第23話 縁結び

 

 

・"裁神の司奉しほう"が島を訪れた。

 

 

・シレイン島に精霊神 <黄金> が顕現した。

 

 

・精霊神 <黄金> から精霊紋を授かる者が現れた。

 

 

・シレイン島に土精霊の祝福が戻った。

 

 

・ゼール伯爵の呪いが祓われた。

 

 

 これらの出来事を、黒猫の姿をした精霊の使いが現れてシレイン島内にある寺院に伝えた。

 

 当然、シレイン島に大騒動が巻き起こった。

 慶事を確認するための使者が島内を行き来し、前後して到着したゼール家からの報せに狂喜し、島内土豪の長や寺院の僧、語り部達が馬車を連ね、船を走らせてゼール領に押し寄せた。


(いつまで続くんだろう?)

 

 レインは、ぼんやりと前を向いて座っていた。

 

 どこかの偉い僧侶だという老人が長々と何かを言ったかと思うと、別の老人が出てきて何かを言い、そして、また別の老人が出てきて何かを言っていた。

 その後ろでは、ゼール家とナーガ家の錚々そうそうたる顔ぶれが正装で平伏し続けている。

 

(お尻が痛い……座っているのも辛くなってきた)

 

 一人、レインだけが、急ごしらえの壇上に置かれた椅子に座っている。

 どこの誰だか知らない老人達、平伏して動かないゼール家とナーガ家の人々を、ぽつんと座って所在なげに眺めている構図だった。

 最前列では、病み上がりのクラウス・ゼール、婚約者であるルナが並んで平伏し続けている。

 場所は、呪物を浄滅させたエイゼン寺院、ぶよぶよの呪物を神光で消し去った空き地だった。

 

(うぅ……お腹空いた。ここでパンを食べたら怒られるかなぁ?)

 

 椅子の後ろに置いてある背負い鞄に、水と携行食が入っている。ちょっと手を伸ばせば届くのだが……。

 

(ぁ……終わった?)

 

 長大な巻物を読み上げていた老人が女の人に助けられながら、ゆっくりと歩いてゼール家の面々の横へ行って平伏した。

 先ほどから、語り部と呼ばれる老人達が、大昔にあった精霊とのえにしについて記したものを読み上げている。

 

(……あぁ)

 

 今度は、ナーガ家の端の辺りで平伏していた別の老人が幼い少年の手を借りながら立ち上がり、ゆっくりとした足取りでレインの正面まで歩いてきた。その後ろから、2人の大柄な男達が大きな本を抱えてついてくる。

 

(まさか……あれを全部読むの?)

 

 とんでもなく大きくて分厚い本だった。

 レインの顔が露骨に曇った。

 幸い、全員がレインを直視しないように俯いているから、レインの表情に気が付いた者はいない。

 

 男達が人の背丈ほどもある本を拡げて支え持ち、中央に立った老人が文字を指でなぞるようにしながら、ゆっくりと読み上げ始めた。

 

(はぁ……)

 

 レインは、胸中で盛大に溜息を吐いた。

 

『暇そうだね?』

 

 不意に声が聞こえて、レインは慌てて背後を振り返った。

 そこに、黒い猫が浮かんでいた。

 執事服の上着を着て、銀縁の片眼鏡を鼻の上に載せた黒毛の猫が、腕組みをしてレインを見上げている。

 

(トリコ!?)

 

 声を上げそうになりながら、レインは正面で朗読をしている老人を振り返った。

 

『精霊紋が無いと、僕の姿は見えないよ』

 

 執事服の黒猫が空中を歩いて、レインの正面に回り込む。

 

(どうしたの? またアイリスさんから手紙?)

 

『君が暇そうだったからね。ちょっと遊びに来たのさ』

 

(暇っていうか……逃げ出したい)

 

『それは駄目だろう? みんな君をたたえ……あがめているんだよ? どんなに退屈でも、気持ちをきちんと受け止めるべきだろう。君の態度は感心しないね』

 

 執事服の黒猫がじっとレインを見つめる。

 

(そうだけど……でも……)

 

 レインは、正論を言われて唇を尖らせた。

 

『君も大変だろうが、集まっている人達も大変さ。椅子に座っている君が文句を言うべきではないね』

 

 黒猫が軽く鼻を鳴らした。

 

(うぅ……)

 

 軽く俯いたレインの顔を黒猫が覗き込む。

 

『こんなこと、面倒だから一度しか言わないよ? レイン、確かに君は素晴らしいことをした。伯爵の病を祓ったことはもちろんだけど……魔瘴気に侵食されて滅びかけていたシレイン島の霊脈を蘇らせたことは素晴らしいことだ。大袈裟ではなく、シレイン島の命を救ったと言って良いからね……誇ってしかるべき偉大な功績だ。だから、この辺りの精霊はみんな君のことを祝福してくれるし、この島の人なら誰だって君のことを敬ってくれるだろうさ。君が無礼なことをしても、どんな無茶な要求をしても許してくれると思う。今はね?』

 

 執事服の黒猫が平伏している人々を前脚で指し示した。

 

『だからといって、この人達を軽んじて、君が何をやっても良いというわけではないんだ。素晴らしい功績をあげたから……"司奉の位"を授けられたから、何をやっても良いのかい? 霊核が上がった今の君なら、ここに集まった人達の思念を多少なりとも感じ取れるだろう? どこまでも深い感謝の念……精霊神と交信できる君への畏敬の念……畏怖の念……どれも真摯しんしで純粋なものばかりだ。違うかい?』

 

(……そのとおりです)

 

『対して、それを受ける君の方はどうだい? きちんと真剣に向き合っていたと言えるかい? 僕には、そうは見えなかったがね? 確かに、今の君は人並み外れた能力をはぐくんでいる。魔物と戦う能力においては、とても優秀だ。でも、だから何だって言うんだい? 君は、自分がこの人達より偉くなったつもりなのかな? 神々から見れば、君と他の人々の差違なんてわずかなものに過ぎないんだよ?』

 

(うん……)

 

『なのに……君は、これほど真っ直ぐに注がれている思いを前に、欠伸でもしそうな態度をしていたよね? いかにも退屈だって態度をしていただろう? 僕には、礼儀を欠いているように見えたよ? 礼には礼で応えるべきだと思うんだが、僕の考えは間違っているかね? もしかして、僕のような妖精の感覚は、人間とは違うのかな?』 

 

(……ごめんなさい)

 

 レインは項垂うなだれた。

 

『生まれ持った地位、権力を笠に、好き放題に狼藉をやっている貴族の子息を見てどう思った? 君は、あの馬鹿達と同じ道を歩むのかい? ああいうのに成ってしまうのかい? そんな人間に成りたいのかい? 今はそこまでじゃない。ほんの少しだけ、わずかに礼を失している程度のことだ。でもね? 明らかに礼を失した態度だった。端から見ていて非常に不快だったね。このままだと、いつか、貴族の馬鹿息子達のようになる……そんな予感がする醜い態度だったよ?』

 

(ごめんなさい)

 

『今……僕は、かなり大袈裟に指摘をしている。君はまだ、そこまで悪くなってはいないし……放っておいても、あんな馬鹿達のようにはならないかもしれない。でもね? 大きく歪んでしまってから改めるのは大変だ。わずかな兆しが見える今の内から、レイン……君自身が意識をして気をつけておくと良いと思うんだ』

 

(はい)

 

 耳元で懇々と説教をされて、レインは背筋を正して座り直した。

 

『うん……良い姿勢だ。少しはマシになったね。お節介をやいた甲斐がある。ああ……手は膝の上に置き、軽く握っていた方が見栄えが良いね。海の向こうの国では手を開いて膝に置くらしいが……ここはラデンのやり方で良いだろう』

 

(こう?)

 

 黒猫に指摘されるまま、手の位置を変える。

 

『さて……つまらない説教はここまでだ。それより……みんなが、君の旅装を見て不安がっていることに気付いているかい?』

 

 黒猫が訊ねた。

 

(えっ?)

 

 レインは驚いて、黒猫の顔を見た。

 

『君が、今にも旅立ちそうな格好をしているから不安がっているんだよ。今、この場で感謝の気持ちを伝えておかないと、その機会を失ってしまうのではないかと……すぐに君が旅立ってしまうんじゃないかって……誰もが焦っているんだ』

 

 黒猫が、平伏している人々を振り返って見回した。

 

(だって……これ、いつもの鞄と服なんだけど?)

 

 ドリュス島から持って来た神官服とメリア海で貰った背負い鞄、愛用の"折れた剣"……という格好である。

 

『やれやれ……まあ、礼儀作法や服装についてはこれからの課題だね』

 

 黒猫が狭い額を前脚で押さえながら溜息を吐いた。

 

(でも、僕はいつまでもこの島に居るつもりはないよ? クラウスさんの様子が良くなったら出発するつもりだから)

 

 この島に定住するつもりはない。

 ワーグ司祭に頼まれたイリアン神殿を探すこと、カゼイン帝国の帝都へ行ってロンディーヌを捜すこと、この2つはできるだけ早く成し遂げたいと思っている。無論、その後に戻ってくることはあるかもしれないが……。

 

『だろうね。まあ、それについては……少しだけ手助けをしてあげよう』

 

(トリコが? 何かしてくれるの?)

 

『アイリス様が餞別せんべつを下さるそうだけど、先ずは君をシレイン島へ連れてきたルナ・ナーガにご褒美をあげないとね。君へのお土産はその後だ』

 

(えっ……アイリスさん?)

 

『姿勢が乱れたね』

 

(ごめんなさい)

 

 レインは慌てて座り直した。

 

『そのまま少し待っていると良いね』

 

(お……お土産って? 食べ物じゃないよね?)

 

 口中に、あの時の味と臭いが蘇って、レインの額に冷たい汗がにじんだ。

 

『アイリス様をお連れするから失礼のないようにね』

 

 じろりと振り返ってから、執事服の黒猫が消えた。

 

(僕は……いつの間にか……あいつと同じ嫌な奴になるところだった? あいつみたいに……あいつのような顔をしていた?)

 

 レインは左手で顔を覆った。

 

 モゼリヌ王国、プーラン伯爵の四男のように……。

 領都で蛇蝎だかつのごとく嫌われていたミヒャルド・プーランのように……。

 いつの間にか、自分が特別な偉い人間だと勘違いをしていた?

 あんな顔をしていた?

 あんな態度をしていた?

 あんな嫌な目つきになっていた?

 

(いつから?)

 

 黒猫の言葉は、冷や水を浴びたように、鋭くレインの心胆をえぐっていた。

 

(僕は……あんなクズ野郎には、絶対ならない! 絶対に!)

 

 拳を握り、一度、二度、自分の額を強く叩いてから、レインは立ち上がった。

 その気配に、朗読をしていた老人がぎょっと双眸を開いて口をつぐむ。

 平伏していた人々も、幾人かが顔を上げてレインを見ていた。

 

「どうか……そのまま、続けて下さい」

 

 レインは、できるだけ穏やかに声を掛けた。

 

 その時だった。

 レインが立っている壇上めがけて黄金の輝きが降り注ぎ、圧倒的な霊気の奔流が吹き荒れた。

 

(……アイリスさん)

 

 レインは、背後にそびえ立ったアイリスを振り返って深々と頭を下げた。

 古書を朗読していた老人が慌てて平伏して地面に額を擦りつける。その場の全員がアイリスの威に打たれて頭を垂れた。

 

『退魔師レイン……ワーグ・カイサリス最後の弟子よ! おもてを上げなさい!』

 

 アイリスの声が響いた。 

 

「はい」

 

 レインはアイリスを見上げた。

 

『トリコから話は聞きましたね?』

 

「……はい」

 

『貴方の祈念に応えましょう。これより、クラウス・ゼールとルナ・ナーガの婚姻の儀をり行います!』

 

 アイリスの大音声が響き渡ると、一瞬の間を置いて、平伏していた人々が声をあげた。

 あまりにも突然の、そして望外の慶事であった。精霊神が領主の婚儀を祝ってくれると言うのだ。

 

(えっ!?)

 

 お辞儀をしたまま、レインは大きく目を見開いていた。まったく想像していなかった言葉だった。

 

『大地の精霊よ! ここにれっ!』

 

 レインの当惑をよそに、アイリスが右手を差し伸べると、軽い地響きと共に地面が持ち上がって木石混じりの巨大な人型の巨人が顕現した。

 

『海嘯の精霊よ! ここにれっ!』

 

 アイリスが左手を差し伸べると、どこからともなく潮の香りが押し寄せてきて、水煙が立ち上るようにして水の巨人が現れた。

 

『大地の精霊と海嘯の精霊を仲立ちとして、クラウス・ゼールとルナ・ナーガの婚姻の儀を執り行う! 異論ある者は、立ち上がって物申しなさいっ!』

 

「異論はございませぬ!」

 

「異論ございません!」

 

 震えを帯びた声は、クラウス・ゼールとルナ・ナーガのものだった。すぐさま、他の者達も異論がない旨を唱和する。

 

『では……クラウス・ゼール、これへ!』

 

 アイリスの手に、黄金の戦斧が現れる。指し示したのは、土精霊の正面だった。地面に円形の法陣らしきものが浮かび上がっている。

 

「はっ!」

 

 クラウスが勢いよく立ち上がって、アイリスの戦斧の下へ歩を進め法陣の中に入った。

 

『ルナ・ナーガ、これへ!』

 

 アイリスが戦斧を返して柄尻を差し伸ばす。こちらは、海精霊の正面だ。こちらも同様に円形の法陣が出現している。

 

「はい」

 

 顔を俯けたまま、ルナが戦斧の柄尻の下へと進み出ると法陣の中に入った。

 

『我が前での誓約は、人の世の誓約とは異なるもの! 生ある限り続く魂のえにしが結ばれることを意味します! その覚悟があるのなら、司奉レインの前へ行き、裁神様に誓言を捧げなさい!』

 

 アイリスの問いかけに、クラウスとルナが視線を交わして頷き合った。すぐさま、それぞれの精霊の前を離れ、互いに歩み寄ってレインの正面に来ると揃って両膝を地面について頭を下げる。

 

「我が生涯をかけて、ルナ・ナーガを愛し続けることを誓います!」

 

「命尽きるまで、クラウス・ゼールを愛し続けることを誓います!」

 

 2人が低頭したまま誓いの言葉を述べた。

 

『司奉レイン、2人の誓言を聞き届けましたね?』

 

 アイリスがレインを見る。

 

「はい」

 

 返事をしたレインの横に、執事服の黒猫が姿を現した。

 

『さあ……司奉として、裁神様に誓言を届けるよ。僕が言うとおりにやるんだ』

 

(……うん)

 

『呪符に使っている紙は持っているね?』

 

(うん)

 

『2人の名前と誓いの言葉を霊力を使って記すんだ。どこの国の文字でも良い。神々は、霊力に込められた思念をお読みになるからね』

 

(分かった)

 

 黒猫に言われるがまま、レインは神官服の内隠しから呪符用の紙を取り出すと、クラウスとルナの誓言を霊力で記していった。

 

『うん、上手だね。そのままほうじても大丈夫だけど、これは婚姻の儀だからね。丁寧にやろうか。最後に、少しずつ2人の霊力を分けて貰うと良い。その2人の霊力量なら問題ないだろう。やり方は……』

 

 耳元に浮かんだ黒猫が、丁寧に説明をしてくれる。

 レインは小さく頷いてから、クラウスとルナを見た。

 

「クラウス・ゼール、顔を上げなさい」

 

「はっ!」

 

 レインに声を掛けられて、クラウスが顔を上げた。

 その額へ、レインは紙を触れさせた。淡い光が誓紙を包み、クラウスの霊力が宿る。

 

「ルナ・ナーガ、顔を上げなさい」

 

「はい」

 

 ルナが涙に濡れた顔を上げ、レインを見つめた。

 レインは微笑を浮かべながらルナの額に誓紙を触れさせた。誓紙にルナの霊力が宿って光を放つ。

 

『さあ……後は、君の霊力で封をして裁神様に捧げるんだ』

 

 耳元でささやいた黒猫に頷いて見せ、レインは霊力を宿した誓紙を手に、後ろで見守っていたアイリスを振り返った。

 

「誓紙に2人のえにしを宿しました。裁神様に捧げます」

 

『確認しました!』

 

 アイリスが微笑んだ。

 

「我が名は、レイン! 裁神の司奉なり!」

 

 レインが宣言すると、わずかな間があって眩い光が上方から降り注いでレインを照らした。

 アイリスと土精霊、海精霊が両手で胸を抱くようにしてこうべを垂れる。

 

『神々は人間の動作、言葉遣いなど気になさらないから、かしこまったり、取りつくろったりする必要はない。きちんと気持ちが込められていれば良いんだ』

 

 黒猫の声が聞こえる。

 

「……裁神様、司奉レインが、クラウス・ゼールとルナ・ナーガの誓いを見届けました。2人のえにしを結ぶ誓言の記録を捧げます。どうか、2人の婚姻に祝福を……」

 

 目が眩む光の中で、レインは誓紙を頭上高く捧げて、ありったけの霊力を解放した。

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