第35話 生け贄の門

 

「これは、ずいぶんと古い文字だ。ナジ王朝の黎明期れいめいきのものだぞ」

 

 【浮動輪ヴィホル】に腰掛けて宙に浮かんだまま、ロンディーヌが呟いた。

 

「転移の石碑ですね」

 

 半狐面ミカゲを顕現させたレインは、目前の石柱の周囲をゆっくりと移動しながら内部に刻まれた魔力のみちを調べていた。

 

 道占いを頼りに、森の中を突っ切り、途中から川に沿ってさかのぼり、草木のまばらな岩山をいくつか越えたところに、翠玉エメラルド色をした美しい山上湖があった。その湖面から、見るからに怪しげな大きな黒い石の柱が突き出ていたのだ。

 

(イリアン神殿……じゃないな)

 

 さすがに石の柱を"神殿"とは言わないだろう。

 何度か角度を変えて道を占ってみたが、どうやらこの湖が目的地らしい。 

 

(神殿は、転移した先にあるということ?)

 

 石柱表面の文字はともかく、内部に描かれた魔力のみちは、ドリュス島にあった魔法陣によく似ていた。ただ、ドリュス島の魔法陣と違って、どこから魔力の供給を受ける仕掛けなのかが分からない。

 

(魔力を注がなくて良いのは助かるけど……どこから魔力を集めているんだろう?)

 

 魔導の仕掛けは、魔力が無いと動かない。ドリュス島の場合は、レインが魔力を注ぎ、仕掛けを起こす必要があった。

 

(う~ん……)

 

 <霊観> で見える範囲には、それらしい魔晶石などは見当たらない。

 

(潜ってあの円い台まで行かないと駄目だったり?)

 

 レインは水面すれすれに降りて、水底を覗き込んだ。

 水が澄んでいて、水中にある石柱の残りの部分と基礎部の円台がよく見える。石柱の台座にも文字が刻まれているようだった。 

 

「詩のようだ。呪文の可能性もあるが……旅立ちの詩のように感じる」

 

 紅瞳に魔力を宿したロンディーヌが、水面ぎりぎりまで降りて水中に眼を凝らした。

 

「読めるんですか?」

 

「いくつか分からない部分がある」

 

 ロンディーヌが軽く頭を振った。

 

「よく、こんな模様みたいなのが読めますね」

 

 レインは、黒い石柱をコツコツと拳で叩いた。

 

 そこへ、

 

『これはまた……ずいぶんと古い転移柱だ』

 

 声と共に、執事服を着た黒猫がやってきた。見ると、どことなく疲労感が漂っている。

 

(トリコ、どこに行ってたの?)

 

 レインは、解読に熱中しているロンディーヌの邪魔にならないよう思念で話しかけた。

 

『施設ごと連れて行かれたんだ。空の上までね』

 

 黒猫トリコが疲れ切った様子で溜息を吐いた。

 

(空の上?)

 

 レインは上空を仰ぎ見た。よく晴れていた雲一つ無い青空だ。

 

『古代人……それも、相当古い種だったね。アイリス様には報告をしておいたけど……この大地に、まだ古代人が眠っているとは思わなかったよ』

 

(あの人達はどうなったの?)

 

『在るべき時間、在るべき場所へ帰った』

 

 黒猫トリコが前足で空を指した。

 

(それが空の上?)

 

『そんなところだ。もう二度と干渉してくることは無い。あれは、あまりにも隔絶した文明だし……遠い昔に、この地を去った者達なのだからね。君達との接触自体、望ましくないことだった』

 

(ふうん……)

 

 よく分からない説明を聞きつつ、レインは目の前にある黒い石柱に意識を戻した。

 

(これで転移したら、どこに飛ばされるの?)

 

『起動させれば判るだろう』

 

(起動する前に知る方法はない?)

 

 レインに問われて、黒猫トリコが首を振った。

 

『それは無理というものだ。幸い、この転移柱は破損していない。転移自体は問題なく行われるだろう』

 

(……ねぇ?)

 

『なんだね?』

 

(僕、道占いでイリアン神殿を占ったんだけど? なんで、転移柱に着いちゃうの?)

 

 占術の使い方を間違っているのだろうか?

 

『その占術はメリアの民に教わったのだろう?』

 

(うん)

 

 メリア海の親切な神官が教えてくれた術だ。

 

『なら、占術そのものは正当なものだね』

 

(でも……いつも、ぼんやりした方向しか教えてくれないんだ)

 

『占いとは、そうしたものだ』

 

 笑ったのか、黒猫トリコが眼を細めている。

 

(……転移した先が、イリアン神殿?)

 

 レインは、黒い石柱に視線を戻した。

 

『そうかもしれないし、まったく違う場所かもしれない』

 

(いい加減だなぁ)

 

『占いとは、そうしたものだね』

 

 水底を覗き込む黒猫トリコに並んで、レインも石柱の基礎部に眼をらした。

 

(この転移柱を動かすための魔力はどこから集めているの?)

 

『ふむ……この湖全体から集める仕組みのようだ。魔力を集めるのではなく、魔力を宿したにえを呑み込む仕掛けだね』

 

 黒猫トリコが言った。

 

(……にえ?)

 

 レインの眉根が寄る。

 

『これが造られた当時では珍しくない仕掛けだ。最近では、ちょっと見なくなったがね』

 

(その辺の魔物を捕まえて湖に投げ込めば良いの?)

 

『まあ、それでも良いのかもしれないが……ちょっと必要な数が多そうだね』

 

 黒猫トリコがデタラメを言っているとは思えない。石柱を動かすためには、生け贄が必要なのだろう。

 

「う~ん……」

 

 レインは唸った。近くには、にえになりそうな動物はほとんど居ない。遠くまで行って集めてくる必要がある。

 それでも足りるかどうか……。

 

「どうした、レイン?」

 

 古い文字を解読していたロンディーヌが、レインの様子に気付いて声を掛ける。

 

「トリコ……妖精と話をしていました」

 

「妖精が居るのか?」

 

 ロンディーヌが視線を左右する。

 

「ここに……」

 

 隣に浮いている黒猫トリコを指差しかけて、レインはふと空を見上げた。

 一瞬、頭上に影が落ちたようだった。

 

「あれは……鳥?」

 

 かるか高空に、大型の鳥の群れが集まっていた。

 

「……人面鳥だな。単体ではさほど脅威ではないそうだが、幻惑の術を使ってきて厄介らしい」

 

 魔法で瞳を強化したロンディーヌが呟いた。 

 "人面鳥"という魔鳥の一種らしい。 

 

「幻惑?」

 

「文献によれば、叫び声で耳を壊されて立っていられなくなるそうだ」

 

「へぇ……?」

 

 "声"で獲物を弱らせる術を使うらしい。

 

「離れた場所から幻惑を仕掛け、まともに動けなくなった相手を集団で襲って食い尽くす……本には、そう書いてあった」 

 

「……ふうん」

 

 見ている間に、上空の人面鳥が数を増やしていた。

 

「今は、幻惑の術を使っていますか? 何も感じないけど……」

 

「どうだろう? もしかすると使っているのかもしれないが……霊魂の階梯かいていが上がった者は、状態異常になりにくいそうだ。私やレインには効果が薄いと思う」

 

 空を見上げながら、ロンディーヌが言った。

 

(ああ……もしかして、あの鳥が"にえ"なの?)

 

 レインは黒猫トリコを見た。

 

『そういうことだね。この転移柱のために発生する魔物なのだろう。召喚されたのか、生成されたのかは不明だがね。あの魔鳥をまとめて"にえ"にするくらいの力がないと、転移の魔導柱を利用できないということだ』

 

 人面鳥の群れは、転移柱を動かすための"にえ"として発生したらしい。

 

「なるほど……」

 

 レインは、人面鳥に目をらした。

 魔法で攻撃をするには距離があり過ぎる。蛇頭の古代人に貰った【圧搾霊筒ランポルト】なら届きそうだが……。 

 

「レイン?」

 

「この転移柱を起動するために、沢山の"にえ"が必要らしいです」

 

「えっ!?」

 

「この湖に、魔力を宿した"にえ"を投げ入れれば……この柱が起動する。そういう仕組みだと……妖精が教えてくれました」

 

にえを要求する魔導装置か。ナジ王朝は、鳥葬ちょうそうが多かったと聞くが……人面鳥を召喚する術陣でもあるのか?」

 

 ロンディーヌが低く唸りながら、上空の人面鳥を見上げた。

 

「魔法、届きますか?」

 

「私には無理だが……レインの【圧搾霊筒ランポルト】なら届くのではないか?」

 

 ロンディーヌがレインを見る。

 

「たぶん、届くと思いますけど……先に、穢魔わいまを試してみようかな」

 

穢魔わいま? どうするのだ?」

 

「調伏した穢魔わいまを霊力で生成して喚び出す術があるんです」

 

「なに!? 穢魔わいまというのは、あれか?」

 

 ロンディーヌが瞠目する。

 

「仔馬を喚んでみましょう。あの時、何をされたのか分からなかったし……仔馬の能力をちゃんと知っておきたいです」

 

 戦いの役に立つようなら【蓄霊筒デンシギ】に入れておけば良い。

 発動寸前の状態で封入しておけば、次からは即座に喚び出すことができるはずだ。

 

「ちょっと詠唱に時間が掛かります。鳥が降りてくるようなら攻撃して下さい」

 

 レインは、周囲を<霊観> で見回し、魔物などが寄ってきていないことを確認した。

 

「分かった」

 

 ロンディーヌが頷いて少し離れる。

 

穢魔わいまノ術……還しの呪……」

 

 "折れた剣"を眼前に立て、レインは呪を唱え始めた。

 穢魔祓わいまばらいの際、魔瘴を顕現させた法具には、調伏した"穢魔わいま"の情報が刻まれている。その情報から"穢魔わいま"を生成するのだ。瘴気から成るか、霊気から成るか。根源となるものは異なっているだけで、能力そのものに大きな差違は無いらしい。 

 

 レインの全身から膨大な霊力が溢れ出して、詠唱に合わせて白い煙のように揺らぎ立つ。

 ぶつぶつと詠唱を続けるレインが忘我の域に入って、ゆらりゆらりと上体を揺らし始めた。 

 その様子を、ロンディーヌがじっと見守っていた。

 

「……行きます」

 

 レインが静かに宣言し"折れた剣"を頭上に突き上げた。

 

「神気招来っ!」

 

 宣言をしたレインの"折れた剣"から眩い白光が噴き上がり、旋回しながら徐々に高度を下げていた人面鳥が慌てて逃げ散った。 

 

「聖檻ノ陣」

 

 レインが"折れた剣"をゆっくりと振り下ろすと、"折れた剣"が指し示した湖面を中心に、六角形の法陣が幾重にも重なって現れ、眩い神光を立ち上らせながら回転し始めた。

 

「魔瘴より成る仮初かりそめの命よ……顕現せよ」

 

 レインの呼びかけに応じ、黄金光に包まれた法陣の中央から、黒々とした瘴気が凝って小さな獣の形に成っていった。

 

「これは……」

 

 ロンディーヌが息を呑む。

 

 回転を続ける法陣の上に出現したのは、古代人の施設で討ち祓った仔馬のような穢魔わいまだった。

 あの時とは違い、真っ白な毛並みをしていて四足の先が黒くなっている。

 

「反呪の理」

 

 レインの声に応じて、白い仔馬が大きな目を見開いた。そのまま、驚いたように周囲を見回している。 

 

「あの人面鳥を退治したい。1匹だけじゃ駄目だ。全部をまとめて退治したい。できるかな?」

 

 レインは、白い仔馬のような穢魔わいまに訊ねた。

 仔馬相手に、人間の言葉が通じるのか不安だったが……。

 

 円らな瞳で、レインを見つめていた仔馬が、

 

 

 ……メェェェェェェェェ

 

 

 山羊のような鳴き声を張り上げた。 

 途端、上空に集まっていた人面鳥が一斉に落下を始めた。動きを止めたまま頭を下にして真っ直ぐに落ちてくる。 

 

「ぅわっ……」

 

 水袋が爆ぜるように、湖面に落ちた人面鳥が砕けて散る。いくら高い所から落下したとはいえ、ちょっと考えられないほどにもろい。

 

「……なるほどな」

 

 ロンディーヌが何かを理解した様子で小さく頷いている。

 

「何が……なるほど?」

 

「これが、その仔馬の攻撃の効果ということだ」

 

「眠らせたんですよね?」

 

 強制的に睡眠状態になったため、人面鳥が落下してきたのだ。

 

「眠っただけではない。おそらく、体の剛性とでも言うのか……肉体の強度? そういうものを根こそぎ奪い去っている」

 

 だから、ここまで脆く損壊している。ロンディーヌはそう考えているようだった。

 

「魔物の肉体を強くしている要素……本来、魔力によって高められている肉体の強度を消し去った……いや、眠らせたということか?」

 

 明らかに、仔馬の異能が何らかの異常を引き起こしている。

 

「へぇ、そんな力が……」

 

 レインは、ふわふわ浮かんでいるヌイグルミのような白い仔馬を見た。

 

「これだけの数の人面鳥に術を掛け、例外なく全てを弱らせる……恐ろしい能力だぞ」

 

 ロンディーヌが低く唸る。

 

「おまえ、思ったより強い穢魔わいまだったのか」

 

 呟いたレインの視線の先を、円らな瞳をした白い仔馬がゆっくりと四肢を動かして、ふわふわと漂っている。 

 

(こんな仔馬でも強いのか……それなら、もっと穢魔わいまを退治して数を増やそうかな)

 

 吸血鬼と仔馬を入れても、まだ【蓄霊筒デンシギ】が余る。

 

(もしかして……穢魔わいまを揃えたら、わざわざ強い人を探さなくても、穢魔祓わいまばらいができるようになるかも?)

 

 ちらと、そんな考えが脳裏をよぎったが、

 

(ああ、でも……んだ穢魔わいまを維持する霊力が足りないなぁ。1匹か……ぎりぎり2匹同時くらいなら維持できるけど……)

 

 穢魔わいまはとにかく大喰らいなのだ。こうして、喚び出しているだけでも、凄まじい勢いで霊力を吸われ続けている。

 

 今のレインには、まだ穢魔わいまを主体にして戦うだけの霊力は無い。

 

(それでも、即座に喚び出せるのは助かる)

 

 霊法陣を主な攻撃の手段として戦うレインにとっては、頼もしい"武器"になる。

 あれこれと使う場面を思い浮かべつつ、レインは湖中に沈んでいく人面鳥の死骸を見回した。

 人面鳥とは言うが、人間というより狒々ヒヒのような顔だった。 

 

(これで足りるかな?)

 

 レインは、黒猫トリコに訊いた。

 

『十分だろう』

 

 黒猫トリコが黒い石柱に近寄って前足で表面を叩いている。

 

「……あっ、動いた」

 

 水底にある石柱の基礎部が青白い輝きを放っていた。

 レインはロンディーヌの手を引いて石柱に体を寄せた。基礎部の輝きが、石柱を染め上げて、黒かった柱が眩い輝きを放ち始める。

 

「これが、ナジの転移門……」

 

 ロンディーヌが呟いた時、石柱を中心に眩い光が拡がって湖面全体を輝かせた。 

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