第22話 呪物

 

「聖光檻っ!」

 

 レインの叫びに呼応し、聖光の柱が出現して獄となった。円形の光檻の中を走るレインの顔には半狐面ミカゲが顕現している。

 

 

 ギィィィィ……

 

 

 不快な外見をした赤黒い肉塊のような呪物が、悲鳴をあげるかのように鳴動し、禍々まがまがしい黒霧を噴出する。

 

「せっ!」

 

 気合いを発したレインが、聖光をまとわせた左拳で殴りつけた。

 

(もうっ……しつこい!)

 

 殴っても殴っても、削っても削っても、肉塊のような化け物は、悲鳴らしき音を響かせるだけで元通りに再生してしまう。

 

(でも、法陣は整った! 破砕で削って……勝負!)

 

 襲ってくる触手を薙ぎ払いながら、レインは地面に仕込んでおいた法陣を連続発動させた。

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 破砕の"つづみ音"が立て続けに響く中、レインは"折れた剣"を掴むと宙へ飛んだ。

 

「神気招来っ!」

 

 掛け声と共に、"折れた剣"を大きく振りかぶると、うごめく肉塊めがけて、ありったけの霊力を込めて振り下ろした。

 

「……哀廟浄葬!」

 

 体に纏わり付いてくる触手に構わず、"折れた剣"を突き立てた。

 骨肉を灼く痛みにも、生気を奪う悪寒にも気合いで耐える。

 周囲から肉膜に包まれ、半ば肉塊に呑み込まれた状態で体を灼かれながら、レインは封滅の術技を発動させた。

 

 まだまだ、範囲も威力もドリュス島でワーグ司祭が行った術にはほど遠い完成度だったが……。

 

 

 ヴアァァァァァァァ…………

 

 

 肉塊からおかしな音が漏れた。

 突き立てた"折れた剣"を中心に、黄金の法陣が次々に出現して神気を放つと、赤黒い肉塊を囲って封じ込め、巨大な光の柱となって空へと立ち上った。

 

(……成った?)

 

 "折れた剣"を握りしめ、歯を食いしばって激痛に耐えながら、レインは肉塊を睨み付けた。

 レインの肉体をむしばんでいたものが薄れてゆく。体を押し包む圧が消え、肉塊が白い光粒となって崩れ始めた。


(よし……)


 …… <回復>


 残しておいた霊力で体を回復させる。 

 なんとか、退治に成功したらしい。レインが見る限り、呪いの因縁は消えていた。

 

(イセリナさん達は……)

 

 視線を巡らせると、黄金の神気の向こう側で、イセリナや騎士達が瞠目どうもくしたまま立ち尽くしている。

 

(あいつは?)

 

『ここに……』

 

 レインの思念に応えて、魔人がレインの前に現れると地面に片膝をついて低頭した。

 

(呪物は消えたけど……呪いの因縁いんねんはどうなった? 僕には消えたように見えるけど?)

 

『完全なる浄滅です。お見事です』

 

 低頭したまま魔人が告げる。

 

(もう、他にはない?)

 

『瘴気溜の根源たる呪物は消滅しました。遠方から覗き見ていた者には逃げられましたが……この地に潜んでいた術者は全て始末致しました』

 

(あれの……呪物の素材は何だったの?)

 

『幼い歯とへそ、頭髪です。頭髪は女のものでした』

 

(歯とへそ……髪の毛)

 

『納めてあった小さな箱が、魂塊こんかいの中央にありましたので間違いないでしょう』

 

(……どんな箱?)

 

『紫布を貼った白木の小箱でした』

 

(そう……とりあえず、ご苦労さま。ありがとう)


『勿体なき、お言葉』

  

 レインが魔人に与えていた霊力を絶つと、魔人が銀色の砂粒となって散っていった。

 

 眩い神気の輝きがゆっくりと薄れ、足下を埋め尽くしていた法陣が色あせて消えてゆく。

 最後の法陣が消えるまで見届けてから、レインは"折れた剣"を引き抜いた。

 

(退魔の術技…… <回復> だけで済んだ)

 

 疲労はしているが、骨も筋も傷めていない。まだ、もう一戦くらいできる体力を残すことができた。おそらく、アイリスにふるまわれた食事が原因なのだろう。メリア海を出てから、自分でも首を傾げたくなるくらい体が丈夫になっている。

 

「レイン様!」

 

 イセリナ達が駆け寄ってくる。

 

「周囲の警戒……お願いしても良いですか?」

 

 疲れ切った顔で、レインは右方の石塊に視線を向けた。

 

「お任せ下さい!」

 

 騎士2人が左右に分かれてレインを背にかばう。

 

(あぁ、気持ち悪かったぁ)

 

 レインは、大きく息を吐きながら地面に座り込んだ。

 にょろにょろしたものが大量に密集して視界を覆い尽くすように伸びてくる様は、思い出しただけでも怖気おぞけで背が震える。

 

 その時、

 

「ぁ……」

 

 レインは声を漏らした。全身が温かい光に包まれ、底を突きそうだった霊力が一気に回復した。

 

(霊格……上がった!?)

 

 久しぶりの感覚だった。

 半狐面ミカゲを顕現できるようになった時以来だ。

 

(あぁ、今なら、もっと強い神気を招来できたのになぁ)

 

 レインは、ちらとイセリナを見ながら立ち上がった。

 

「今のは……魂の階梯かいていが上昇なさったのですか?」

 

 驚きの表情を浮かべたまま、イセリナが小声で訊ねる。

 

「そうみたいです」

 

 レインは、汗で肌にはりついた上衣の胸元を引っ張りながら周囲を見回した。

 

(あいつが言った通り、他にはいないな)

 

 <霊観> の範囲を拡げてみるが、魔人が言ったように隠れている術師はいないようだった。


(離れたところから覗き見てたって……シレイン島の外から? そんなの、術だけじゃ無理だから何かの道具がないと……あぁ、異能かも?)


 ここに来ていた黒衣の者や呪術師の上役だろうか。シレイン島の外から関わっている何者かがいたようだ。まだ、カダ寺院という組織の根を断てたわけではないようだった。

 

「先ほどの魔物は……あれは、カダが用意した魔物でしょうか?」

 

 イセリナがいてくる。

 

「あれが呪物……伯爵に呪いを届けていた根源です」

 

「えっ!?」

 

「元々は違う形だったんでしょうけど……僕の穢魔祓わいまばらいで呪いが返って、呪物が周りに居た呪術者の魂を呑み込んで……それで、ああなったみたいです」

 

「あれが呪術者のなれの果てなのですか?」


 イセリナが目をみはる。

 

「はい。腐毒の呪物にとらわれて抜け出せなくなった魂の塊です」

 

 呪いのことになると、自分でも驚くほどに知識が豊かだった。説明しながら、レインは地面を見つめた。

 

「元々は、歯とへそ……それから、女の人の髪の毛です」

 

「えっ?」

 

 イセリナが小首を傾げた。

 

「どうやって入手したのかは分かりません。でも、呪物の核として使われていたのは、幼い歯とへそと髪の毛でした。入っていたのは、紫色の布を貼った小さな箱……知りませんか?」

 

「ゼール家の習わしは存じ上げませんが……」

 

 イセリナが騎士を見る。

 

「私は……しかし、騎士団長なら何かご存じでしょう」

 

 若い騎士が首を捻る。

 

「私の家でも似たようなことをしていました。ラデン皇国西部の風習だと思います。箱に入っていたのは、赤児の時のへそ、歯が生え変わる時の乳歯、それに生母の頭髪でしょう」

 

 もう一人の騎士が言った。

 

「そういう風習があるんですか。上手にはらって持ち帰ることができれば良かったんですけど……き物ごと浄滅してしまいました。ごめんなさい」

 

 レインは頭を下げた。文字通り、もう跡形も無い。

 

「頭をお上げください。レイン様のおかげで呪いをはらうことができたのです。感謝こそすれ、責める者などおりません」


「ゼールには、呪物となった歯を惜しむような風習はありませんよ」

 

 騎士達が明るく笑う。


「カダの……残りの者達は、地下寺院に潜んでいるのでしょうか?」


 イセリナが周囲を見回した。

 

「もう、生きている人はいません。僕が召喚した魔人が命力を吸い尽くしちゃいました」


 魔人は、魔物と戦いながら、周りにいた術者やら黒衣の者達の命力を吸って力を補充していたようだった。 

 レインは、背負い鞄を下ろすと、水を入れた木筒と油紙でくるんだ揚げパンを取り出した。

 

「ちょっと一息入れませんか?」

 

 霊格が上がって体の傷や疲労は消えたが、喉の渇きや空腹が無くなるわけではない。

 少し頭の整理をする時間が欲しかった。

 

「……ええ、そうですね」

 

 イセリナ達がわずかに表情を和ませて頷いた。

 その時だった。

 

『ちょっと、レインちゃん! いつまで待たせる気なの?』

 

 頭の中に、大きな声が響いた。

 

(……アイリスさん?)

 

 揚げパンを手にレインは声の主を捜した。

 イセリナ達には聞こえていないらしく、荷物から携帯食を取り出して休憩の準備を始めている。


『さっさと来なさい! 寺院を汚染していた呪物を片付けたこと、褒めてあげようと思って待ってるのよ!』

 

 アイリスの声が頭の中に響く。

 

(えっと……アイリスさんは、地下にいるんですか?)

 

『場所は見えているんでしょう? すぐに転移して来なさい!』

 

(そんな術、使えません)

 

 レインは苦笑した。

 

『もうっ! 転移も使えないの? まだまだ未熟ねぇ!』

 

(だって……そんな簡単な術じゃないですよね?)

 

『いいわ! 今回は特別よ! そっちに行くわ!』

 

(えっ?)

 

 レインは、霊力の流れを感じて慌てて背後を振り返った。

 

『退魔師レイン! ワーグ・カイサリス、最後の弟子よ!』

 

 野太い声が響き渡った。

 

 突然の大音声に、イセリナ達が慌てて身構えかけ、そのまま目と口を開けて硬直する。

 そこに、黄金甲冑を纏った巨大な女が聳え立っていた。

 巨体から凄まじい気魂が放たれ、霊気の奔流が辺り一帯を覆い尽くす。

 何かを感じたらしく、イセリナ達が武器を放って地面に両手両膝をつき平伏した。

 一人、レインだけが揚げパンを手に立っている。

 

『退魔師レイン! 穢魔わいまノ術……実に、見事でした!』

 

「見てたんですか?」

 

 レインは、高い所にあるアイリスの顔を見上げた。

 

『貴方には、私の精霊紋を与えたでしょう?』

 

 アイリスが笑みを浮かべる。

 

「ああ……これですか?」

 

 レインは自分の左手を見た。

 

『その紋章を通して、いつも貴方のことを見ています!』

 

「……覗いてたんですか?」

 

『見守っていると言いなさい! 貴方は、まだまだ危なっかしいのよ!』

 

 アイリスがえる。声だけで、ビリビリと大気が鳴動した。

 

「はい、すみません!」

 

 レインは首をすくめた。

 

『まあ、いいわ! 貴方の功績を讃え、裁神様の祭祀さいしを執り行う資格を与えましょう!』

 

「祭祀?」

 

『嘆かわしいことに、昨今、儀式を行う資格を持った者が減っています!』

 

「……ああ、雷がいっぱい落ちましたもんね」

 

『退魔師レイン! 貴方に、"裁神の司奉しほう"のくらいを与えます!』

 

 アイリスが巨大な戦斧を差し伸ばして、レインの頭に触れた。


「なんですか、それ?」


『祭祀を行う他に、神々に誓文を奉じることが赦されます」

 

「……文? 手紙ですか? 神様に?」

 

 訳が分からず首を捻るレインの全身が光に包まれた。

 

『エイゼン寺院のけがれがはらわれました! 貴方のおかげで、シレイン島に土精霊が戻ります! 海精霊達も感謝していますよ!』

 

 アイリスの声が頭上で響く。

 

(精霊……海の精霊が?)

 

『退魔師レイン! "裁神の司奉しほう"よ! 先ずは、裁神様をまつやしろで感謝の念を奉じなさい!』

 

「……はい」

 

 戦斧で頭を抑えられ、レインは頭を下げた。

 

(あっ?)

 

 頭を下げたまま、レインは目を見開いた。

 不意に、地面から清らかな霊気が湧き上がってきたのだ。

 

『シレイン島に、土精霊の祝福が戻ります! 古の大地に芽吹く新たな生気、清雅なる命を祝いましょう!』

 

 野太い声で宣言し、アイリスが戦斧の石突きを地面に突き立てた。

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