第99話 忌み神

 

(何か調子が狂ったけど……気を引き締めないと)

 

 目の前に、大きな亀裂が走っている。南から北へ向かって、岩肌が引き裂けていた。

 レインが助走をつけても跳び越えられないほどの幅があり、<霊観> の範囲を超える深さだった。

 

「飛べる?」

 

「魔法は使えませんが、蛟王こうおうの知識に浮遊の異能があります」

 

「じゃあ、とりあえず底まで降りてみよう」


 レインは、半狐面ミカゲを顕現させると、亀裂の闇中へ跳んだ。

 すぐさま、ミノスが後を追う。

 

(魔瘴気が凄い。魔瘴窟よりも濃くて純粋な瘴気……)

 

 これほどの瘴気を浴びると、耐性の無い生き物は魂を蝕まれて狂死してしまうだろう。生贄いけにえがどういう状態で投げ落とされたのかは知らないが、生きて底まで到達することは無かったはずだ。

 

「大丈夫?」

 

「はい。この身体は瘴気に強いようです」

 

 ミノスが笑みを浮かべて見せる。

 

(まあ、こんな姿だけど、背負い鞄ダールと同じ自我ある道具だもんな)

 

 下で何が待ち受けているのか分からないが、自分の身を守ることに集中するべきだろう。 

 

「レイン様」

 

 注意を促すミノスの声が緊張で掠れている。

 

("み神"?)

 

 とてつもない死の気配が、深い瘴気の底から浮かび上がって来る。

 はっきりとレイン達を認識した動きだった。

 

(でも……なんだろう? この感じは……)

 

 レインは降下を止めて、その場で待つことにした。

 

「いくら浮遊できても、この場での応戦は不利だと思います」

 

 ミノスが小声で囁いた。

 

「うん……ただ、どこでやっても不利だ」

 

 レインは小さく息を吐いた。

 力の差があり過ぎて、何をどうすれば……という工夫が思い浮かばない。展張している霊法陣が、拡げた端からむしばまれて崩れている。破砕の小呪符を舞わせていたが、反応することなく、ただ舞い散っているだけだった。

 

(ここまで、術技が通じない相手は初めてだ)

 

 相手は、そこに来ているというのに、勝ち筋を見つけることができない。

 

(逃げることも……)

 

 許されないだろう。

 

「私を盾にして下さい」

 

 ミノスが前に出ようとする。その小さな肩を掴んで、レインは後ろへ下がらせた。

 

「僕の相手だ」

 

「……すみません」

 

「勝てないけど……でも、たぶん……大丈夫」

 

「えっ? それは……」

 

 ミノスがレインの真意を確認しようとした時、

 

『妙なものが入り込んだな。呪血のわっぱではないか』

 

 強烈な思念と共に、老人の声が響いた。

 まだ姿は見えないが、吹き荒れる強大な力の奔流に覚えがあった。

 

『この命力……少しは育ったか』

 

 笑いの波動に煽られ、レインの全身が圧されてきしむ。

 

「お久しぶりです!」

 

 気配に圧倒されながら、レインは負けじと声を張った。

 相手は、プーラン領の刑場で出会った"王冠を被った骸骨"だった。

 

『おう? 呪魂が、儂の想定を超えた域に達しておる。それに……なかなかの霊格に育ったではないか。まあ、まだ洟垂はなたれには変わりは無いが、その辺の有象無象より頭一つ抜けておるな』

 

(こんなに凄かったんだ)

 

 レインは歯を食いしばり、体内で巡らせている霊力を神気に変えた。

 刑場で遭遇した時は、恐怖で震えるばかりだったが、今は相手の理不尽なまでの強大さがはっきりと感じ取れる。

 

(神気でも防げない)

 

 強烈な気配に押し潰されそうになりながら耐えていると、不意に圧が薄れて身体が楽になった。 

 

 同時に、澱む瘴気を引き裂くようにして、黒衣を纏った骸骨が姿を現した。 

 金糸で縁取られた黒衣に、分厚いマント、ねじくれて奇怪な形をした錫杖……全てに見覚えがある。

 刑場で出会った時と変わらぬ凶々しい姿に、レインは不思議な安堵を覚えた。 

 

(……来る)

 

 ゆっくりと息を吸い込み、

 

(むっ……!)

 

 腹腔に力を入れて、吹き付ける気魂を真っ向から受け止めた。定型化された術技ではない。自らの気魂そのもので相手の圧を押し返す。

 

 

 カカカカ……

 

 

 骸骨が、歯が剥き出しになった上顎と下顎を開け閉めして笑った。

 

『呪血のすえ……死にかけの洟垂はなたれが、神々の運命輪を狂わせるとは……運命神め、さぞかし歯痒はがゆかろうて』

 

「あなたが、"み神"なんですね」

 

『何だ、その呼び名は?』

 

 王冠を被った骸骨が首を傾げた。

 

蛟王こうおう蛇人間シグナイが、そう呼んでいました」

 

『蛇? ああ……天人の落とし子か』

 

「天人? それって、古代人のことですか?」

 

『おまえ達は、あれを古代人と称しておるのか?』

 

「たぶん……そうです」

 

 レインは、ミノスを見た。

 先ほどから、どこか遠くに眼差しを向けたまま硬直して動かない。

 

『あれと接触して生きておるとは……愉快、愉快……』

 

 "王冠の骸骨"が笑った。

 

「危ない人達なんですか?」

 

『危ない? ああ、危ないとも!』

 

 

 カカカカ……

 

 

 骸骨が楽しげに笑う。

 

「他の場所にも、古代人が居るんですよね?」

 

 レインは訊ねた。

 

『さてな? 儂は、現界に意識を移すことは滅多にない。奴らが何処で何をやっているかなど……おっ? 面白げな奴が降りて来たぞ』

 

 "王冠の骸骨"が斜め上方を見上げた。

 

「えっ?」

 

 "王冠の骸骨"につられて、レインも上方を振り仰いだ。

 

「レインちゃ~ん!」

 

 野太い大音声と共に、黄金色の重甲冑に身を包んだアイリスが頭を下に急降下してきた。 

 

「アイリスさん、どうしてここに?」

 

『おう、天秤の神使か。久しいな』

 

「凶皇っ! レインちゃんから離れなさい! その子は、裁神様の司奉なのよ!」

 

 憤怒の形相のアイリスが、巨大な戦斧を小枝のように振り回して、王冠を被った骸骨めがけて振り下ろした。 

 

『やれやれ、相も変わらず、暑苦しい奴だ』

 

 "王冠の骸骨"が、羽虫でも払うかのように手を振った。

 それだけで、戦斧を振り下ろそうとしていたアイリスの巨体が吹っ飛んで消える。

 しかし、


「なんのぉっ!」 

 

 一度視界から消えたアイリスが、瞬時に戻ってきて戦斧で殴りつけた。

 

 

 カカカカ……

 

 

 "王冠の骸骨"が顎を鳴らしながら、易々と手で払いのけた。

 

 すぐに舞い戻ったアイリスが、

 

「ぜいっ! おうっ!」

 

 戦斧を振り回して迫る。

 

『儂とやり合いたいなら、その鈍い肉体を捨ててから来い』

 

 苦笑交じりの思念と同時に、アイリスめがけて漆黒の暴風が襲いかかった。 

 

「ぬんっ!」

 

 両腕で顔を庇い、真っ向から暴風を受け止めたアイリスだったが、じりじりと圧されて後退をしてゆく。 

 

「えっと……アイリスさん、僕は大丈夫ですよ?」

 

 レインは、遠去かるアイリスに向かって声を掛けた。

 

「レ、レインちゃん!?」

 

 ぎりぎりのところで耐えていたアイリスがレインを見た。 

 

「僕、この人と話をしていただけです」

 

「う、嘘っ! きゃあああっ!?」

 

 レインに気を取られたアイリスが、そのまま弾き飛ばされて虚空へと消えていった。

 

『おまえ、あれと知り合いか?』

 

 "王冠の骸骨"がレインに視線を戻した。

 

「はい。一度戦って……それから、ずっと良くしてくれます」

 

『ほう? よく打ち殺されなかったな』

 

「加減してくれてたんだと思います。鎧を着ていなかったし……斧じゃなくてほうきでした」 

 

『呪血は運命神に嫌われていると思うておったが……案外、好かれておるのか? あの神使と一戦交え、生き延びたというのか?』

 

「僕、運が良いとは思いませんけど?」

 

『呪血のすえが、その歳まで生きているのだ。運が悪いはずがない。宿運が転じたか? ふうむ……あの神使、おまえを天秤の司奉だと言ったな?』

 

「はい」

 

『あのお堅い女神が人の子を……それも呪血に目を掛けるとは……どうやって、呪血の存在を知った? 神使が推挙をしたのか?』

 

 "王冠の骸骨"がぶつぶつと呟きながら首を傾げている。

 

「女神様を知っているんですか?」

 

『当たり前だ。儂と真っ向からやり合った奴だぞ。あいつさえ居なければ、神域など討ち滅ぼしてやったものを……』

 

 "王冠の骸骨"が忌々しげに吐き捨てる。

 

「あなたは、女神様の敵ですか?」

 

『かつては敵だった。だが……不覚にも、同胞というべき存在に堕ちてしまった』


 "王冠の骸骨"が、ゆっくりと頭を振った。

 

「えっ?」

 

『今の儂は、神籍に身を置いている。神の一柱だ』

 

「ええっ!?」

 

 レインは大きく仰け反った。

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