第94話 領域侵食

 

「ちっ……この程度なのか。多少はマシな奴かと期待したのだがな」

 

 重武装に身を包んだ大柄な蛇人間が、対峙するレインを見ながら舌打ちをした。

 鼻筋の通った彫りの深い顔貌に、金緑色の蛇眼、眉やヒゲなどは無く、後頭部から背にかけてたてがみのように頭髪が生え伸びている。"衛士えじ"と同じく、腕は左右に2本ずつ付いていた。

 

 神官服姿のレインが右肩左脇腹に深手を負って、荒く息を吐きながら槍を構えた。着ている神官衣が大量の血を吸って濡れそぼっている。

 大量の血を流し、槍を持つ手が力を失って震えている。失血で体に力が入らないのだ。 

 

「我が領域に単身で踏み入ったことは褒めてやる。蛮勇と言うべき愚かさだが……俺が生誕して以来、この領域に立ち入った者はおらぬ。地界の人間も、捨てたものではないな」

 

 そう嘯いて、蛟王こうおうが手にした大剣を振りかぶった。

 

「……ぢぃ……ぢぃがう……」

 

 レインの唇から血泡があふれる。

 

「ん? ああ……もう、さえずるな。終わりにしてやる」

 

 蛟王こうおうが大剣を振り下ろした。

 ぎりぎりのところで、レインが身を仰け反らせながら槍を翳して大剣を受けつつ、脇へと弾き落とす。

 

 しかし、

 

「ぬるい!」

 

 逸らされた蛟王こうおうの大剣が、逃れるレインを追って跳ね上がる。

 

 

 ……ギィン……

 

 

 幾度となく大剣を受け続けていた槍が弾け飛び、蛟王こうおうの大剣がレインの右腕を断ち切った。 

 

「うあっ……」

 

 レインの口から苦鳴が漏れた。

 

「ふん……俺の剣は、生気を喰らう魔剣だ。ここまで傷を負いながら生きていることを褒めてやろう」

 

「ぐっ……あがっ」

 

 何かを言おうとし、レインが喉元を抑えて吐血した。 

 

「少々もの足らんが……数百年ぶりの余興、楽しませて貰ったぞ」

 

 蛟王こうおうが、項垂うなだれたレインの頭頂から股間まで大剣で叩き斬った。

 骨肉を断ち割る手応えに、蛟王こうおうの口元に笑みが浮かぶ。

 

 圧勝であった。

 

("御寝所"を護らせていた衛士えじを退けた者……どれほどの剛の者かと期待してみれば……)

 

 大剣に血振るいをくれ、蛟王こうおうは床に転がったレインを見た。

 

「この程度の人間に遅れをとるとは……俺の衛士えじ共も、ずいぶんと腑抜ふぬけたものだ」

 

 "衛士えじ"は、み神の瘴気が産み落とす大蛟おおみずちを狩るために、蛟王こうおうの体から生み出された特別な蛇人間シグナイだ。生まれながらにして、並の蛇人間シグナイを遙かに上回る身体能力と、特殊な異能を備えている。 

 

(しかし、"霧"の奴、どこへ行ったのだ?)

 

 数年前に大蛟おおみずちを追って行ったまま"御寝所"に戻っていない。今となっては、唯一生き残った"衛士えじ"となった。

 

(いや……"シャオル"が蘇生器に戻ったのだったな)

 

 "ムル"と"ディカ"は斃された。"衛士えじ"が死ねば、素体主である蛟王こうおうには分かる。  

 "霧"だけは、まだどこかで生きているはずだ。 

 

(だが、この場に駆けつけぬ失敗作……廃棄せねばならん)

 

 "御寝所"に侵入され、蛟王こうおう自らが剣をとらねばならない事態だというのに……。

 

(……さて、腐肉喰いでも喚んで、死骸を片付けさせるか)

 

 蛟王こうおうが、床を汚している死骸へ視線を向けた。

 

「む……?」

 

 蛟王こうおうが動きを止めた。

 

 床に飛び散っていた血痕、流れて拡がった鮮血の溜まりが、死骸となったレインを囲むように円を描いていた。

 

「……何だ? 呪法の陣か? 怨霊とでもなって祟るつもりか? 無駄な足掻きを……」 


 蛟王こうおうが苦笑を漏らす。

 

 この領域は、外界と断絶されている。

 体内に宿している魔力、霊力を使い果たせば、それでしまいだった。天からも地からも与えられることは無い。

 

「ましてや、呪祖など……」

 

 苦笑を浮かべたまま、蛟王こうおうが首を振った。

 その顔貌が淡い光に照らされる。

 

(何だと?)

 

 鮮血で描かれた円形の法陣が、赤黒い光を帯び、薄らと文字のようなものを浮かび上がらせていた。

 

 床に出現した鮮血の呪法陣がかけている。 

 

(呪いの法陣が……にえは何だ? 自らの命をかてにしたのか?)

 

 死をもって呪祖を成す方法は珍しく無い。

 "御寝所"の外から蛟王を呪うことはできない。中で殺されることで呪祖を成そうとしたのだろうか。

 

(だが……命をにえにして呪法を用いても、俺を呪うことはできんぞ? どういうつもりだ?)

 

 蛟王こうおうを呪うためには、蛟王こうおう自身に"えにし"の繋がった呪物が必要となる。 

 ただ戦って死ぬだけでは"えにし"としては弱い。

 

「ちっ……くだらん悪足掻わるあがきを!」

 

 蛟王こうおうは、成りかけの呪法陣めがけて大剣を振り下ろした。

 

「ぐぅっ!?」

 

 大剣が法陣に触れる寸前、凄まじい激痛が蛟王こうおうを襲った。

 思わず、大剣を取り落としそうになり、蛟王こうおうが慌てて呪いの法陣から距離を取る。 

 

(何が起きた!?)

 

 先ほどまでとは打って変わって、蛟王こうおうの顔が緊張で強張り、慎重に大剣を構えている。 

 

(まさか……呪法が成るのか?)

 

 蛟王こうおうの蛇眼が見開かれた。

 呪いの対象となった者は、呪物に干渉することはできない。

 目の前で妖しく光る呪法陣の中で、先ほど斬り殺した少年が呪物に成ろうとしている。 そういう事らしい。

 

(なぜだ!? どうやって、これほどの呪祖を……いったい、何処から?)

 

 狼狽うろたえた蛟王こうおうが周囲を見回した。

 何も無い空間だ。

 広々とした床の上に、ぽつんと玉座が据えられている。それだけの場所だった。 

 外界から遮断された領域には、何者も干渉ができない。

 できるとすれば、内部に入った者だけなのだ。

 

(だが、こいつからは呪祖を感じぬ。この呪祖は……怨念は……我が領域の内から集まってきている? どこだ? どこから……) 

 

 蛟王こうおうは気持ちを落ち着かせながら、ゆっくりと領域の中に視線を巡らせていった。 

 

(……は?)

 

 慎重に周囲を確かめた蛟王こうおうが、ふと自身の異変に気が付いた。

 そして、慄然とした。

 

「ばっ、馬鹿な……」

 

 蛟王こうおうが、思わず声を漏らした。

 分厚い甲冑に護られた背中から、呪法の陣に向かって呪祖が流れ出している。斬り殺した少年を呪物と成すために呪祖を与えていたのは、他ならぬ蛟王こうおう自身だったのだ。 

 

「有り得ぬ!」

 

 怒気を露わに、蛟王こうおうが身を振って背中から噴き出る呪祖めがけて大剣を振った。

 

 しかし、虚しく空をいだだけだ。

 斬れば生者の生気を吸い尽くす大剣だが、死者の怨念を斬る力は備わっていなかった。

 

「お、おのれぇ!」

 

 顔を真っ赤に染め、蛟王こうおうが苛立たしげに大剣を振り回し、魔法の障壁を巡らせて阻害を試みるが、どうにもならない。

 

 そうこうしている間に、赤黒い光を漂わせていた呪法陣が紫紺に色を変えて、上方めがけて円筒の光柱を出現させた。

 

 強い光に、咄嗟に顔を庇って後退った蛟王こうおうだったが、

 

「……なにぃ!?」

 

 紫紺色の呪法陣の中を見て瞠目した。

 

 少年だったはずの死体が、いつの間にか蛇人間シグナイに変じていた。

 

「技師長ではないか!?」

 

 蛟王こうおうが呻いた。

 

(まさか! 幻術……この俺が幻を見せられていた? いつからだ!?)

 

 恐怖に顔を歪めて蛟王こうおうが視線を巡らせた。

 

 

 ……ゴォ……ボォォ……

 

 

 呪法陣の中で、技師長の死体が起き上がり、救いを求めるように蛟王こうおうへ向かって手を伸ばす。

 

「よ、止せっ!」

 

 後退りながら、蛟王こうおうは怒鳴った。

 血走った眼で玉座の位置を確かめると、急いで呪法陣から離れようとする。 

 

 だが……。

 

「……ぐっ!」

 

 体が動かなかった。

 その場に縫い刺しにされたかのように、凄まじい激痛が蛇身を貫き、何も無いはずの床から動けない。

 

「おのれ! どうして、こんな……呪法など使わず、姿を見せろっ! 卑怯者め!」

 

 叫ぶ蛟王こうおうの背後で、"技師長"だったものが黒々とした肉塊に覆われて呪法陣の中で苦鳴をあげ始めた。 

 

「……ぎっ、技師長! 呪いにちるな!」

 

 長年に渡って御寝所を護っていた"技師長"と蛟王こうおうは浅からぬ"えにし"で結ばれている。そして、その"技師長"を斬り殺したのは蛟王こうおうだった。

 ここは、他に誰も居ない空間だ。呪物に呪われる対象は蛟王こうおうしか存在しない。呪祖を他者に擦り付けることができない。

 

「くそっ! なんだ、この呪祖は……どうやって、これほどの量を用意した!」

 

 隔絶されているはずの蛟王こうおうの領域に、どうやって呪祖が入り込んでくるのか。

 膨大な呪祖をかてとして呪法陣が勢いを増し、"技師長"だったものは呪物として生成されてゆく。 

 

(外界へ逃げるか?)

  

 そんな考えが脳裏をよぎるが、

 

(いや……それこそ、あいつの思う壺だ。法陣を敷いて、待ち構えているに違いない)

 

 "御寝所"の中だからこそ、蛟王こうおうの"不滅"は保たれている。余程の力量差があると確信できない限り、領域外へ身をさらすことは危険だった。

 

(だが、そうか……俺は"不滅"なのだ。呪祖など恐れる必要は無いではないか!)

 

 "御寝所"の内に設けられた城とでも言うべき"蛟王こうおうの領域"に居続ける限り、どんなに強い呪祖を浴びようとも滅ぼされることは無い。

 

(む? しかし……)

 

 それでは、永遠の苦しみを味わい続けることにならないか? 受けた呪いから逃れることはできないのでは?

 

 蛟王こうおうの顔貌が不安に曇った。

 

 その時、

 

「……成った」

 

 背後で少年の声が聞こえた。

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