第36話 怨霊達の願い
人生で何度目の転移体験だろう?
さすがに、もう気絶をすることは無い。転移光に包まれてから、転移後に足裏が床を感じる瞬間まで全てを知覚できている。
(少しカビ臭いけど、毒気は無い)
明かりの無い石造りの狭い部屋の中で、レインは気絶をしたロンディーヌを介抱していた。一見すると出入り口の無い石室のようだが、<霊観> を使用したから、今居る場所が何かの建物の地下室だということは判っている。天井隅に出入り口も発見済みだ。
転移で気を失ったロンディーヌを介抱しつつ、霊力を練り、【
(残りの筒には、"
出現する
【
『ここは、アコ神殿というらしい』
散策に出かけた
「霊に訊いたの?」
『神殿だけあって、記憶のはっきりした霊が多かった』
「……何か食べてきた?」
『お供え物があったからね』
「泥棒したの?」
『食べたのは、お供え物に
「……ふうん」
お供え物があるのなら、近くに人が住んでいることになる。神殿について、話を聞くことができるかもしれない。
レインは、膝を枕に寝息を立てているロンディーヌを見た。
転移直後から立て続けに"黒蛇"を出し、苦しそうに顔を歪めていたが、どうやら鎮まったようだ。表情が安らいでいた。
(ダール君、食べ過ぎて重くなったりしないでよ?)
もちろん、発生した黒蛇は全てダールの食事になった。
『トテモビミデス ゴチソウサマデシタ』
傍に置いた背負い鞄から、機嫌良さげな声が返る。
(あの黒い蛇に味があるの?)
『ニョロニョロ トテモオイシイデス』
(……ふうん)
『この娘さんは、炎精霊の
(炎精霊?)
『かなり昔、炎精霊の末姫が降嫁するために受肉したと聞いたね。詳しい背景は知らないが……相手は、カゼイン帝国を興した男だったはずだ』
(
『人にしては魔力の量が多かったらしく、数多の下位精霊を従えていたそうだ。ふむ……間違いなく、炎精霊の血統だね』
(炎精霊って?)
『炎の精霊さ……この娘さん、魔力を生み出す霊胆が異常に発達している。死んだら魔石を
(それって良いこと?)
『悪いことでは無いね』
(……そっか)
レインは小さく息を吐いた。
『火焔を得意としているのは、炎精霊の霊胆を宿しているからだ。降嫁したのは、下位精霊ではなく、炎蛟の姫君だったと聞いている。国が滅ぼされて、死にしかけていたところを炎蛟が気まぐれで助けたとか……そんな話だったかな?』
腕組みをした
(ふうん……)
『そもそも、この娘さんの魔力量をおかしいとは思わなかったのかね? 詠唱せずに気やすげに魔法を使っていただろう? かなり異常なことなのだがね?』
(……そうなの?)
『やれやれ……まあ、君も異常さでは負けていないからね』
黒猫が溜息を吐く。
(ロンディーヌさんが普通かと思ってた)
『その娘さんが普通だったら、世の魔法使いの大半はただの奇術屋に成り下がる。魔法大学校の講師ですら、よちよち歩きの赤児に過ぎなくなってしまうよ』
(ロンディーヌさんって、そんなに凄い魔法使いなの?)
器用に魔法を使うとは思っていたが……。
『分野によって得手不得手があるから単純に比べられるものではないが、その娘さんと真っ向から魔法の撃ち合いができる者は、この大陸に50人と居ないだろうね』
(50人も居るんだ)
『50人しか居ないんだよ』
(……やっぱり、先祖に精霊がいるから?)
話しながら、レインは"黒蛇"が鎮まったロンディーヌの体に霊法陣を浸透させていた。
霊気が濁らないように、瘴気を
『素質だけじゃない。知識の量が並外れている。ナジ王朝の文字を読み解いていたくらいだ。古代の魔法について、かなり調べていたのだろう。もしかすると、古代の魔法を習得しているかも知れないね』
(古代の魔法?)
『そもそも、先程の転移柱はナジ王朝でも初期に作られたものだ。あの文字は文献にも残っていないと思うが……ふむ? なるほど、そういうことか。この娘さんは、自身の身に起きている異変の解を、ナジの魔導文明に求めたんだね』
(……どういうこと?)
『だとすると、とんだ見当違いだね。黒蛇は
(精霊魔法というのを勉強したら、黒蛇を抑えられるようになる?)
『なるね』
(良かった。起きたら伝えておくよ)
『しかし……君は器用だね。娘さんに防護の霊法を使いながら、霊力を練り続けているのかい?』
(ん? ああ……霊力の練気はずっと続けてる)
ワーグ師匠の言いつけだ。錬気の鍛錬は、微々たるものだが霊力の総量を増やす効果があるし、霊力が回復力する速度を底上げできる。
『ところで、君はナジ王朝を知っているのかね?』
(知らないけど?)
レインは首を振った。
大昔の国どころか、今ある国々の名称すら知らないのだ。
『君も少しは本を読むべきだね』
(……そう言われてもなぁ)
周りに本があるような暮らしをしていない。
『まあ、今は仕方が無い。だが、いずれ落ち着いたら、知識を得ることに貪欲になるべきだね』
(落ち着いたら……か)
『ナジというのは、大昔この辺りを支配していた大国だ。この神殿も、ナジ王朝時代のものだね。残念なことに、神像が壊されているが……』
(誰かが神像を壊したの?)
『ナジの国王が命じたのだ。自らを太陽母神の子……太陽王と称し、自分以外を
(うわぁ……)
レインは顔を
『ナジ王朝に征服されると、まず最初に土着の信仰を禁じられ神像などは全て破壊される。ここの神像は、顔と手が無いだけだからマシな方だね。跡形も無く、粉々に砕かれた神像も少なくない』
(ナジって、蛇頭の古代人じゃないよね?)
『ナジ人は、君と同じような姿をした人間だ』
(そうなんだ)
『ナジ人は、今でも存在しているぞ? 王族だけだが……現存する最古の王家ということで、西のチェリアム王朝が囲っているそうだ。あそこは、古い血を
(じゃあ、太陽王は? まさか、まだ生きてるの?)
『代々太陽王を称する慣わしだ。今は、五歳の子供が太陽王らしい』
(……ふうん)
『ここの神像に話を戻すが……ナジに征服された後も、ここの村は信仰を捨てることができなかった。それに腹を立てた代官が、神官や巫女を捕らえて魔獣の生け
神像を護れなかったことを悔やみ、亡霊としてこの地に留まり続けているそうだ。
(亡霊……)
レインは、ちらと地下室の天井へ眼を向けた。
『ふむ。娘さんが目を覚ましたね』
「……レイン……すまない。また、世話を掛けたようだ」
目を閉じたままロンディーヌが言った。
「転移だから仕方無いです」
レインは、ロンディーヌの背を支えて起き上がらせた。
「
自分に掛けてあったレインの神官衣を軽く
「慣れです」
受け取った神官衣を羽織りながら、レインは果実水の入った水筒を手渡した。
「……ここはどこだろう?」
水筒に口をつけつつ、ロンディーヌが暗闇に目を凝らす。
「アコ神殿の地下……らしいです」
転移後、まだ動いていない。
「アコ? その神殿に、こんな地下室が……ここは、転移場なのだろうか?」
ロンディーヌが、興味深そうに地下室の床に手を触れて顔を近づける。
「ここに転移の仕掛けはなさそうです。上に行きましょう」
レインは、<霊観> で神殿の構造を確認しつつ、天井の一画に視線を凝らした。
四角い出入り口に、上から石板を
(
レインは、半狐面を顕現させると念動を使って、填め込まれた石板を持ち上げた。
石板のさらに上を木板が覆っていたが、構わずに石板ごと持ち上げると、錆びた金具が悲鳴のような音と共に断裂し、重たい音を立てて床に降ってきた。
「開きました。行きましょう」
レインは、ふわりと舞うと開いた隙間を抜けて上へ出た。
「正しい開け方ではないと思うぞ」
苦笑しつつ、ロンディーヌが【
「人が居たようですね」
上も、小部屋になっていた。
粗末な木机を囲んで椅子が三脚、壁際に大きな水瓶が二つ。作り付けの棚に置かれた灯り皿には、獣脂が少し残っていた。
「社務所のような部屋だろうか? 人が使わなくなって、かなり経っているようだ」
ロンディーヌが部屋を見回して言った。
「こっちの部屋は、長い机だけです」
レインは、扉を開けて隣の部屋を覗いた。
「集会場のようだな」
「……神像があります」
奥の扉を開けると、大きな石像が見えた。レインが開けた扉は、真横から石像を見る位置にあり、石像を挟んで対面側の壁にも同じような扉があった。
「なんというか……急に、こう……ぞわぞわするな」
ロンディーヌが神殿がある広間を見回しつつ自分の二の腕を
「悪霊がいっぱいですから」
レインは笑った。レインの目には、
「悪霊? それは……大丈夫なのか?」
「大丈夫です。退魔の護法を掛けておきましたし……」
レインは、隣に浮いている
(この人達が、神官や巫女?)
『そうだね。この地で命を奪われた人々だ。話をつけておいたから、襲っては来ないだろう』
(
すでに、霊法陣を敷設済みだ。いつでも、浄滅することができる。
『いや……それでは怨霊として
(原因?)
『神像だ。失われた顔と手を修復して欲しい……それを期待しているのだ』
(神像の……)
レインは、目の前にある大きな石像を見上げた。
顔と手が失われている。どうやったのか、どちらも断面がきれいで、削ったというより切断されたようだった。
『ナジ兵に切り取られた物を、巫女の一人が取り返して隠したそうだ』
(どこに?)
『この近くにある墓所らしい』
(墓所?)
『神像の面を取り戻してあげてはどうかね?』
(……う~ん)
レインは、大きな石像を見上げた。
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