第24話 旅支度


『まあ、つたないながらも良くやったね』

 

 執事服を着た黒猫トリコが言った。

 

「あんなので良かったの?」

 

 寝台に寝転がったまま、レインはぼんやりと天井を見上げていた。

 先日行った婚姻の儀のことである。

 あれから三夜が過ぎたが、未だに祝宴が続いていた。

 

『十分さ』

 

 言いながら、黒猫トリコがレインの左手の平を前脚で叩く。

 

「ん? なに?」

 

『アイリス様からのお土産だ。精霊紋を、エイゼン寺院に繋いでおいたよ』

 

「……え?」

 

 レインは慌てて起き上がった。

 

『エイゼン寺院に刻まれたアイリス様の御印と、君の精霊紋を繋げたのさ。これで、君はエイゼン寺院に転移をして戻ることができる』

 

「えっ? 転移って……この精霊紋で?」

 

『君自身の術ではないよ? アイリス様の管理している寺院の間を行き来するだけの術だ。まあ、相応の霊力を消耗するし、転移の術ほど自由は利かないがね』

 

 アイリスが刻んだ転移の紋を利用できるようになったらしい。

 

「それでも……」

 

 シレイン島で何かあればすぐに戻ることができる。

 

「あっ……でも、アイリスさんの管理している寺院が無いと駄目なのか」

 

 行った先に、アイリスに縁のある寺院などが無ければ使えない術ということだ。

 

『その理解で合っているね。しかし、戻る手段が何も無いよりは良いだろう?』

 

 黒猫トリコが前脚でズレた銀縁眼鏡の位置を直した。

 

「そういう寺院って、どうやって探せば良いの?」

 

『寺院でも神殿でも祠でも……裁神様の像があれば祈ってみれば良い。像の大小、新旧はあまり関係ないから、見た目で判断しない方が良いね』

 

「祈るだけで良いの?」

 

『そうだね』

 

「分かった」

 

 とにかく神像を見かけたら祈れば良い。そういうことらしい。

 多少不自由でも、この島に戻る手段があるというだけで少し気持ちが軽くなる。


 レインは、立ち上がって窓辺へ行った。

 まだ、城館のそこかしこで祝いの歌や笑い声、咽び泣く声などが聞こえている。城館だけではない。ゼール領都、ナーガの領都も婚礼を祝ってお祭り状態になっていた。

 つい先ほどまで、レインもゼールとナーガ両家の重鎮、長老達に囲まれて宴に参加していた。

 やっと解放されて居室で寝転がったところに、トリコがやって来たのだ。

 

『君が島を出て旅をすることには賛成だ』

 

 黒猫トリコが宙を歩いて窓辺にやって来た。

 

「……そう?」

 

『君の知識は、かなりかたよっているからね。人の世を知るには、島から出ないといけないね』

 

「えっ? かたよってる?」

 

『そうさ。君が……というよりも、君の体験……君を取り巻く環境がかなり特殊だったからね』

 

 執事服姿の黒猫トリコが窓を背に、窓枠に腰を下ろしてレインを見上げた。

 

「……トリコ?」

 

『君の知り合いには、人間が少ないだろう? どうやって、人間の常識……当たり前ってやつを知るつもりなんだい? ああ……シレイン島の人間を基準にして物事を考えたら駄目だからね? この島に居ると、人の世の常識というやつは学べないよ?』

 

「どうして?」

 

 レインは首を傾げた。

 

『一騎当千って言葉を知っているかい?』

 

「えっと……強い人ってこと?」

 

『馬鹿みたいに強い人ってことさ』

 

 黒猫トリコが窓を振り返った。

 

「それって……ここの人達?」

 

『そうだね。島外の人間を基準にすると、シレイン島の人間は文字通り一騎当千だね』

 

「……やっぱり、強いんだ。なんか……そうかなって思ってた」

 

 レインも薄々気が付いていた。

 シレイン島へ来るまでに見かけた衛士や他国の騎士と比べると、ここの騎士も侍女も桁違いの強者揃いだった。

 

『君の穢魔わいまノ術を万全の状態で使うためには、安心できる協力者が必要だろう?』

 

 黒猫トリコが首を傾げるようにしてレインを見つめる。

 

「うん」

 

『島の外では、その優秀な協力者を見つけることが難しくなるから気をつけないといけないね』

 

「あぁ……そっか。そうかも」

 

 確かに、シレイン島の人達ほどの信頼できる猛者を見つけるのは難しい気がする。少なくとも、ゼール伯爵の時ほど簡単には集められないだろう。

 

「ねぇ、トリコ」

 

『なんだね?』 

 

「司奉って何なの?」

 

『ふむ……まあ、あまり知られていないかな』

 

「何ができるのかは何となく分かったけど……」

 

 "裁神に誓文を届ける"その資格を得た。それは体感したから理解できる。

 ただ、他に使命のようなものがあるのではないだろうか?

 

『大雑把なくくりで言えば……神々から与えられる加護の一種だね』

 

 黒猫トリコが窓の外へ目を向けた。

 酔っ払って羽目を外した男達が、両肩に女を担いで徒競走らしきことを始めていた。

 

「神様の加護?」

 

『アイリス様が、そう仰っただろう?』

 

「そうだっけ?」

 

『司奉は、裁神……天秤の女神様から授けられる加護だ。とても希少な加護だね』

 

「へぇ……?」

 

『昔は、大きな神殿なら一人くらい居たんだが……近頃は見かけなくなったね』

 

「そうなんだ?」

 

『ふむ。そうなると……周りが君を放っておかないか。宗教の組織からの勧誘があるだろうね』

 

「げぇ……面倒臭そう」

 

『まあ、加護だけじゃない。その歳で、シレイン島の戦士達と同等以上に戦うことができて、何とかという呪術師集団を蹴散らして、不治の病をあっさりはらって……権力者が放っておくわけがないね』

 

「……そういえば」

 

『なんだね?』

 

「人を捜す魔法ってあるの?」

 

『ふむ?』

 

「僕がムーナン? あの港町に着いた時、ルナさんともう一人別の貴族の使者がやってきたんだ。着いてすぐの事だったから、待ち伏せされてたのかと思ったくらい」

 

『ルナ・ナーガは精霊のお告げだね。アイリス様が海嘯かいしょうの精霊に伝えていたんだろう』

 

「うん、そんなことを言ってた」

 

『別の貴族というのは……』

 

「アイリスさんが雷を落とした……決闘した相手側の」

 

『ああ、僕はその現場を見ていないんだ。でも、そうだね。その相手側は、"精霊のお告げ"ではないね』

 

「じゃあ、なんなの?」

 

『ふむ……何らかの方法で、君を特定して追跡していたか……君の因縁を辿って居所を占ったか。しかし……』

 

 黒猫トリコが腕組みをして首を傾げた。

 

「加護を貰う前だし……まだ、クラウスさんの呪いを祓う前だったよ? あの時はまだ、あっちの……カダとかいう呪術師の集まりには恨まれていないはずだけど?」

 

『そうだね。そうなると、それ以前に生じた君の因縁か』

 

「サドゥーラと関係ある?」

 

『無いね。あの不死者に仲間はいなかった。死んだ人間しか信じないからね』

 

「じゃあ、ドリュス島の前……」

 

 レインは、ちらと自分の右腕を見た。

 

『呪魂かい? それを生み出した凶皇は超越者だ。それこそ、人の世に関わりを持つわけがないね』

 

「……なら、プーラン?」

 

『極めて弱いが……まあ、それらしい因縁だね』

 

「港で決闘をしたのは……モゼリヌ王国の貴族じゃなかったと思うけど?」

 

『婚姻等で血縁関係があったり、何かの利害関係にあったり……国は違っても、貴族間では交流があるものだ。どこで、どう繋がっているのかは分からない』

 

「……ふうん」 

 

 レインは、星空に目を向けた。

 

『なに、生きていれば何かしら恨まれることもうとまれることもある。逆に、慕われたり敬われることもあるものだ』

 

「その因縁で、僕を捜すことができるの?」

 

『加護持ちが居るのかもしれないね』

 

「人を捜す加護?」

 

『占いという形で、精霊神の声を聞く加護ならあるね』

 

「精霊……アイリスさんが教えたってこと?」

 

『アイリス様の他にも、精霊神は存在するんだよ』

 

「そうなんだ?」

 

『他に考えられるのは、魔導具かな』

 

「魔導具?」

 

『大昔、魔導の技術がとても発達していた頃には、神々の加護に匹敵するような効果を生み出す魔導具があったそうだ。ナーガ家、ゼール家が所有している魔導船がそれだね』

 

「人を捜すための魔導具もあった?」

 

『あったかもしれない』

 

「そっか……そういう道具もあるんだ」

 

『なに、その貴族だけじゃない。すぐに、他の王族、貴族から追い回されるようになるさ。カダ寺院の連中も追ってくるだろう』

 

「……やめてよ」

 

『上手く立ち回れば、お金に困ることはないね。もちろん、お金だけじゃない。周りの誰もが、レイン様、レイン様ともてはやして、美しい女達が笑顔でかしずいてくれるだろう。まあ、裏では小馬鹿にしてわらっているだろうがね』

 

「……トリコって、ひねくれてるよね?」

 

『世を知らない雛鳥が生意気を言うもんじゃない。僕は、至極真っ当な妖精だよ』

 

「そうかなぁ?」

 

 レインが呟いた時、外で一際大きな歓声が上がった。

 見ると、甲冑姿の大柄な男達が8人ほど地面に転がっている。すぐ近くに、木の棒を手にしたイセリナが立っていた。

 

「追いかけられるのは面倒だけど……ここは嫌いじゃないよ」

 

『なら、えにしを大切にすると良い』

 

「……うん、そうする」

 

 小さく頷いて、レインは窓辺を離れた。壁際に置かれた衣装箪笥へ向かうと、大きな扉を引き開けた。中には、ドリュス島の神官服が吊るしてあり、その下には革製の背負い鞄と"折れた剣"が置いてある。

 

『少し古くさい意匠の服だね』

 

 後ろをついてきた黒猫トリコが言った。

 

「そう? 僕は気にならないけど?」

 

『おまけに、あちこち傷んでいる』

 

「うん……でも、メリア海の人が直してくれたんだ」

 

『ふむ。メリアの……それで、その鞄なのか』

 

 執事服の黒猫トリコが納得した様子で頷いた。

 

「鞄がどうしたの?」

 

 レインは、置いてあった背負い鞄を抱え上げた。中には、ドリュス島で作った毒消しや乾燥させた携帯食や水筒など、わずかな物が入っているだけだ。

 

『その様子では、鞄の使い方が分かっていないね?』

 

「えっ?」

 

『……やれやれ』

 

 黒猫トリコが額を前脚で押さえて溜息を吐いた。

 

「この鞄、何かあるの?」

 

 レインは背負い鞄を見た。

 メリア海を訪れた旅人の鞄をして作ったと、女神官が言っていた。

 

『生きた人間がメリア海を訪れる。それだけでも、途方もないことなんだがね』

 

 黒猫トリコがゆっくりと頭を左右に振る。

 

「鞄に……何か仕掛けがあるの?」

 

 レインは、背負い鞄の中を覗き見た。

 呪符用の紙の束、乾燥させた薬の材料を入れた袋、毒消しを詰めた巾着、携帯食を詰めた籠、お金が入った革袋……。

 

(別に何もないけどな?)

 

 レインは黒猫トリコの顔を見た。

 

『その旅人が持っていたのは、魔法鞄だね』

 

「魔法……鞄?」

 

『特殊な魔法を掛けてある鞄さ。この屋敷くらいの物を小さな鞄に収納できたりする。旅人には便利な鞄だね』

 

「そんなものがあるの!?」

 

『さっき言っただろう? 太古の魔導師達が生み出した道具の一つだよ。今の魔導師はどうなんだろう? どこかで技術が継承されているのか……あまり見かけない気がするね』

 

 黒猫トリコが首を傾げた。

 

「じゃあ、この鞄にも沢山物が入る?」

 

 レインは勢い込んで訊ねた。

 

『それは魔法鞄とは違うね』

 

 黒猫トリコが首を振る。

 

「……そうなの?」

 

『でも、それっぽく使えるように工夫してあるね』

 

「えっ?」

 

『内張は、呑竜の胃袋か。精霊紋を持つ君じゃないと危なくて触れないな』

 

「……え?」

 

『うっかり手を入れると、喰われてなくなるよ?』

 

「……なにそれ?」

 

『面白い仕掛けだ。メリアの住人もやるもんだね』

 

「なにが?」

 

『これは、君専用の鞄として作られたんだね。君の精霊紋を開閉の鍵にしたのか。ふむ……』

 

 小さく頷きながら、黒猫トリコが背負い鞄の周りを歩きながら観察している。

 

「どうなってるの? 教えてよ」

 

『擬似的に呑竜を創り出したのか? それにしては、容量が小さいね。入っても、この部屋くらいか……重量軽減が弱いから、あまり詰め込むと重くて運べなくなるね』

 

 ぶつぶつと呟きながら、黒猫トリコが前脚を伸ばして背負い鞄の表革に触れる。

 

『外側は火蜥蜴の皮かな? 留め具は黄銅に似せているけど神銀製だろう』

 

 黒猫トリコがレインを見た。

 

「なに?」

 

『君は、ずいぶんと気に入られたらしいね』

 

「……誰に?」

 

『メリア海の神官さ』

 

「そうなの?」

 

『それにしても、これはデキが良い鞄だ。自我ある静物というやつだね。名は……ダールか。泥土の王の名を付けるとは洒落ている』

 

 黒猫トリコが感心したように言って、背負い鞄を前脚で叩く。

 

「でも、この鞄……そんなに入らないよ?」

 

 "折れた剣"ですら完全には入らないから、鞄の外に吊るすようにしていた。

 

『鞄だと思うから入らないんだ。そう……何でも呑み込む生き物だと考えると良い』

 

「呑み込む? 生き物?」

 

『目の前にあるのは、鞄の形をした生き物で、上蓋うわぶたを開けると口がある……そう想像してみると良いね』

 

「……ふたを開けると口が……?」

 

 宝箱の魔物のようなものだろうか?

 レインは、黒猫トリコうながされるまま、背負い鞄の上蓋うわぶたの留め具を外した。

 

(ぇ……わっ!?)

 

 いきなり、背負い鞄の口が視界いっぱいに拡がり、周囲が暗闇に包まれた。

 

 …… <霊観>

 

 霊法を使用して周囲を確認して、"折れた剣"を握って構える。

 

『慌てることはない。君は、鞄が創り出した倉庫の中に居るだけだ』

 

「……ここ、鞄の中なの?」

 

 <霊観> では見通すことができなかった。

 

『胃袋の中だろうね』

 

「胃袋!?」


 レインの頬が引きる。

 

『僕は入れないし、中を見ることもできないが……どんな感じなのかね?』

 

「暗くて何にも見えない。霊観でも……ぼんやりとして境界も分からないよ」

 

『ふむ……契印が未完了ということだ。なら、契印をすれば良い』

 

 何も見えない闇の中に、黒猫トリコの声が響いた。

 

「どうやるの?」

 

『君の精霊紋に霊力を込めて、言うことを聞けと命じると良い』

 

「……それだけ?」

 

『さっさと終わらせないと、そいつに喰われると思うが大丈夫かね?』

 

「えっ……」

 

 レインは慌てて左手の精霊紋を浮かび上がらせると霊力を注いだ。

 

「ええと……」

 

『名前は、ダールだね』

 

「ダール! 僕の言うことを聞いて!」

 

 レインは、全身から霊力を迸らせながら周囲の闇に向かって怒鳴った。

 途端、

 

『ハイ ダールデス』

 

 幼い感じのする少年の声が応えた。

 

「……え?」

 

『ワタシハ ダールデス』

 

「あ……ああ、うん……僕は、レインだ」

 

『ボクハレインダ?』

 

「私は レインです」

 

『ハイ アナタハ レインデス』

 

「ダール、僕を……レインを外に出してくれ」

 

『ハイ ゲェシマス』

 

「……げぇ?」

 

 聞き返した瞬間、周囲から闇が消え去り、レインは板床の上に投げ出された。

 

『ふむ。契印は成功か。生還できたようだね』

 

 執事服を着た黒猫トリコが、レインの顔を覗き込んだ。

 

「……ダール?」

 

 レインは、床に置かれた背負い鞄を見た。

 

『ハイ ダールデス』

 

「君に入っていた荷物は? 水筒とか、薬とか……お金も入ってたんだけど?」 

 

『オイシカッタデス』

 

「……なんだって?」

 

 レインは、"折れた剣"を握ると、霊力を注いで振りかぶった。

 

『ジョウダンデス』

 

「ダール?」

 

『ゲェシマス』

 

 背負い鞄の声と共に、レインの目の前に、呪符の束や薬の包み、携行食、水筒や金袋などがバラバラと排出された。

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