした。

 

『この先で何かあるようです。急ぐようにと、モヨミ嬢が騒いでおります』

 

 ゼノンの念話が返る。

 

(モヨミちゃん?)

 

 レインは上空の飛影に目を凝らした。

 

『悪魔祓い君! 出番だよ!』

 

(何かあった?)

 

『悪魔が出たんだ!』

 

(……魔呪鬼オージェ?)

 

『いっぱい出てきて道を塞いでるんだ!』

 

 行手を魔呪鬼オージェの集団が塞いでいるらしい。

 

(なら、離れた方が良いんじゃない?)

 

『あっちに、ボクの友達が居るんだよ! のんびりした子達だから、魔呪鬼オージェに襲われるかもしれない! 悪魔祓い君、助けてあげてよ!』

 

「ふうん……」

 

 レインは馬車に巡らせていた霊力の障壁を拡げた。

 せっかく直してもらった馬車を壊されるわけにはいかない。 

 

「レイン? 敵襲か?」

 

 ロンディーヌがレインを見る。

 

魔呪鬼オージェが……いっぱい出てきたようです」

 

「ほう? 招きもせぬのに……この先か?」

 

 ロンディーヌが、窓に顔を近づけて前方を覗った。

 

「そろそろ、カゼインの帝都でしたよね?」

 

 帝都を囲む城壁の南端が見えて来る頃だ。 

 

魔呪鬼オージェは、帝都へ向かわず、我々を待ち構えているのか?」

 

 ロンディーヌが柳眉をひそめた。

 

「友達が近くにいるから助けて欲しいと、モヨミちゃんが言っています」

 

 レインは上空を指差した。

 

「先日の魔呪鬼オージェ程度なら問題ないが、あのような者ばかりではないだろう」

 

三眼巨人バクラオのような強いのばかりだと困りますね」

 

「困るだけか?」

 

 ロンディーヌの両肩に、【双翼盾オルパーリ】が浮かんだ。 

 

「法陣を描く余裕さえあれば、打つ手は幾らでもあります」

 

 不死性の高い相手が強引に迫ってくると、肉弾戦で対応しなくてはならなくなる。だが、今はロンディーヌを筆頭に、ゼノンとゾイ、ミノス達が居る。 

 

(初手……どうしようか)

 

 問答無用で先制するか、あえて近づいて対話を試みるか。

 これまで出会った魔呪鬼オージェは好戦的な者ばかりだった。対話に意味が無い気はするが……。

 

(思ったより多いな)

 

 広域へ拡げた霊波が魔呪鬼オージェの数と位置を捉えた。

 500体は居るだろう。 

 

「……む?」

 

 ロンディーヌが軽く眉をしかめた。

 

魔呪鬼オージェからの探知波ですね」

 

 レインが霊気でやったことを、魔呪鬼オージェが魔瘴気で行っていた。

 

(魔力は高まっているけど、まだ魔法は撃って来ない)

 

『我が君……如何なさいますか?』

 

 御者台のゼノンから念話が届く。

 行動を決めて指示を出さないといけない。

 

「……初撃を受けるつもりで、このまま接近する」

 

 わずかに迷ってから、レインは対話を試みることにした。

 

「奴らが魔法を放つようであれば、構わず撃ち返すぞ?」 

 

 ロンディーヌが指先に炎を点して微笑する。

 

「自由にやって良いですよ。ちょっと話をしてみようと思っただけですから……どうせ、会話が成り立たずに戦うことになるでしょう」 

 

 レインは、練り上げた膨大な霊力を噴き上げた。 

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