第25話 旅立ち

 

 つい先日まで荒廃したはずの丘陵地が、瑞々みずみずしい若草に覆われて命を芽吹いていた。

 丘の上を穏やかに風が吹き抜ける中、きらびやかな礼服に身を包んだ古老達、若木の枝葉を束ねて担いだ幼子達が列を成して歩いている。後列には、ゼール、ナーガ両家に仕えている者達が並び、さらに領都や村落から駆けつけた者達が延々と続く。

 

 目指す先は、地下に埋没したエイゼン寺院の跡地だ。

 崩落した壁石が転がる広場に、真新しい柱を打って白絹の垂れ幕で囲っただけの簡素な祭祀場で、"裁神の司奉"レインの送別の儀が行われている最中だった。

 

 婚儀の祝宴が終わって少し落ち着いた頃を見計らって、レインはクラウスとルナにシレイン島を出て旅をすることを伝えた。

 ルナ達も覚悟をしていたらしく、無理に引き留めようとせず、準備していた多額の謝礼金を渡してくれた。ついでに、いつぞやのハグアンの討伐報酬や衣服の替え、地図なども……。 

 

 すでに、レインは旅支度を終えて、ドリュス島の神官服を着て、背負い鞄を担いで立っている。

 自分を見送りたいと詰めかける島民達一人一人と丁寧に言葉を交わしつつ、転移の法陣の出現を待っていた。

 

(本当に、ここで良いんだよな?)

 

 レインは、黒猫トリコに指定された場所で早朝から待っているのだ。

 黒猫トリコは、すぐに精霊紋による転移場が設けられる……そう言っていたのだが、すでに太陽が天頂を越えて傾き始めていた。

 未だに、転移紋らしいものは現れない。

 その予兆すら無い。

 

(このまま、何も起こらなかったら……どうしよう?)

 

 大勢の人に感謝の言葉を掛けられ、涙ぐんだ人々に拝まれ、幼子達に別れを惜しまれ……かなり、居心地が悪くなってきたところだ。

 

 当然、容態が上向いているクラウス・ゼールも参列している。ルナの他にも、イセリナや騎士達、長老達も並んで見守っている。

 クラウス達には、精霊紋によって行き来できること、すぐに戻ってくるかもしれないことなど伝えてあるのだが……。

 

「みこ様、ありがとう!」

 

 小さな女の子が、どこかでんできた花をはにかみながら差し出した。

 

(みこ? みこって……巫女? 僕、男だけど?)

 

 内心で首を傾げつつ、レインは笑顔で花を受け取った。

 その時だった。

 

「あ……」

 

 レインは慌てて空を振り仰いだ。

 

「わぁ……」

 

 そこかしこで歓声が上がった。

 花を渡してくれた女の子も空を見上げて瞳を輝かせた。

 澄み渡った青空から、白銀のきらめきが雪のように降ってきた。

 

(これ、神気だ……すごく綺麗な……)

 

 レインは、手をひさしに眩い陽光を見上げた。

 

「ぅ……えっ!?」

 

 レインは小さく声を漏らした。

 何かが体に入り込んでくる。そんな感じがした。

 

(……神様……)

 

 半ば呆然となる。

 直後、レインの体が白銀の輝きを放ち始めた。

 

「……レイン様!?」

 

 異変に気が付いたクラウスが声を掛ける。その腕をルナが掴んで軽く引いた。

 

「ルナ?」

 

「貴き御方が……顕現なさいました」

 

 ルナが震える声で囁いた。

 

「……まさか!?」

 

 クラウスが瞠目しながら、ルナに引き倒されるようにして地面に跪いた。

 本来、主人の前に出て護るべき騎士やイセリナ達も、一斉に膝をついて頭を垂れた。それに気が付いた語り部や島民達が、大急ぎでクラウス達を真似て地面に平伏する。

 

『クラウス・ゼール……ルナ・ナーガ?』

 

 呼び掛けるレインから表情が失せていた。

 

「これに!」

 

「はい」

 

 クラウスとルナが低頭したまま返事をした。

 光に包まれたレインが、ゆっくりと顔を向けて2人の前へと歩み寄る。

 

『司奉の願いにより、2人に祝福を与えます。心身から病を遠ざけましょう』

 

 忘我の表情をしたレインが左手を伸ばして、クラウスとルナの頭に触れると、銀光が飛沫のように散って2人の体に降り注いだ。

 

『司奉は、この地を気に入ったようです』

 

 レインが軽く手招くと、どこからともなく白乳色の石塊が出現した。

 

『精霊石です。帰還の目印となります。雨濡れぬ場所に置きなさい』

 

「……ははっ!」

 

「承知致しました」

 

 クラウスとルナが身を縮めるようにして低頭した。

 

『では……司奉を送り届けます』

 

 静かな声が告げると、レインが力なく崩れ落ちた。素早く駆け寄ったイセリナが抱き留めようとする。

 

 しかし……、

 

「あっ!」

 

 珍しく、イセリナが声を上げた。

 抱き留めたはずのレインの体が、幻のようにイセリナの腕をすり抜けて消えていったのだ。

 直後、地面に黄金色の法陣が浮かび上がり眩い光が明滅した。

 一瞬の後、地面の法陣は消えていた。

 

「レイン様……良い旅を」

 

 何が起きたのかを理解し、イセリナが呟いた。

 

「何もかも……本当に感謝致します」

 

 ルナが深々と頭を垂れた。

 

「バン老……エイゼン寺院の建立こんりゅうを急がねばならん!」

 

 クラウス・ゼールが、座り込んでいる老人に声を掛けた。

 

「お任せ下され!」

 

 腰を抜かして尻餅をついたまま、老人が破顔する。

 

「元より、あの方は旅立つおつもりだった。突然過ぎる別れだったが……これも、貴き御方の導きなのだろう」

 

「レイン様は、ここを気に入って下さったそうです。いつか、戻っていらっしゃいます」

 

 ルナが嬉しそうにクラウスを見る。

 

「そうだな。有り難いことに……また、お会いできる」

 

 クラウスが白乳色の石塊を見た。

 大人が抱え上げられるほどの大きさの石だった。

 

「このシレイン島であれば、何不自由なく暮らして頂けるのだが……」

 

「旅先でお困りにならないよう、出入りの商人に話を通しておきましょうか?」

 

 ルナが、クラウスに声を掛ける。

 

「そうだな。あれほどの御方だ。どこにいらっしゃっても見つけることはできるだろう。影者をお付けすると嫌がられるだろうが、煩くならぬ程度に……しかし、危急の際には連絡がつくようにしておきたい」

 

 平穏とは真逆の生き方をしている。否が応でも目立つだろう。世の権力者達が放っておくはずがない。

 

「あの方でしたら、正直にこちらが意図するところをお伝えしておけば大丈夫でしょう」

 

「……しかし、つくづく……望外の幸運だった。未だに、こうして生あることが信じられないよ」

 

 クラウス・ゼールが小さく息を吐いた。

 

「馬車を用意させましょう」

 

 ルナがクラウスを支えようと身を寄せた。

 その視線が、鋭い光を帯びて、垂れ幕の裏へ注がれた。

 

「……ラデンの犬が、商人や漁師から船の徴発を行っております」

 

 白布の幕の裏から女の声が告げた。

 

「本隊は、いつだ?」

 

 クラウスが訊ねた。ラデン皇国と戦争になることは分かりきっている。仕掛けてこなくても、こちらから攻める腹づもりだった。

 

「二月後かと」

 

 女が淀みなく答えた。

 

「バン老、どうだ?」

 

「よい見立てですな」

 

 老人が微笑を浮かべて頷いた。

 

「騎士団長?」

 

 クラウスの視線が、少し離れて立っている初老の騎士に向けられた。

 

「今は、海が荒れる時期です。あちらも旗艦は魔導船でしょうが……他は帆掛け船です」

 

「分が悪いと分かっていて、海峡を挟んでの海戦を挑んでくるか?」

 

 一度、ラデンの海軍を討ち破っている。

 

「私であれば、おとりの船団を仕立てて海戦を挑み、別働隊でシレイン島へ上陸を試みます。向こうは数が多いのですから、多少遠回りをしてでも別働隊を仕立てて、陸戦に活路を見い出すでしょう」

 

「あるいは、小舟を散らせての浸透戦か。常道だが……この時期の潮流は中々難しいぞ?」

 

 クラウスが首を傾げる。

 これから一ヶ月もしない内に、シレイン島近海では激流が渦巻き、小型船など一呑みにする波が立つようになる。

 

「ラデン皇家が秘匿している転移の秘石で、軍兵を転移させてくる可能性があります。瘴気が消え去り魔物が減ったため、ラデンの弱兵であっても島内を自由に行き来することができるようになりました。あちらの将は、数の有利を押しつけるやり方が有効だと……そう考えるでしょうな」

 

 初老の騎士が言った。

 

「ふふ……」

 

「ルナ?」

 

「戦略も戦術も、あなたにお任せします」

 

 ルナが垂れ幕の裏で指示を待っている女へ視線を向けた。

 

「ナーガの母殿に伝言を。敵は、大がかりな転移術による島内侵入を企てる可能性があります。発見次第、私の指示を待たずに殲滅しなさい」

 

「畏まりました」

 

 返事と共に、垂れ幕の向こうから気配が消えた。

 

「やれやれ、いつもなら正面からぶつからぬために知恵を巡らせるところだが……相手は、もうナーガ衆ではないのだったな」

 

 クラウスが苦笑を漏らす。

 

「ラデン側の沿海州では、ここには鬼が住んでいると信じられているそうです」

 

 ルナがクラウスに肩を貸しながら馬車へと向かう。

 

「鬼……か」

 

 クラウスが、ルナ付きの侍女頭を振り返った。

 

「つまらぬいくさに、神子みこ様を巻き込まずに済んだのは僥倖ぎょうこうでしたな」

 

 老人が駆け寄った幼子から杖を受け取り、語り部達を集めて指示を出し始める。

 島をあげての祝事が、戦準備へと早変わりした。

 

「ナーガ衆に背を護って頂けるとは心強い限りです」

 

 老騎士がイセリナに一礼をして、待機している騎士達の方へと立ち去る。

 

「カダの残党を狩るついでに、皇城に立ち寄って首を落として参りましょうか?」

 

 イセリナがルナを見る。

 

「なりません」

 

 前を向いたまま、ルナが首を振った。

 

「カダの呪い屋につけ込まれたのは、俺の甘い対応が招いた失態だ。今回は、俺自身が赴いて皇都にくさびを入れる。ルナには、寡兵でシレインを護ってもらうことになるだろう。構わぬか?」

 

「申し上げましたよ? 戦略も戦術も、あなたに任せると」

 

 クラウスの問いに、ルナが微笑を返した。

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