第95話 蛇人の祖

 

「どうやって、ここに……寝所だぞ? 外界と断絶した領域なのだぞ?」

 

 呆けたような顔で、蛟王こうおうが呻いた。

 そこに、少年レインが立っていた。

 つい先程、斬り殺したはずの少年が、物静かな表情で立っている。着衣は、神官衣ではなく、まるで瘴気を纏っているかのように黒い。闇をそのまま纏ったかのような姿をしていた。

 

「どうやっても何も……扉の鍵を開けて入っただけです」

 

 苦笑しつつ、レインは左手を頭上に翳した。どこからともなく"折れた剣"が現れる。

 

「お、おのれぇ! 小汚い地虫風情が、御寝所をけがすなっ!」

 

 絶叫をあげた蛟王こうおうが大剣を振りかぶろうとするが、何かでばくされたように身動きできなかった。

 

「呪縛です。鼻や口、臓腑などは動きますけど……」

 

 レインは"折れた剣"を軽く下へ振った。

 

「ぬっ……ぎぃ!?」

 

 顔を歪めた蛟王こうおうがお辞儀をするように上体を折って、レインの前に頭を差し出した。

 

「シェントランの恨み辛みが滞留していたので集めて来ました」

 

 この場に連れてきた膨大な怨念は、この地で蛇人間に命を弄ばれ、魔導具のかてとなった幻の民シェントランのものだ。

 

「祭司ども……供物風情が……俺を呪うというのか」

 

 こうべを垂れたまま、蛟王こうおうが屈辱に身を震わせる。

 

蛇人間シグナイが使っていた魔導具は、あなたが考えて作ったんですか?」

 

 "折れた剣"に呪法陣を付与しながら、レインは <霊観> で周囲を見回した。しかし、何らかの力場に邪魔をされて視線が徹らない。蛟王こうおうが言うように、かなり特殊な空間らしい。 

 

「……ぎぃっ! や、やめろ!!」

 

 体の深奥から爆ぜる痛みに、蛟王こうおうが苦鳴をあげた。

 

「魔導具は、あなたが考えて作ったんですか?」

 

「しっ、始祖から与えられた……知識だ」

 

 俯いたまま、蛟王こうおうが呻くように答えた。

 

「しそ?」

 

 レインは小さく首を傾げた。

 

「俺を生み出した尊き存在……我ら、蛟魔の最初の一人だ」

 

「神様?」

 

「……神に等しい御方だ」

 

「ふうん? まだ他に居るのか」

 

 感知できなかったが、ここは特殊な空間らしい。レインの知らない術技によって居場所を分からなくしているのだろう。 

 

「貴様、どうやって……この領域に呪いを届かせたのだ? ここは、何ものにも侵されない隔絶した領域のはずだ」 

 

「それ、本気で言ってます?」

 

 レインは小首を傾げた。

 

「ぬっ?」

 

「自分の体を外に出しておいて、隔絶も何も無いでしょう? 魔力や霊力は散らされるようですけど……"えにし"の繋がっている体を外に出していれば呪術は成せますよ?」

 

 仮に体でなくとも、"えにし"さえ繋がっていれば、どんな障壁に囲まれていても呪祖は届く。それなりの効果を発揮するためには、強い怨念や呪物、それらを組み合わせる呪陣などを用意する必要があるのだが、幸いにも必要なものは全て山頂で調達することができた。


「俺の体が、外……外界に出ていた? どういうことだ?」

 

 蛟王は、呪術に関して知識が薄いらしい。

 

衛士えじは、あなたの体から生み出されたんでしょう? だったら、衛士えじはあなたの肉体の一部です」

 

 蛟王こうおうは狼狽え騒いでいるが、レインからすれば、"衛士えじ"を捕まえて呪術を仕込んだだけだ。"衛士えじ"が蛟王こうおうの体から創り出されたと聞いた時から呪法を企図きとし、ここに至るまでの呪法を組み上げたのだ。

 

 まず、"影"の衛士えじという蛟王こうおうの肉体に、シェントランの怨霊を宿らせた"折れた剣"を突き入れ、呪怨の導路を蛟王こうおうに繋ぐ。

 

 瞳術で捕らえた技師長を"御寝所"へ入らせ、蛟王こうおうに斬らせることで"えにし"を深めて呪物と化し、呪物を核に据えた呪陣に幻の民シェントランの怨念をつどわせる。

 

 全て思い描いた通りに呪いの因縁で繋ぐことができた。 

 

 "影"の衛士えじを仕留めた時点では、蛟王こうおうが抵抗をする余地はあったのだが、幻術でレインの姿となった技師長に気を取られてしまい、自分の体が呪咀に侵されていることに気づかなかったようだ。

 

 おそらく、領域内に居ることに安心し、そうした可能性すら考えていなかったのだろう。 

 

衛士えじから繋がったえにしが、あなたの霊魂と結ばれました。もう、抗呪は間に合いません……時間切れです」 

 

 わめ蛟王こうおうの後頭部めがけ、レインは怨念を宿した"折れた剣"を振り下ろした。


 "折れた剣"が深々と蛟王こうおうの後頭部に突き刺さり、古びた剣身を中心に花弁が開くように呪いの陣が幾重にも生成されて紋様を形作る。

 

(双蛇ノ呪……連環獄)

 

 "衛士えじ"と蛟王の頭部に打ち込んだ呪咀が、その不死性をかてにして霊魂をむしばみ続ける。不死や不滅の存在の魂に、永遠の苦しみをもたらす呪いだった。

 

(誰かが呪を解くまで終わらない)

 

 呪陣の上で苦鳴を放っていた呪物が、黒々とした鉱物のような塊に変容した。

 

(呪物も、成った)

 

 床に転がって苦悶の表情でのたうち回る蛟王こうおうから"折れた剣"を引き抜き、レインは静かに背後を振り返った。 

 

(今何か……歪んだ?)

 

 微かな異変を感じて、レインは足下に法陣を展開しようとした。

 

(……ああ、なんか邪魔されてる。ここは、霊法が厳しいな)

 

 霊法陣を敷くことはできるが、効果は弱いものになる。そういう場所らしい。

 

(蛟王が言ってたっけ……魔法も駄目っぽい。ああ、でも……)

 

 霊力も魔力も、体内で巡らせるだけなら阻害されないようだった。

 

が出てきた?)

 

 どこまでも拡がっているように見えていた"御寝所"が、わずかに鳴動しているようだった。 

 

(……えっ!?)

 

 苦鳴をあげていた蛟王こうおうが不意に静かになった。瞬間、レインは床を蹴って跳び離れた。 

 床に倒れている蛟王こうおうから大きく距離を取って着地しながら、周囲の気配を探る。

 

(……ん?)

 

 わずかな揺らぎと共に、ひたすら床だけが拡がっていた"御寝所"が、鉛色をした壁や天井のある大きな部屋に変化していた。 

 

『おや……なんとも小さな生き物だ。今世の人種なのかな?』 

 

 穏やかな声が頭の中に響いてきた。伝わってくる思念の感じからすると、かなり若い男のようだったが、実際のところは分からない。念話だけでは、男女の判別すら怪しい。 

 

「……僕は、レインです。あなたは……しそですか?」

 

 レインは、周囲を見回しながら大きな声で名乗った。

 

『しそ? ああ、始祖かな? そこの蛇に教えられたのか?』

 

「はい」

 

『やれやれ、私のことは何者にも告げてはいけないのに……残念な蛇だ。うん? レイン……おや? その個体名には覚えがあるようだぞ?』

 

「えっ?」

 

『レイン……ロンディーヌ……ペディアン! フォアリゼッス?』

 

 思念の主が、別の誰かに訊ねたようだった。

 

 

 エルカズス……モサラスバデ……レイン……ロンディーヌ……

 

 

 声と共に、白い衣を纏った巨人が出現した。

 以前、古代人の"母"から仔馬ポーラを祓ったことがある。その時、施設を護っていた巨人と同じ姿をしていた。 

 

『ああ! そうだ! だから、ヒイズルカナンの印を宿しているのか』

 

「もしかして、ここは、古代人の……建物なんですか?」

 

 レインは、白い巨人を見ながら訊ねた。

 古代人については、ロンディーヌから説明を受けている。もっとも、ロンディーヌが読んだ本に載っていた"古代人"とは全く異なっていたようだが……。 

 

『ここは、狭間はざまだ。スパロスの門前に、そこの蛇が施設を増設したようだ』 

 

「蛇……蛟王こうおうは、蛟魔の一族だと言っていましたけど、あなたは蛟魔なんですか?」

 

『その呼称は記憶に無いな。ペディアン?』

 

 

 ゴウマ……ヘア……コルヒ……ミズスアン……

 

 

 白い巨人が何かを答えた。

 

『ふむ……なるほど、この門を護るために、それらしい物語を作ったようだ。まあ、咎めるほどの改変では無いか』

 

「あなたは、僕が前に会った人を知っているんですか?」

 

『もちろんだ。彼女は、私の……君達の概念で言うところの曾祖母にあたる存在なのだ』

 

「そうそ……曾祖母ひいばあちゃん?」

 

『ふむ? そういう呼び方があるのか? 思念としては正しい捉え方のようだが……』

 

「あの人、元気ですか?」

 

『生命状態は極めて良好だ。役目から開放されて、少々暇を持て余しているようだ』

 

「そうですか。元気なら、良かったです」 

 

『ところで、レインは"スパロスの門"に挑むのかな?』

 

「いいえ? そのつもりはありませんけど?」

 

『む? では、どうして、この地を訪れたのだ?』

 

「ここの蛇人間シグナイが攻撃してきたからです。僕は、ただ馬車で通っていただけなのに、いきなり襲ってきて……」

 

 レインは、ここに至るまでの経緯をつまびらかに説明した。

 

『おやおや……蛇のすえが色々とやっていたのか。なるほど……ん? "み神"というのは何かな?』

 

「さあ? 大蛟おおみずちがどうとか……世界を終わらせるとか言っていましたけど?」

 

『世界を終わらせる? 終末兵器のことか? しかし、あれはこの地には存在しないぞ?』 

 

「あなたは"み神"じゃないんですか?」

 

『私は"スパロスの門"を管理しているだけだ。現界の文明を滅ぼす役目は負っていない。君が出会った曾祖母がカナンの門を管理していたようにな』

 

「……なるほど。じゃあ、み神というのは他に居るんですね」

 

『ふうむ……ペディアン? エルゲイト、モッダリア、リリメット?』

 

 

 ……メタンキス……エルゲダリア……アルデリ……

 

 

 問いかけに、白い巨人が遅滞なく答える。

 

『やはり、撤去済みだ。この地に終末をもたらすような事物は存在しないぞ?』

 

「えっと……じゃあ、み神というのは、他の……魔神とか? 悪魔? そういう存在でしょうか?」

 

 レインは首を傾げた。

 

霊渦界リンセイルの住人達か……神……なるほど。レインのような人種と共に今の現界を構築しているのだな』 

 

「あなたは、神とは違うんですか?」

 

『まるで異なる存在だ。原初世界において、霊渦界リンセイルの者達と交流を持ったことはあるが……多少の行き違いがあり、環境を著しく損耗させたため、互いに不干渉ということになっている』 

 

「……なんか、よく分かりません。でも、じゃあ……僕がこうして、あなたと話していることは、神様……その霊渦界リンセイルから怒られたりしないんですね?」

 

『互いに存在しないものと位置づけているのだから、咎められる要因は存在しないのではないか?』

 

「なるほど……」

 

『それに、この現界には、霊渦界リンセイルの他にも異なる存在が居る。どの種族も、人種にとっては完全な異種だ。そこの蛇が、何を指してみ神と称していたのかは……少し蛇の記憶を調べてみよう』

 

み神というのは分かりませんが、大蛟おおみずちが出現したのは確かです。鳥のような翼が生えた大きな蛇でした」

 

『種の創造か……ああ、蛇に与えた玩具おもちゃがあったな。あれを使ったのか?』

 

 

 ……レイン……ロンディーヌ……ヒイズルカナン……

 

 白衣の巨人が何かを告げた。

 

『うん?』

 

 

 ……ディメジ……ミズスアン……サドル……

 

 

『ああ……それは正しい対応だな』

 

「あの?」

 

み神についてはこれから調べるが、まずはそこの蛇がヒイズルカナンの印を宿した者に迷惑を掛けたことを詫びる。その償いとして、"スパロスの門"を突破したことを認めよう』

 

「門を……?」

 

『"スパロスの印"を授けるから、そこの宝物庫で好きな品を一つ選んで行くと良い』

 

 念話が頭に響くと同時に、レインから見て右方の壁が開いて、広々とした空間が現れた。青みがかった闇の中に、円形の台座が等間隔に並んでいる。

 

(……ロンディーヌさんを連れてくれば良かった)

 

 ちらと後悔の念が過ったレインの胸に、いきなり灼けるような激痛が爆ぜた。

 

(ぐぅぅ……また、これか)

 

『おや? 今世の人間には合わないのか?』

 

(そ、それ……前も言ってた)

 

 身を折って激痛に耐えながら、レインは苦笑を浮かべていた。 

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